魔導師と口災いな弟子

01.はじめましては拳でどうぞ




 一つ、言う。言わせて貰う。

 私は今まで挫折というものをしたことがない。
 大がつくぐらいの貴族の出でだし。
 長男ではなく次男だから、そこそこの自由を満喫できるし。
 勉強をやれば、人並み以上の成績がとれたし。
 顔も整っている方で、そこまで性格も悪くないはずだし。
 だからこの22年間、女に不自由したこともない。
 騎士団には入ってはいないが、実家で鍛えられているから体力精神力運動能力で とくに困ったことはない。
 魔法技術に興味を惹かれてからは、魔道具を作る魔術者として才能を認められていた。
 その甲斐あって、最小年で魔法省に入ることができた。
 おかげで家にも胸をはって帰ることができたわけだ。
 順風満帆、恐れるものなど何もない。


 そう、正直に言おう。
 私は少し調子に乗っていた。
 ……少しだ。

 このカビ臭い部屋に来るまでは。




 私の運命を大きく変えた一言がこれ。
「魔界――地下書庫に出向しなさい」
 これは、正式な辞令です。
 あの、いけ好かない眼鏡野郎の眼鏡と頭の光具合を思い出すだけで、腹が立ってくる。
「なにが正式な辞令だ。体のいい厄介払いだろうに」
 毛が生えない呪いでもかけてやろうか。
 魔法省の身分を顕す銀の翼のペンダントが、ランプの光を反射した。
 少々調子に乗りすぎたのは認める。上司に逆らうにもやり方があった。
 だが、たった一回の失敗で、よりにもよって地下送りとは。
 詳しいことは知らないが、地下送りになった人間は一ヶ月もしないうちに魔法省から出て行くという。
 確かに。
 一歩一歩、ぐるぐると階段を下りていた足を止め、上を見上げる。
 螺旋状に階段が上へのびている。天国にも届きそうだと錯覚してしまいそう。
 下を見る。
 とぐろのように階段が下へ消えて行っている。地獄に行けそう。あぁ。比喩的表現でありますように。
 めったに使わないから、灯りもなく、こうしてランプを持ってゆかなくてはならない。
 この階段を毎日上り下りするだけで精神的にやられそうだ。体が文化系でなくてよかった。
 だが、負けるわけにはいかない。
 何とかして実績をあげ、せめて元の部署に、いや、地上にもどらなくては。
 決意を新たに、地獄への一歩を再開した。

 あれからどれくらい降りたのか。とうとう一番下にたどり着いた。
 重苦しい、金属に縁取られた樫木のドアがある。
 ここに入ったら、お終いだ。
 逃げることはできない。貴族とはいえ――貴族だからこそ、守るべきものは守らなくては。
 ……家に帰っても兄夫婦のバカップルぶりと二人の妹達と弟の喧嘩しかない。両親は喜ぶだろう。そしていそいそと政略結婚を仕掛けてくるのだ。まだ一人の女に縛られる気はさらさらない。
 ため息をぐっと堪え、取っ手を持って一気に開けた。

 そこは部屋だというのに、とても暗かった。
 蝋燭の明かりがちらほらとあるが、全体を明るくさせるには力不足だ。
 地下ゆえに窓もない。空気がカビ臭い。掃除の手もないらしい。
 ……気管が真っ先にやられそうだ。
 地下に行くと決まってから作ったランプ――魔道具の前扉をあけた。
『己が使命を果たしてくれ』
 中に灯っていた光が、音もなく部屋の中に入り、広がった。
 視界にはおびただしいまでの本棚、そしてはみ出た本の山が連なっていた。
 部屋は地下だというのに、広い。そして高い。
 天井も床も、おそらく壁も元は白だったのだろうが、染みが歪んだ顔で悲痛を叫んでいるようだ。
 ……幽霊が住み着いていても可笑しくない。笑えない。
 天井にはロープが張り巡らされ、そこには動物の乾物やら見たこともない草花やら得体の知れないものが架かっている。ここは書庫じゃないのか。
「・・・・・」
 言葉も出ない。中を舞っている埃まで見える。
 ・・・・・・・やはり実家に帰った方がいいのでは。ここにいたら肺の病気になる。確実になる。いや、精神が病む。一ヶ月ももった勇者を称えたい。
 まわれ右をしたい足をぐっと堪えた。
 栄えあるルテチウム家の次男坊が、こんな黴の部屋に負けるなどあってはならない。
 …………正直、知ったことかー!とダッシュで逆戻りしたいが、兄の叱責が耳障りだ。くそ、あの陰険体育会系め。
 ・・・・・・・・・・・・・ぐっと手を握り、目を瞑った。
 住めば都、住めば都、住めば都、住めば都。住むわけではないが―――!
 開ける。
 やはり広がる、ようこそ埃の都。
 げんなり。
 とにかく、片付けよう。新鮮な空気を入れることはできないが、埃をとるだけでも違うだろう。
 部屋にとうとう入った。靴が床に溜まった埃を分ける。
「………こんなところ……余計に本が、傷むのでは?」
 本棚を見ると、並べたと言うより突っ込んだと言った方が現実を良く表せている。目録はあるのだろうか?なければ作って並べ直した方がいいだろう。自分のこういうちまちました性格がいやでたまらない。仕事が増えるだけじゃないか。
 これからの生活に不安100%状態で、何気なくとった本を開いた。
 ――――――一気に本の中に引きずり込まれた。
 比喩的表現ではなく。本の、中に。





 真っ白だ。あまりの変化に目が痛くなった。
 埃っぽくなく深々と体を凍えさせる空気は、ここが書庫ではないことを表していた。前も後ろも上も下も真っ白。床すらなく、身、一つで立っている。浮いているのかもしれないが。
 思わず、天を仰いでから、一気にしゃがみ込んだ。
 ・・・・・・・・・禁書を、あんな封印もせず、ほったらかしにしてんじゃねー………!。
 城の危機管理について上告しよう。絶対しよう。
 そして健康被害コミで労災認定を無理矢理でももぎとってやる!!
 帰れたらの話だ。
 魔の技術者・魔術者の身だしなみとして、魔の探知鎖と魔を封じ込める水晶・と工具は持っているが、禁書に立ち向かえるほどの質ではない。
 外に居場所を知らせる妖精羽を飛ばしたが、禁書の外にゆけるかどうか。
「動くのは、危険。大人しく待っているのが一番。体力を使わなくてすむし、腹も減らない、はず」
 この禁書に時間という概念が入っているのはよかったのか、悪かったのか。
 それが無ければ、思考も何もかも停止し、誰かに封を切って貰わない限り何もできない。だが、在るからこそ"何もない""何もできない"状況に気が狂うかもしれない。
 ・・・・・・一ヶ月持った人間は、一ヶ月、この中にいたのではないだろうか。いや、一ヶ月間もこの時のなかにいたら発狂して死ぬな。
 魔を封じた水晶が先につけられた鎖、探査鎖を手首から垂らすが、ぐるぐると回るだけで一点を指そうとはしない。この本全体が魔から成っているのかもしれない。核があれば、そちらを向くはずだが、体の向きを変えても鎖が回る角度に変化はなかった。
 もう少し精度が高ければ違っていたかもしれない。
 だが、それはかもやもしの話で、現実ではない。書庫勤めを舐めていた報いだ。いやすぎる。毎日がサバイバルか。
 人を閉じこめるような禁書を放置している魔法省を、純真素朴な少年少女聖職者等々には聞かせられない言葉で罵った。。
 
 暇だ。暇すぎる。
 あれからどのくらい経過したのか。一分な気もするし、十時間にも一日にも一週間にも思える。
 ……いいすぎか?
 時計を見るが、なんの冗談か、針がぐるぐる回っている。本当に外の世界でこの早さで時が進んでいたら、と思うだけで怖い。目覚めたらこの前生まれたところの可愛い姪っ子が私好みの美女になっていたらどうしよう。手を出さない自信がない。
「くだらん」
 年の差という垣根がなくなるから、あとは血の濃さ………いや、あの兄をお義父さんと呼ぶのはきついな。止めよう。そもそも娘に手を出した瞬間に胴がまっぷたつという危険性もある。
 どうでもいいような仮定をつらつらと考えるのにも飽きてきた。もう少しまともなことを考えてみるか。
 現実的な話………あの例の計画をつぶせなかったのは痛かったな。どうせ降格されるなら成功したかった。あんなものがあったら世界のバランスが崩れるというのに。それが分かっていない上層部――いや、分かっていてなお使おうとする愚かさに反吐がでる。シュランゲ――元同僚の知性の幼さに呆れるばかりだ。作った自分が言うのもなんだが、アレは成功させてはいけないモノだった。
 シュランゲに盗まれた設計図を全て燃やせなかった。必ず燃やさなくては。
 あれは試作だというのに。
 そもそも【聖魔】の循環を人間の手で出来ないかというので魔道具を作ってみようとしたのはまだいい。が、聖の力を知っているのは概念だけで、見たこともない力を利用するのは不可能だ。――何とかして聖女様が王都にいらっしゃる間に一度お会いしたいが、地下送りでは夢のまた夢だ。
 家の力を使えないものだろうか。

 世界は神の上に成り立っている。
 そして世界の均衡は【聖】と【魔】の循環によってなされている。どちらが強すぎても弱すぎてもいけない。【聖魔】を変換する均衡は神の御許で常に世界の理としてなされているが、この世に【聖】と【魔】を送り出すために【聖を導く者】である聖導師 【魔を導く者】である魔導師を神が世に送り出した。導師はただその意志に関わらず【聖】【魔】を神の御許から導き続ける。また生み出される力を自由に駆使することができた。

 ところが、神の御姿を模して作られた人間にもわずかながらに【聖魔】を変換する力と生み出す力があったのだ。それは意識できるではなく心の在りよう次第という なんとも不確かなものだった。普通、【聖】は清き心から【魔】は負の感情から発生する。【魔】に取り憑かれたものは【異形のモノ】へと変貌―魔堕ち―し、更に【魔】を生み出す悪循環となる。【聖】が人に取り憑いた例はかつて無い。
【聖】の力は強すぎるため生き物が変異するほど心に蓄積できないからというのが一般的な考えだ。

 こうして神と導師達による【聖魔】の均衡はこの心弱き人間の介入によって時に荒らされた。
乱世では【魔】が蔓延り、最高の耐性がある魔導師でさえもが魔堕ちし更に魔を導き生み出す悪循環となり、聖導師が魔導師を討つまで平和を取り戻せず、平世では人の欲深き心によって徐々に【魔】が蓄積されて戦火をつけた。

 堂々巡りのこの争いを とある聖導師と魔導師が止めた。

 人が【魔】を生み出しやすいというのなら、人の力で【魔】を無くせばいい。
 魔導師と聖導師は協力し、魔を封じる道具を作った。
 それは従来【魔】が【聖】に変換するところを【無】にし消費する道具だった。そして消費した時に放出される力を様々な力に変換した。それは炎を生み出し重きものを動かし空を駆け大地を巡る人の力となった。その力を魔法と言われるようになった。
 魔道具によって一気に人の生活は向上し、そこから生まれる欲望の【魔】は魔道具によって抑えられる。それが理想論だ。

 さらに、【聖魔】の循環装置を作れれば、たった二人の人間に頼らなくても、この世界の均等を魔道具を持っている人間一人一人ができるようになる。魔だけでなく聖も人間に扱いこなせるようになる。それは魔術者の夢だ。
 強突張りでなければ魔術者にはなれない。
「なるほど」
 あー。でもここには禁書がいっぱいあるのか。
 いいな。なかなか読めない代物にふれられる絶好の機会だ。
 ………素敵じゃないか。
 気分が高揚してくる。まだ見たことのない、公開されていない(いけない)技術が本の中にはある。たとえ自分が大貴族の次男坊だからといって禁書を見られる権限はない。
 本に書かれた事をそのまま使うのはくそったれの審査委員会にばれるから、上手にアレンジを加えるつもりだ。レーヴェン機構も載っているだろうか?
「あるが、みせんぞ」
 小細工なら任せろ。もう二度と失敗する気はない。
 私は時間を見ようと時計を開き――ぐるぐる――何事もなかったように閉じて、上を向いた。
「で、そろそろ助けてくれないだろうか、外の声の方」
「貴様の妄想が面白くてな」
 さっきから相づちをうっていた声が上から降ってくる。
「私の思考が文字で現れてくるタイプですか。……読むなんて悪趣味ですねぇ」
「ふん。禁書を勝手に開く貴様にはいい薬じゃろう」
「禁書を保護もせず放置している貴方には咎はないのですか?」
「私を罰しようとは良い度胸じゃな」
 ざわっ。
 鳥肌が一斉に立った。ざわめく胸に、外の人間がただ者ではないことがわかる。このプレッシャー。三日間家出した後に、父親に修行という名の虐待行為を宣言されたとき以来だ。
「……そんなものと一緒にするでない」
 ならば、人妻に手を出してその旦那に決闘を申し込まれたとき。
「……………見捨てた方が世のためかもしれんの」
 いやぁ。助けてください。
「その決闘はどうなった?」
「勝ったら結婚ルートですよ?」
「……逃げたか」
 そうともいいますね。
 何とも言えない沈黙の後に、頭の上が光輝いた。
 なかなか幻想的な光景に息を飲み、次に見えたものに絶句した。
「しょうしょう乱暴じゃが、辛抱せい」
 どでかい掌が頭上から降りてきた。
 なんていうかネズミの気分。最悪。
「……ま、まさか」
 ぐんぐんぐんぐん近づいてきて、
「ぎゃーーー!!」
 むんずと掴まれた。


「もう、お婿にいけない……」
「ばーかいってんじゃないわよぅ!」
 禁書から文字通り引き上げられた精神的ショックに立ち直れない。
 きゃんきゃんと騒ぐ少女の声に目をあげた。
 目の10セチル前に少女の頭からつま先まで完全に見える。黄金色の髪にライトグリーンの瞳。
「……呪いで巨大化?」
「誰がちびよぅ!」
 肩まである髪の毛を思いっきり引っ張られる。
「いたたたたたたた。ってっことは現実かっっ痛い、離せミニチュアっ!」
 捕まえようとするが掌からするりするりとすり抜けて少女は逃げる。
「ふんっ根性無し!降格男!」
「ひ、ひどい!かなり傷ついたぞ!」
 べーっと舌を突き出す少女をちゃんと見て、目を疑った。彼女の髪は体長の1.5倍はあり、舞っていた。そして気が強そうな少女には昆虫に似た羽が生えていた。
「……妖精?まさか!絶滅したはずじゃ!?」
「あんた達、人間のせいだよぅ!残念でした。このあたしがあんたみたいな間抜け人間にころされるわけないよぅ!!」
 妖精にしかみえないソレは、中指を立てて、親指を下へ振り下ろした。下品きわまりない。可憐な妖精さんの夢が崩れた。
「ひどい。私のかわいい夢を返せ」
「ちょっとぅ!何打ちひしがれてんのよぅ!お礼を言いなさいよぅ!あたしがあんたが禁書にはいっちゃったのを見つけたんだよぅ!」
「……それはそれはレディ。ありがとうございました」
 埃を払い、出来る限り優雅に腰を曲げた。もっとも、埃まみれの部屋で格好がつくものではない。部屋全体に灯りがともされていた。光が埃に乱反射して、まぁ綺麗。………ここに水源がなかったら上から持ってこないといけないんだろうか。
「私の名はジューダス・ルテチウム。以後お見知りおきを」
「ぎゃーって叫んでいた根性無し男の割にはまともな名前だよぅ!」
 ……虫叩きを持ってきてやる。
「そんなことしたら、妖精を絶滅させた極悪人って未来永劫、歴史に名前が残るんだよぅ!」
 最悪だ。この虫。
「虫じゃないよぅ!妖精だよぅ!」
 虫。
 妖精には精神感応能力がある。近い距離で防御も無ければこちらの思考などだだ漏れに近い。
 みたところ、この虫じゃなかった妖精はまだ若い。何故こんなところにいるのか。
 標本から逃れられたのか?ついでに標本の仕方をつらつらと考える。
 目の前の虫ではなく妖精はガタガタと震えだした。
 ははは。私の思考を読むのはよゐこにはきついぞ?ってことで今度は18禁編の始まり始ま………
「ぎゃーーーー!!変態だよぅ!最低だよぅ!こっちにこないで鬼畜ぅーーー!!」
「ジューダスだ。君の名は?」
 ビックリした目でこっちを見てくる。本当に小さい。おそらく身長は私の掌の縦の長さと同じくらいだ。
「……虫か」
「違うよぅ!ミルトだよぅ!」
「ミルト……名は体を表すはずだが……」
 温厚にはほど遠い。
「相手がジューダスだからだよぅ!」
 こんな善良な人間に、一体何を言っているのか。
「で、私を本から出してくださった方はどこにいらっしゃるんだ?お礼を申し上げたいんだが。あと管理責任を問いたい」
「目が笑ってないよぅ……。ジューダスは今日からここに働きに来たのかよぅ?」
 時計が正常に動いているのを確認しながら頷いた。
「あぁ。さっきミルトが言ったように降格……左遷……異動させられてね」
 これだからあの能なしのクズどもは。
「同感だよぅ」
「……できれば、口に出していないことに返答しないで欲しいな」
 自分が言っているのか言っていないことなのか分からなくなる。
「でも、聞こえてるのに、聞こえてないふりをするのは、なかなか難しいんだよぅ」
 それもそうだがな。
「まぁ、しかたがないか。ミルト。声に出した質問の返答をいただけるかな?」
「うん。ちょっとまって」
 妖精は光を纏いながら奥へ飛んでいった。スカートをはいているせいでパンツ丸見えだ。
「みるなぁ!」
「見えるモノは仕方がない」
 ガキのをみても仕方がない。私は年上が好きなんだ。
 ミルトはきっとこっちを睨み付けだが、奥へ顔を向けたときには笑顔に戻っていた。
「カッツェ!カッツェ!やっぱりこいつが新しいゲボクだよぅ!」
 ゲボク……部下の間違いであってほしいな。
 先程の声と口調だと、結構なお年だとは思うが。こんなところに落とされているのだ。まともな人間ではないだろう。安心材料としては妖精であるミルトがなついていること。心が醜い人間の側に妖精はいられない。感応能力が秀でているために、そんな人間の側にずっといれば狂ってしまう。
 奥から声が近づいてくる。布が地面をこする音が後に続く。
「ジューダス・ルテチウムっていう優男だよぅ!髪は金髪で、目は海色だよぅ!髪はえっと長くて後ろで括ってるよぅ!身長はえぇっとこのくらいっ!なんかとっても打たれ弱そうだけど、あたしの名前を聞いてくれたよぅ!でも頭の中で標本にされたよぅ!頭は良さそうだけど変態だようぅ!あとエロいよぅ!」
 男がエロくなかったら子供が生まれないじゃないか。
「超オープンエロだよぅ!!」
 本棚の向こう側で姿が見えないが、思考は届くらしい。限界範囲はどれくらいなのだろう?
 確かに思考を読まれるのは気に障るが、読まれて困るようなことを考えなければいい話だ。………難しいな。防御の魔道具をつくるか、何か撃退できるようなネタを仕入れるか……両方の対策をとるとしよう。
 ミルトが顔を覗かせた。
「えっへん。敬うが良い、変態」
 ミルトの黄金色の羽をみると、某虫の佃煮を思い出す。結構まずかったな。
「カッツェーー!」
 ミルトが引っ張ってきた人物は小さかった。私の胸ぐらいしかない。
 というより、人間に見えなかった。黒い服の山、だ。
 おどろおどろしい空気を纏い、幾重にも鎖と水晶をくくりつけた衣を纏い、顔も帽子に隠されていた。
 肌が露出しているとことが全くない。
 賢者のような大きく横に出張った目深の帽子。両端には鈴に似た魔道具がつり下げられている。
 その帽子からは黒いベールが顔全体を隠している。目は金属で装飾された革の帯で隠され、口は布で厳重に閉ざされている。そのマスクは首へと続き、分厚い上着とコートの下へと消えている。もちろん、長袖。だが、その下に長い手袋をはめているのか、はたまた長袖の続きなのか、とにかく手は革で覆われ、その指には何重ものリングと、装飾の爪がつけられている。
 コートと帽子の重みか歳か、背中が大きく膨らんで、杖を突いていた。コートで覆われて見えないが、確実に下はズボン。膝よりも上からブーツが始まっているはずだ。
 全ての服にごてごての装飾がなされ、そのうえからなお鎖が何重にもからみついている。そしてその鎖の隙間の一つ一つに水晶、あるいはなにかしら装飾品がぶら下がっていた。
 皮膚呼吸すら許されていない。
 高貴なる囚人。
 連想したそれを頭から振り払う。
 魔術者の目だから、わかる。あの一つ一つの装飾、模様に使われている金属、おそらく革や布以外のもの全てが魔道具だ。
 魔道具、魔を封じているそれは、完璧ではない。使用すれば魔は洩れるし、ほんの僅かだが、しみ出てくるものもある。一般の人間が使うことが許されている魔道具の数は多くて5個と決められている。
 だが、何十、いや何百もの魔道具を身につける、ただそれだけで人間は魔に堕ちる。
 堕ちるはずだ。
 しかし、彼は禍々しい気を出しながらも、生きて――いや、元来魔に弱い妖精が側で活動しているのならば、それはつまり――
「魔を、制御している……」
 そんなことを、出来るのはこの世界でただ一人。
 一歩、二歩、後ずさりたいのを堪え、逆に前へ、前へ進む。
 最高の魔術者。魔術者の神。
「魔導師、様―――っ!?」
 興奮のあまり、抱きついて、思わず振り回す。大人二人分かと思うほど重いが気にしない。
「感動でっ!!」
 杖でぶんなぐられる。
「じゃーかましぃわぼけぃだってよぅ!離しなさいよぅ!」
 髪を思いっきり引っ張られる。
 が、そんなもので削がれる私の感動ではないっ!!
「うわぁぁぁぁ。お会いできて光栄です!最高です!」
 ぎゅっと抱え、頬(と思われるところ)に音を立ててキスをする。
 次の瞬間、私は階段のところまでぶっ飛ばされていた。
「っつ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
 か、角が痛い。階段の角が痛いっ。背中に線がいっていそうっ。あと防御する間もなく、一気に吹っ飛ばされて頭がくらくらする。
「ばーかばーか。カッツェのいやがることをするからだよぅ!」
「…………」
 魔導師様が顔を上げ、ミルトに視線を送る。ミルトは勝ち誇ったような笑顔で指を突きつけた。
「半径三メトル以内に入ってくるな、だってよぅ」
 ……なるほど。声のだせない魔導師様の通訳か。
「そうだよぅ。あとお目々の代わりだよぅ」
 ミルトは魔導師様の頭に乗って、誇らしげに胸を張った。
「目まで?」
 歩くのに杖を必要としているご老公に、口も目も使えない状態にさせている?
 老人虐待もいいところではないか。唯一の存在である魔導師様に対してなんて素敵な待遇だ。これでは本当に囚人――いや、それ以下じゃないか。
「………」
「目は、大体の形は分かっている。分からないのは色と詳細な輪郭じゃ、だって。カッツェはお仕事しているときだけは、この変な目隠しを外していいんだよぅ」
「それに、しても……上は知っているのですか?」
「ジューダス。上に言われているからしてるんだよぅ。……その。魔が暴走しないようにって」
「あと、魔道具の仕上げ、か」
 そういうこと。と二人は頷いた。魔を導くだけは"もったいない”か。出てきた魔をそのまま魔道具に封じればそれだけ効率的に魔道具を完成させることもできるし、魔が溢れて魔堕ちする危険性も減るか。
 なるほど。あぁ。そう。そうですか。
「気にくわない?」
「言っても仕方がないとは思いますけどね。だが、自分の魔道具もお世話になっているっていう高めの可能性を考えると、無知だったから上だけをせめていいというわけでもないですよ」
 異様に仕上げが早かった魔道具に心当たりがありますから。
 埃を払い、最敬礼を捧げる。最高の笑顔で顔をあげる。
「ジューダス・ルテチウム。今日よりここ、地下書庫に配属となりました。なんなりとお申し付けください」
「三回回ってワンって言え、だって」
 ………。
 …………まてこら、虫。
「カッツェがそういったんだもーんもん」
 魔導師様がこくこく頷く。頷く度に帽子の飾りがシャラシャラ鳴る。急速に尊敬とか先程の怒りや同情の念がさらさらと風化して風に乗ってさようなら。
「追加で、逆立ちしてほしいかも」
 うわーーーーー。同情するんじゃなかったーーーーーー。口を封じてるのはあれだ。毒舌封印だな。こんのクソじじぃ。
 にやり。虫が笑った。
「カッツェー、ジューダスがぁ」
「わーーーーーーーーーーー!!!っとビックリ!」
 絶対、心壁魔道具を作らないと!!今日は徹夜覚悟だ。
 虫は腹を抱えて笑ってる。蠅叩きも持ってこよう。
「ねちっこいよぅ、ジューダス」
「陰湿陰険は我が血筋の特徴ですから」
「自慢にならないよぅ」
「じゃなかったら、今の地位を維持できるわけないでしょう」
「左遷されたくせに」
 うるさい。実家の話だ。
「…………」
「まだしないのか、だって」
「…………」
 前者の沈黙はじじぃ。後者の沈黙は私だ。おそらく期待の目で見られているのだろうが、私からしてみればちっさいじじぃにおねだりされても嬉しくともなんともない。
「禁書からだしてやったのは誰だって」
「ありがとーございましたー。まどうしさまにわざわざおてすうをおかけしてたいへんもうしわけございませんでしたー」
「……気持ちがこもってないのってわかるんだよぅ?」
 知っていますが、なにか?
「敵を作るタイプだよぅ」
「魔導師様ほどではございません」
 初対面で自己紹介もなく犬奴隷命令ってありえないでしょう。普通。
「妖精なみに貴重で、世界にいなくてはならない素晴らしい御方だとは思いますし、会えて本当に感動はいたしましたが、魂を売るほど貴方ご自身を知っているわけでもありません。プライドの高さが売りの私といたしましては……」
 肩をすくめ、結論を拒否して、要望を拒否する。
「それに、魔導師様は、まさか、そんなことでご機嫌を回復できるような、程度の低い、俗物な、知能の足りない、御方ではないでしょう?だだっこじゃないのですから」
 冗談好きのじじぃの可能性もなきにしもあらずだな。かたかたと音がじじぃの方からしてくる。少し動いただけでも飾りが鳴って動く楽器みたいだった。まさか、怒っているのだろうか?
「…………じじぃじゃないって」
「はぁ?杖付いた腰の曲がった御仁はご老公の域に達しています。現実を直視することをお勧めしますね。遺言は書かれましたか?リビングウィルとはよくいったもので、生きている間に残さないと意味がありませんよ?死人に口なしですからね。どこにも負けないくらい、身分がしっかりしていますから、私が保証人になってもいいですよ?国に財産を取られないようにしないといけませんね。一応お聞きしますがお孫さん……いえ、お子さんはいらっしゃいますか?子供はいいですよねぇ。私のところもこの前姪が生まれまして、いやぁ……可愛い」
 かしゃかしゃという音がかちゃかちゃと変わっているのに気がつかなかった。別に姪の愛くるしさに浸っていたせいではない。やはり、異動(左遷じゃないといいはってみる)に禁書に妖精に魔導師とショックの連続だったせいだろう。
「えーっと。1から出直してこい、この若造がぁっ!だっよぅ?」
 今度はヤケに硬い拳(おそらく魔法付加)で、天井に舞っていた。
「……口は災いの元だよぅ」
 意識が戻ったら、もう一度言ってくれ。



 ……こんなことが父親や兄にばれたら地獄に落とされること間違いなしだ。
 地獄に一番近い場所で、私と妖精と魔導師の奇妙な生活が始まるのだった。










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