魔導師と口災いな弟子

02.あなたのために


 
 なれてしまえば、仕事は簡単だ。
 なにせこちらは最年少で魔法省に入った天才であり、器量良し、身分良しとくれば天は我に味方せりってなもんである。
「……左遷喰らったくせになにいってるんだよぅ」
「黙れ、虫。今丁度難しいところなんだ」
 拡大鏡を覗きながらの精密な魔道具を組み立てている作業は恐ろしく根気と集中力がいる。ちょっとしたずれが大きな故障を招くことになるのだ。
「だったら、変なナルシスト思考をやめるんだよぅ。思わずツッコミたくなるよぅ」
 ……自らを誇示して、難しい仕事もちょちょいのちょいだと自己暗示したっていいじゃないか。
 息を殺して、作業をする手を休めない。こういうとき、思考だだ漏れというのは楽だな。頭の中でも会話が出来る。
 微少な部品を、絶妙な位置で固定する。最後に螺子を止めて――天井を向いて息を吐いた。
 すかさずチビ妖精が蒸したタオルを顔に落とした。目にじんわりと暖まり、ほぐれていく。
 あー生き返る。
「すまない。ありがとう。さすが妖精。気が利く、ミルト最高」
「もうちょっと文章で会話しようよぅ。ジューダス」
 と、いいつつもミルトはにこにこと笑っている。妖精族は美しい種族で、どんなに口が悪かろうがその美貌が損なわれることはない。他の妖精族を見たことはないが、それでも彼女は美しい方であろうと思うのはひいき目だろうか。……しまった。この思考もだだ漏れか。
 ミルトに視線を移すと、これはこれはにやけた顔でキラキラと妖精族特有の光がいつもより輝いている。
「うへへへへ、だよぅ」
「なんだ、その意味の分からない笑い方は……。仕事も一段落したことだし、お茶でも入れるか」
「わーい、だよぅ!」
 妖精族は私の手の大きさくらいしかないため、人間と同じ行動をするだけで大仕事だ。
 おそらく、私がここにきて一番楽をしているのはミルトであろう。
 研究室に籠もっていた生活をしていた私にとって、茶くらいは入れられる。貴族(それも上から数えた方が早い地位)だろうと男だとうとそれくらいはできる。
 もっとも、何も知らないの人間が研究室でうろちょろされるのがいやであったし、メイドの方も訳の分からない部屋に入りたがらなかったせいもあるが。
 首に精神障壁の魔道具を引っかけると、ミルトが嫌そうな顔をした。なんでもはねつけられる感じが嫌だそうだ。
「こっちの方が会話を楽しめるだろう?」
「そーだけどー」
 会話とは腹の探り合いがほとんどだ。思考がだだ漏れだったらウィットが効いた会話もできない。
 用意が出来たところで、小指の先程のポットを紅茶の中にくぐらせ、布で綺麗に拭いた。
 人形用のティーセットである。本物とさして変わらない。
「どうぞ」
「わーい。ありがとうだよぅ!」
 小さなケーキこそ無いものの、ミルトの前には完璧なお茶会が出来ている。
 ミルトの服もいつの間にかどこかの令嬢のようなドレスである。長い髪は結われずにふわふわと浮いているが、頭の上には花が差されている。
 このお人形さんセットは、もちろん私が持ってきたものである。
 たまたま、偶然が重なったのだ。
 兄に娘――可愛い可愛い姪が産まれたので、嫁にも行かない可愛くない妹が自分が幼少の頃使っていた玩具を出してきたのだ。その中にはこのお人形用ティーセットがあった。子供の玩具というのにやたら金のかかった道具で、本当に使えるという話を聞いて許可を得てかっぱらってきたのだ。なんでも、今は流行が変わっているそうで新しく買い直すらしい。私には何がなんだかわからないが。
 妖精がいることは秘密ではないとカッツェ――お師匠様が言うので、家族には話したら、母と妹が興味津々で、やたらとプレゼントを贈ってくる。この新しい服や装飾品はそういった理由でミルトの手の中にある。まぁ、そこら辺の薄い布を切って塗ったような薄汚れた白いワンピースよりははるかにましだろう。あれでは町のはずれの貧民よりもみすぼらしい格好だ。せっかくの美貌が台無しである。
 …………こんな思考が伝わったら、ベタ甘だとばれてからかわれてしまうからどうしても精神障壁が必要なのである。付けあがられたら面倒だ。……大分手遅れのような気もするが。
「お師匠様の方はどうなさっているんだ?」
 途端にミルトの表情が曇る。あぁ、そうか。
「今はまだ、駄目だって」
 お師匠様はこの地下室のまだ奥の部屋に籠もっている。たった一人で。
「そうか……」
 それは、誰にも手助けができないことで、ただ自分たちは壁一枚を隔てたこの場所でしか案じることができない。
 時折洩れてくるくぐもった呻きに、なんど心を締め付けられたことか。
 お師匠様はこの世界でたった一人の魔導師だ。それを変えることは、お師匠様の死しかない。
 そう、魔導師は、魔気の調節者。
 されどお師匠様は人間だ。
 人智を越える力がもたらす苦しみに一人、耐えている。
 お師匠様が自室に引き籠もってから五日が経とうとしていた。




 突然、手を払われたときには頭が真っ白になった。
 ぶつくさ言われようとも(言っているのはミルトだが)、それなりに気に入ってくださっているようで、私達の上下関係は良好だった。
 重そうな装具を山ほどつけたお師匠様の歩行を助けるために手を貸していたときだった。それまで、たった二週間しか過ごしてはいないが、手を払われたことはない。
 一瞬、首になるかと思ったが、次の瞬間ミルトに髪を引っ張られた。
「近づいちゃ駄目だよぅ――魔気が出てくるんだよぅ」
 聞き返す間もなく、ミルトが奥のお師匠様の仕事部屋によろけているお師匠様を文字通り押し込み――私の胸の中に飛び込んだ。
 こっちは何が何だかわからない。ただ、ドアが閉まった直後からあの扉の奥から禍々しい気配が増えた。背中に汗が流れるほどだ。こんな空気、人妻に手を出したことが父親にばれたとき――それ以上である。ついでにそのとき私は17だった。
「一体、何起こっている?」
 胸にしがみついているミルトの体を片手でぐっと――つぶれないように抱きしめた。一刻も早くあの扉から離れないと妖精であるミルトは勿論、私も危ういかもしれない。だが、足が動かない。
「魔気だよぅ。カッツェは――魔導師には魔気がたくさん出る時期があるんだよう。定期的じゃないし、感情に左右されたりするときもあるんだけど……」
 今回みたいに突然始まるときもある。そうミルトは服の中に顔を埋めて、泣きそうな声で続けた。終わるまで、短くて四日、長くて一週間、この状況が続く。
「すっごく辛いのに、あたしにはなんにもできないよぅ……」
 それはそうだ。妖精は聖に属する種族だ。魔導師の側にいること自体が特殊なのだ。
 今まで魔気に侵されていないことの方が奇跡に近―――、そこで私の思考が止まった。
 喉が干上がる。
「……だからか?」
 突然分かったこと。
「だから、ここに来た人間は一ヶ月も立たず去っていくのか?」
 手の中の妖精の肩が震える。
 それが答えだった。
 なるほど、確かに人を狂わせる魔気がいつ出るかもわからない環境で働きたくはないだろう。
「でもっ、魔気の殆どが魔道具に吸収されるんだよぅ。あの部屋自体が魔道具の塊でっ。ここにいたらほとんど影響はないよぅっ」
 必死の言葉。その言葉には、真実と、それでも前任者達が去っていってしまった事実が含まれていた。この事実を肌で感じ、早々に逃げ出した人間がいたのだろう。事実私もかなりびびっている。
「…………そういうことは先に言ってくれ。心臓が止まるかと思った」
 ビクリと手の中の小さな妖精が震えた。服を握る力が一瞬強くなって、急に力が抜けた。
「…………辞めるなら、ちゃんと書類を出してから」
「エチケットというものを知らんのか、虫め。文化的高等動物には必要不可欠なものだ」
 空いている手で精神障壁の大振りのペンダントを外す。言葉では言い切れない複雑な思いがミルトに流れる。
 もちろん、魔気は怖い。魔堕ちした人間をこの目で見たことがある人間としては本当に恐ろしい。逃げ出したいと思わなかったといえば真っ赤な嘘だ。こういう状況にはいないほうがいいに決まっている。
 だが、この自由で知的好奇心が満たされる職場が魅力的で、自分としては職場関係も良好だと思っている。魔気になによりも弱いはずの妖精が馬鹿でも生きているのだから、魔気に在る程度抵抗のある人間としては負けてられないだろう。本当に気がおかしくなってからでは遅いが、魔気に侵されているかいないかは口うるさい妖精が分かってくれるだろう。
 要約すれば、ここを出て行く気はまだない、だ。
「……ジューダス。う、」
 大きな声で泣き始めた妖精の頭を指の腹で撫でる。
 私には彼女の気持ちが分からないが、それでいいのだと思う。きっと知ってしまったらとても辛い気持ちになるんだろう。
「さぁ、お茶でも飲んで待っているとしよう。食い意地の張ったお師匠様のことだ。良いにおいを嗅いだら、魔気をさっさと出し尽くしてでてくるかもしれない」
 うん、うん、と頷く小さな乙女を抱えて、その場を離れようとした。すると、ミルトが顔を上げて、やっと笑った。
「カッツェが、チョコレートは残して、おけ、だって」
「なら、早く戻って来た方がいいですよ、とお伝えください」
「わかったよぅ」



 そうして、わたしは与えられた仕事とお師匠様あての仕事の一部を黒い扉の外でせっせとこなしていた。出てきたときに叱られないようにしないといけない。
 天才だと自分で言っているが、本当の天才はお師匠様だろう。今まで考えもしなかった視点を教えられる。いやはや、魔に触れているからこその知識とは思うが完全に脱帽である。
 それと、お師匠様がいないということはちょっとした利点もある。禁書が読み放題である。これはかなり嬉しい。
「……言いつけるよぅ?」
「こんな危険な場所で働いているんだ。これくらいの役得は許されてもいいはずだ」
「うーぅ?」
 というわけでせっせと時間が余ったときに読んでいる。
 ミルトを一人にするのは心配なので、お師匠様が部屋に閉じこもってからずっと泊まり込みをしている。もちろんいままで一人だったのだからミルトは平気だと言っているが、心が読めなくても喜んでいることくらい私にもわかる。
 見せかけの安寧の時間に自分が苛立っているのがわかる。先程の仕事も普段なら鼻歌を歌いながら楽々こなすことができたはずだ。
「お仕事大変?」
「新妻みたいな台詞だな。……そうだな。こういう状況にちょっと疲れているのは事実だ」
「しんどい?辞めちゃう?」
 こう弱音を吐くとすぐにそう聞き返すのは悪い癖だろう。――辞めないといって、それでも辞めていった人間達がいたのだろう。
「辞めはしない。ここで辞めても私の居場所がない」
「家族がいるよぅ」
「確かに。だが、わたしは領地を治めるとかいう他人の人生を背負おう仕事はしたくない。……そういうのが苦手なんだ」
「確かに、ジューダスには人を寄せ付けないところがあるよぅ。心が固い。女好きのくせになんか変だよぅ」
 その言葉に苦笑するしかない。
「女を抱くのに別に心まで必要ないからな」
「思いっきり刺されるがいいよぅ!!」
 純真だな。妖精だから当然か。
「相手もそう思っているさ。お互い様だ」
「なんでだよぅ」
「私はこれでも公爵家の一員だからな。地位も名誉も金も才能も兼ね備えているから――何かと便利なのさ」
 付き合っている間のプレゼントは最高級の品だし、あわよくば妻の椅子に座ることができる。
 そういう打算が見え隠れする女達と付き合ってきたし、こちらに結婚する気がないのを察したら楽しむだけ楽しんで貰えるものを貰って去っていく。本気の付き合いなんてしたことがない。お互いに欲求を満たすだけの関係だ。
「むなしくならない?」
「むなしく感じたら、別れればいい。そういう軽い関係だ」
 妖精は納得出来ない様子だが、別に分かって貰おうとは思わない。まぁそのうち領地を与えられるのだろうが、正直管理者に任せて自分は王都で優雅で気楽な独身生活を満喫する予定だ。結婚する気はまったくない。子供が欲しくないのかと言われれば、ノーだ。姪っ子が可愛いのは他人の子供だからだ。自分の子供と考えたらぞっとする。あんなうるさい存在が近くにずっといたらしたい研究もままならない。
「それに、正直舞踏会やら夜会やらが嫌いなんだ」
「なんで?キラキラの世界だよぅ」
「わたしは公爵家の独身男性で有力な婿候補なんだ……甘ったるい化粧の香りとべたべたした視線と、肉の塊に囲まれてみろ、地獄だぞ」
 ペンダントを外し、この前妹に無理矢理連れて行かれた夜会の光景を思い出す。
「……みんな、露骨なんだよ、よぅ」
「うんざりなんだ。母親どものあのしつこさも、ぱちぱちとアホみたいに瞬きしてくる若い娘にもうんざりなんだっ。私は品評会にだされた雄馬じゃないっ」
 あー、と同情的な言葉がでたところでペンダントをかけ直す。
「そういうわけだ。出来る限り私はこの仕事場に入り浸るぞ」
「……う、嬉しいけど、なんだかジューダスの将来が心配になってきたよぅ」
「別に心配して貰わなくてもいいんだが」
「……カッツェにはあんまりそんな話しないで、ね?ね?」
「あぁ、お年寄りには刺激が強すぎるからな」
「うーぅ?……そ、そうだね!刺激が強いよぅ」
「それに叱られそうだ」
「そうだよぅ。カッツェ、怒りの鉄拳がまた飛ぶよぅ!」
 あはははは、と何故か乾いた笑い声が地下室に響いた。なんなんだ、一体。
 ふと、妖精の寿命が人の三倍以上だという事を思い出した。
「ミルトはお師匠様がここにいらっしゃったころからずっといたのか?」
「そうだよぅ。……お姫様に、飼われてたんだけど、カッツェが必要だって言ってくれたんだよぅ」
「……そうか」
 苦しそうな表情。あまりその時のことを聞かない方がいいのだろう。飼われていたという言葉に、その内容が苦々しく浮かび上がる。とにかく、お師匠様がお城に上がられたころより以前にいたということはここには四十年以上いるのだろう。お師匠様は確実に六十は超えていらっしゃる。正式な事は極秘事項で推測でしかないが。
「さて、一息ついたことだし、また仕事にもどるか」
「えー、もぅ?」
 妖精の頭を撫でた。
「あぁ、お師匠様が戻っていらっしゃったときに、少しでも仕事を減らして差し上げたいからな」
 病み上がりのご老体にはあの量は辛かろう。
 あぁ、なんてお師匠様思いの良い弟子、もとい部下なんだ。
 じーんと感動に打たれている自分の隣で、妖精が小さく呟いた。
 その呟きは小さい体に比例していて、私の耳には入らなかった。
「…………やっぱり、ジューダス、なんか勘違いしてるよぅ……」
「?」
「なんでもないよぅ」
 妖精はふるふると頭を横に振って、何事も無かったかのようにスポンジと生クリームの塊にかじりついた。



 ついでに、六日目にして帰還なさったお師匠様は、まず私がまだいたことに驚きなさった。少しだけ喜んでいるようにも見受けられた。
 私が安堵したのもつかの間、お師匠様は六日間に我々が食べたケーキの数々をお知りになり、そして残り物がないことに大変憤慨なさり――痛んでしまうというきちんとした理由にもかかわらず――怒りの鉄槌をお下しになられた。私に。私だけに。
 だが、それがとても軽いものだったということは、頭を叩かれた私にしか分からなかったにちがいない。






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