始まりは耐えてぶが世の習え

05.波瀾万丈学園開始



 落ちている。体は落下しているのに、意識は上昇し続けているように感じる一瞬は長い。
 落ち着け。落ち着け。いつものようにマギナを集めて陣を展開すれば助かるんだ。
 魁は心の中で何回もそう言い続けた。だが、まとまらない。自分が落ちている状況のみが脳に響きわたる。心臓が生きるためではなく恐怖に負けて暴れている。

 い や だ 。
 落下。落下。落下している自分は今落ちている堕ちて落ちて堕ちて落ちて堕ちて落ちて、あの時のように―――!!
 ノイズが走る。ジャミングの音が彼方と近くで二重音。
 落下落下落下落下悲鳴落下落下落下落下落下落下落下落下落下落下悲鳴落下落下落下落下軋むタイヤ落下落下大切な人達落下落下落下落下落下落下落下落下落下落下落下落下落下落下落下落下落下落下落下落下落下小さな手落下落下落下落下落下落下届かない落下落下落下落下悲鳴落下落下落下落下落下落下落下落下笑顔落下落下落下落下落下涙落下光落下落下腕のない手落下落下落下落下落下落下落下落下落下落下落下落下瞳落下落下落下落下落下死んだ魚の落下落下落下落下落下落下落下落下落下落下落下濁った落下落下落下目落下落血下落下落下落下落下落下落下落下落下落下白濁落下落下落下落下悲鳴落下落下落下落下落下落下落下肉片落下落下落下落下悲鳴落下落下落下落下落下血落下落下落下落下落下落下落下落下落下血肉落下落下落下落下悲鳴落下落下落下落下落下海落下落下落下落下悲鳴落下落下落下落下落下

 あぁ、落ちて死ぬだけ。

 光の中で少女が微笑む。


おにいちゃん

 あの時掴めなかったものを思い出しながら、
 魁はとうとう意識を手放した。

 暗転、終了。








 青年は困っていた。
 いつも朗らかと言われる自分の面の皮がとてつもなく分厚いことは分かっている。だが、その厚さを歪ませるくらいに青年は困っていた。
 至福の時に、突然鳴り始めた警報。聞こえた瞬間に封鎖された部屋。早い話が閉じこめられていた。外部との連絡も通じない。外で何が起こっているのかもわからない。――いや、先程から来ている振動で、やっと状況が分かったところだ。――理解には至っていないが。
 この懐かしい振動はレギナ――女王様が働いていらっしゃる余波なのだが、確か、今の時間帯は休止状態なのではなかっただろうか。
 困った。
 何をすればいいのか分からない、指針がない状態は苦手だった。昔より依存症を克服したとは思っているが、突然のハプニングには弱い。
 外は大混乱になっているだろう。他のことに気をそらすことができないくらいには。
 ふむ。と青年は広い菜園の中で一人頷いた。
 菜園。部屋の中は菜園というよりは箱庭の庭園のように緑豊かな場所で、色とりどりの花が咲いている。だが、そこに生息する植物は全て食材となるものゆえに、菜園の方が適切といえる。
 鳥の声こそしないものの、そよ風や、虫たちは存在してあった。
 そこはまさに、失われた過去ののどかな風景だった。今の地上にはこのように穏やかな緑豊かな場所は少ない。
 土壌汚染、流出が激しく、過去に小山と呼ばれたものは崩れ落ちて、それなりの大きさをもった山が今では小山になっている。
 また、驚くべきことに、ここには天井があった。
 そう、青年は部屋に閉じこめられたのだ。
 天井は特殊な蛍光灯―かぎりなく太陽光に近い光を放つ―がついている。

 そんな中、青年は再びしゃがみ込み、スコップ片手に土いじりを再開しようとした。とりあえず、ここにはディフェンサーも来ない。作業の続きでもするとしよう。
 
 作業に没頭している最中に、その目が細められた。その顔には緊張がかいま見える。
 立ち上がり、天井の端を見た。そこには四角の穴が開いている。
 なんだが、とっても嫌な予感がするなぁ・・・
 ごっとんごっとんと音が大きくなっていく。
 そう、まるで、何かが落ちてくるような………

 青年は口でゴム手袋を脱がしながら駆け出した。
 何が落ちてくるにしろ、下には大切な、本当に大切な花が咲いている。温室であるここは季節に関係なく花を咲かせる。そのなかで一番のお気に入りの、黄色の花だった。食用ではない唯一の植物だ。
 大切にしているからこそ、真下に置いたのが裏目に出ている。
 天井は高い。すっと黒い何かの影が。
 受け止める為の陣を錬成する。緑色に【杖】が輝いた。
『開・天使の抱擁』
 陣の展開と同時に力ある言葉を放つと、黒い物体を中で受け止めた。
「あれ?―――こ、」
 子供!?
 ちょっとマテ、と言いたい。動揺し、その子供―髪が長いから少女だろう―を受け止めていた力が乱れる。傾く少女の体。
「うわわわわわ」
 慌てて第二陣を作る。
『開・ちょっとこっちにおいでーー!』
 軽く浮いた少女の体を無事に両腕でキャッチした。
「えーっと?ちょっとまってくださいよ?」
 少女を抱きながら、青年は考え込んだ。
「今、非常事態です。おそらく、起動時間でないのにレギナが起動したのでしょう」
 OKです。
「だから、今、緊急事態で、この建物全体がロックされた状態になってます」
 OKOK。
「さて、この天井の穴は通気口です。ここはマギナの実験場ですので、空気ではなくマギナの通気口です」
 そうですか。
「で、これは聖堂につながっています」
 ですよね。
「……そういえば、今の時間帯って、新入生のレギナ見学じゃなかったかな?」
 すばらしい記憶力。
 そこから導き出される、仮説。仮説は証拠をもって初めて真説となる。
「……証拠は僕の腕の中?」
 だろうね。っと一人問答を繰り返していた青年は、完全に引きつった。そろそろと少女を床――土の面、地面に降ろす。
 その上ではごっとんごっとんごっとんごっとんと、さらなる珍客達の突然訪問を意味していた。それも証拠の一つに加えていいだろう。
 仮説2.まだ、いる。
 青年は黒眼鏡をつけている変わった少女を揺さぶった。
「起きてーーー!避難者は何人いるの!?」
 ここの緊急システムってこんなんだったけー!?
 それでも起きない少女をそっとしておいて、青年は新たな陣錬成を開始した。