章 始まりは耐えてぶが世の習え

01.そしてそれは始まりと



「かつて。そう遠くない『かつて』、英雄がここに立っていらっしゃいました」

 静まり、呼吸の音すらも聞こえるのではないかと思われるほどだった。
 大聖堂のように大きく荘厳な舞台で男は一人、伝導師の様に優しく聴衆に語りかけた。

「我々は過去に過ちを犯しました。母なる大地を穢し、父なる天を濁らせ、その報いを一身に受け止めてきました」

  石油の枯渇による世界の混乱。石油産出地をめぐる争い。先の見えない物価高。地球環境の深刻な汚染など多くの問題に直面した人々は疲弊しきっていた。

「我々は互いを傷つけあい、殺し合い。かつての栄光を夢に見ているだけでした」

 すでに国家というものは名ばかり。中央政府は過去に築き上げてきた科学技術が廃れる前にとブラックボックス―【箱船】に封印し、かたくなに守り続け―その結果荒廃を時代が流れるままにしていた。いつか手にかつての栄華を取り戻すことを虎視眈々と待っているだけ。野放しにされた国民はかつてあった戦国時代のように小国、いやもっと小さな都市ごとに形成される社会を作り出していた。
 かつて首都と呼ばれた東京は荒廃の一途をたどり死都と呼ばれ、大阪は享楽都市、遊都と呼ばれるようになる。そして新たな中心都市として技術都市―技都・名古屋が台頭していった。

「もう日本という国はない・・・・・・そんな状況にまでなっていました」

 音は波紋
 青年を中心として柔らかな波が広がってゆく。そして哀愁の感情がその場を支配した。涙ぐむものさえそこにはいた。治安が良くなってきたのはここ最近で、その爪痕はまだ癒えてはいない。過去というには早すぎ、また深すぎた。

「ですが」
 悲しみに潤む心身を引き締める、凜とした空気がその場を飲み込んだ。青年は視線を遠く遠くに、されど真っ直ぐ前に向けた。優しい口元はほのかにゆるんでいる。見る者全てを安心させる、その微笑みに、暖かいものがこみあげる。
「英雄が我々を助けてくださいました」
瞳を閉じ。
「そう」
ゆっくりと開ける。
「マギナを我々に示してくださったのです」

 マギナ―それはエネルギーに枯渇した世界にもたらされた光だ。長きにわたって世界は資源に飢えていた。マギナは大気中に漂っている新たな一次エネルギーである。
 無色透明無臭、そして理想気体に限りなく近いその物質―と化学の夢物語に近いその物質はしかし確かにこの地球に存在していたのだった。

「夢物語と嘲笑され、支援資金は無駄金と罵倒され、それでも英雄、そして彼の仲間達は諦めませんでした。そしてとうとう我々はマギナを手に入れることが可能となったのです」

 マギナの扱いは難しく一時は開発を断念せざるを得ない状況だった。だが、一人の男―いや一人の少年によってマギナ開発は一気に開花したのだった。マギナは電気を生み、かつての科学を呼び起こすこととなる。

「弱冠、十五歳の少年が世界を救ったのです。えぇ、あなた方と同じ歳ですね」
にっこりと聴衆に笑いかけた。くすぐったそうな空気が聴衆に広がる。
 彼の前で聖堂を埋め尽している聴衆。そのほとんどは子供――十五歳、今年で十六歳の少年少女達だ。

「もうご存じでしょうが、英雄の名は、『神崎 神』・・・・そして彼はマギナは単なるエネルギーではないと発見いたしました」

 本来なら、ここでエネルギーを得て、めでたしめでたしとなるところだが、そうはいかなかった。マギナは確かに物質だった。しかしここで予期せぬ現象が起こったのだ。一部の人間がそのマギナを生身で自在に操ることが出来ることが英雄の発表でわかったのだ。

そう、マギナとは魔力と呼ばれて等しいものだったのだ。

つまり、【魔法使い】という人種が生まれたのだ。英雄もまたその仲間達も 【魔法使い】だったからこそ、マギナを理解し、開発できたのだった。

英雄―神崎 神
道化師―城野内 條太郎
美技師―橘 桜
癒天使―九鬼 マドカ
風霊の使―水無月 千里
剣神―速水 健一
地賢者―小田桐 史

英雄達の名前を読み上げ、最後で青年は少し照れた表情を見せた。それだけでぐっと少年のように幼くなる。彼の肩書きに畏怖を感じる以上に親しみを感じた子供達の目に憧憬の光が強くなった。
「マギナ、その新しき力は今もなお世界に新たな波紋を広げています。マギナは魔力、しかしそれは無尽蔵に大気から得ることができる力・・・・・・。力を暴力と誤解した人々が現れ、さらなる・・・いえ、更に悪い状況が生まれてしまったのです。マギナは圧倒的な力。使えぬ者と使える者のたった一字の違いが大きな格差を呼び起こしてしまったのです」

“新しき力を生身の人間が使える”という事実を知ることで、そのマギナを使える者達が続々と現れた。少数だ。しかしその数は無視できる規模ではなかった。

 その力を思うがままにふるう暴徒と化した【魔法使い】達を統制するためにもう一度英雄とその仲間達が立ち上がった。彼らは力を合わせ、統制機関【ガーディアン】を設立したのだった。

「『ガーディアン』その紋章から通称『盾』は英雄達の先導で再びこの世界に安寧をもたらそうと日々努力に努力を重ねてくれています」

そう、全て上手くいく。英雄のもと、全てが順調に進み、真なる平穏が実現できると信じられていた。期待していた。

六年前、までは―――

 始まりは天使、九鬼 まどかの離脱だった。彼女は別れを告げ、追いすがる手を振り払い、どこかに消えてしまった。

 そして、こともあろうか英雄が消えた。別れも告げず、突如としてその行方をくらませた。理由は分からない。憶測と混乱だけが世間に飛び回った。

 そして、六年後の今。
 英雄はいない。突如姿を消したまま消息も理由もわかっていないままだ。

 英雄がいなくなって残された彼らは違う道を歩んでいった。

 ある者は英雄の後を追い、英雄の帰りを待つ者もいた。そしてまたある者は死んだ。
 混沌の社会の中に置き去りにされた国民もまた英雄の帰りを待ち望んだ。


 誰もが尊敬を捧げ
 誰もが羨み
 誰もが信頼していた英雄を。

 彼は人知れず姿を消したことで誰もが混乱した。
 誰もが失望した。
 誰もがまだ彼を信用していた。

彼がいなくなってから、また暴力と理不尽が横行し始めた。
彼がいるからこそのささやかな安寧が失われた。


誰もがそう、誰もが元ある安寧を求めていた。


「彼がいなくなって、六年。様々な混乱がこの世界を覆い隠そうとしています。それはあまりに愚かで、あまりに悲しいことです。英雄が去ってしまった。しかし、それを理由にしてはいけないのです。僕たちが僕たちの楽園を創ってゆく・・・・・・それが英雄が去ったこの世界で必要なことなのです」
一息。
「僕は、未来の苗床である皆さんに、自分に誇りを持った人になってもらいたい。マギナを扱えることに自惚れるのではなく、力を持った者としての責任と自覚をもった人間となって、この世界に平安をもたらして欲しい」

 いなくなった英雄が残したものが二つある。
先ほどのガーディアン。これは魔法使い達だけでなく、都市の治安維持にも手を伸ばすこととなった。

寂しげな微笑みを浮かべたまま、最後に青年は告げた。
「ここは、そうあれと子供達に平和をと願った英雄がのこしたものなのですから」
ここで皆さんの幸せを切に望みます。

そして、そう、ここだ。英雄達がマギナの研究を行っていた研究施設を増築と改築を重ねて作った、ここだ。技都名古屋の奥地にある、国立ルトベキア学園。

理事長の代理となったルトベキア学園理事、小田桐 史は己の名を告げて、割れんばかりの拍手に包まれながら一礼し、舞台から去った。