始まりは耐えてぶが世の習え

05.波瀾万丈学園開始



「ホントに、どうなっているんでしょうか」
 青年はそう言いながらも頭の方まで血は上っていない。どれだけの人数がここに落ちてくるのか、だいたいの見積もりに誤差を追加して、想定する。
 通気口は途中から狭まっている。一気に人が来ることになったら、中でつまってしまう。
 ゆっくり降ろしてゆくか。
 じっくりと考えたわけではない。かつて戦場にいたこともある彼にとってそれは肌が覚えている感覚だ。
『開・舞い降りろ天風』
 風が、草花の合間を走り抜け、下から上へ、通気口の中に流れ込む。密の高い風が子供達の落下音を少なくさせた。
 青年は、個々の子供を対象とするのではなく、通気口に存在するもの全てを浮き上がらせた。ここまではいい。今度は少しずつ制御の力を弱めていく。ゆっくり、ゆっくり、と通気口のなかの空気を降ろしてゆく。天井から床までは3メートル以上ある。少しでも気を抜けば、それだけで大けがになりかねない。
 通気口から小さな影が見えた。無事だろうか?先の少女のように気を失っているだろうか?ここは地上から意外に遠い。極限状態にあれば、気絶、最悪でショック死していても不思議ではない。
 固唾を飲み込む青年の耳に、第二陣の声が聞こえた
「わーい。浮いてる!浮いてるよーーー!すごーーぉい!うふふーうふふー!」
 降りてきたのは少女というか幼女だった。そこに恐怖は欠片もなく、満面の笑みで、はしゃいでいた。こちらの恐怖も知らずに。
 …………青年は、一気に脱力した。マギナの制御が緩み、
「むきょ!?」
 落下速度が倍増した。


 急に上から風が吹いた。と感じた瞬間に体が浮いていた。その変化に思わず声を上げる。
「うひゃ」
「…………どうやら、下に上級使がいるみたいね」
 燐の上にいる桐子が呟いた。この棟は学園の管轄ではないので、詳しいことは知らないが、元々研究所だったところだ。マギナに精通した人間がいたとしても不思議ではない。そういうことを燐達に伝えた。
「じゃ、もう大丈夫なんですね」
「そうみたい。ごめんなさいね、こんなことになって」
 本当にすまなそうな声に、逆に燐は慌てた。
「別に先輩が謝る事じゃないです。先輩のせいじゃないんですし」
「それにここに飛び込もうといった先輩のおかげで助かりますわ」
「……ま、ギリギリだったけれどね」
 桐子の声は小さかった。
「でもいきていられまぁぁぁすぅぅぅぅ!?」
 グンッと落下速度が上がり、言葉がそのまま悲鳴になった。
「うっそ、ぬか喜びなのぉぉぉぉぉぉ!?」
 途中から、真っ直ぐだった穴が曲がった。
「痛っいったったーー!」
 角度が急な滑り台を滑っていく。席無しジェットコースターは、どこまでも続いているような錯覚をもたらした。ごつんごつんとあたる尻が痛い。それに、
「服がすり切れるっ!!」
 せっかくの新しい制服なのにーーー!!

 いやーーーーっとジェットコースターが中途半端に苦手な燐は、絶叫をあげていたが、いきなり宙に放り出された。一気に視界が明るくなり、目が一瞬効かなくなる。
『開・雄風天来』
 男の人の声、と認識する前に、燐の体は柔らかく浮いた。燐はタイミングを見計らって、地面に足をつけた。
「ここは――」
 緑、緑、緑。眩しいほどの緑に、目を細めた。周りを見回すと、出会ったばかりの同級生達が嬉しそうな顔で、思い思いに無事でいられたことを喜んでいる。自分が出てきた穴を見れば、桐子が最後に出てきた。
 助けてくれた人にお礼を言おうと、つなぎを来た男の人に近づいた。使い古されたつなぎは所々土の色がこびりついている。
 ――どこかで、見たような、顔。だが、つなぎを着ているし、傘を被っているので顔はよく見えない。とりあえず、桐子先輩が最後と知ってほっと肩の力を落としていた。
 だれだろうか。そう、思ったときには答えが横からでていた。
「――史お兄様!?」
「――静流ちゃん?」
 静流がその人に駆け寄った。桐子が顔を一瞬引きつらせた。
「あぁ、大変だったね、静流ちゃん。大丈夫だった?」
 あ、それと入学おめでとうございます。
 あたまの傘をとると、にこにこと暖かい笑顔が見えた。それは、朝、入学式で仰ぎ見た顔だ。
「お、小田桐史様―――!!」
「小田桐様だにゃーー!」
「六柱が一人だにょーー!」
 後ろで桐子がおそれおおいとばかりに一歩うしろずさった。双子達はわかっているのか分かっていないのか、はしゃいでいる。
「えっと、上級生かな。一応全員いるか、確認してくれませんか?」
 スーツからつなぎ服に変わっていても、その柔らかい物腰には変化がない。
「は、はい!直ちに!」
 慌てて、桐子が人数を数える。だが、あの緊急事態で何人がレギナに残っていたのか正確な数は分からない。
「もうしわ、け、ないのですが。外部、に連絡を、取ってい、ただけないでしょうか」
 かちんこちんに緊張している桐子の言葉に、史はぽんと手を叩いた。
「それもそうだね。でもここの回線も多分繋がらないから………あ、でも彼がいるか」
 ふむふむ、とひとり納得して、壁に埋め込まれた装置に番号を素早く押していく。
「それにしても、びっくりしたよ。一体、なにがあったの?」
 英雄の六柱の言葉に、どういったものか、困惑が広がる。だれも前に出て、言おうとしないので、他の人よりも面識のある静流が答えた。
「それが、わたくし達がレギナの見学をしているときに、突然レギナが動き出したんですの」
 史が訝しんだ。
「レギナが、突然?誰か、変なところを触らなかった?」
 全員が首を横に振るのを見て、ますます史の眉が八の字になっていく。
「………――――ふむ。調査、しないといけないね。すみません。せっかくの入学の日なのに、怖い思いをさせてしまいました」
 賛同しようにも、わざわざあの六柱が謝ってくれていることに生徒達は戸惑うばかりだ。
 電子音がし、史は電話を取った。
「もしもし、健ちゃん?君のところの生徒さんが、僕の研究室に落ちてきてるんだ。迎えにきてくれる?―――おちついてよ。みんな、無傷って訳じゃないけ――大丈夫だよ、擦り傷とか打ち身くらいかな?一応検査した方がいいとおもうけど―――うん。まってるね」
 受話器を置いて、みんなの方を向いた。
「大丈夫。すぐに先生が来てくれるそうです」