始まりは耐えてぶが世の習え

05.波瀾万丈学園開始



「小田桐史様の研究室に落ちたー!?」
 異常な展開に開いた口がふさがらない。いや、死を認めたくなかった、桐子達が生きていたことは嬉しい。とても。
 だが、その実感が湧くよりもえらいところに落ちたという驚愕の方が早かった。
「そのようだな。お前達二人だけ付いてこい。残りの者はここの生徒達を外まで無事に送り届けるように」
 携帯電話をなぜか懐になおし、速水は指示をした。これから行くところは許可を持っている人間しか行くことができない。速水は壁についている認証装置に次々に番号を打ち込んでいく。ランプが赤から青に変わったときに、あ、と思い出したように早口で指示した。
「二人とも、一歩後ろ」
 え、と聞き返したときにはすでに遅し。急に開いた壁が蠅叩きのように横並びしていた悠と雅人に直撃した。
「すまない。そういえばここはこんなんだったな」
 桜さんの罠はまだ生きていたか。
 速水はそこはかとなく嬉しそうだった。
「…………ひ、ひどい……」
「なんだありゃ!おもしろいな!」
 衝撃で軽く吹っ飛び、倒れている二人をよそに、開いた扉からエレベーターに乗り込んだ速水はしれっと告げた。
「何を遊んでいるんだ?はやくしないと閉じるぞ」
 遊んでいるのは貴方でしょう!とは口が裂けても言えない悠だった。


「悠!雅人!」
「ユウユウ〜!」
「まっさ〜ん!」
 駆け寄ってきた桐子達を見て、悠はほっと息をついた。自然にこぼれた笑みは、男女を問わず魅了した。一年生のとくに女の子がほうっとため息をついた。
 双子達はそれぞれ悠と雅人に勢いに任せてしがみついた。同級生というよりも、パパのお迎えに来た娘のようだ。
「このちんちくりん!心配かけさせやがって!」
「まっさんが心配だって!?」
「神経あったんだ!」
 んだと、こらぁ!!
 いつもの調子できゃーきゃーと騒ぐ双子を雅人はもみくしゃにしている。
 一方、桐子と悠は一年生の人数確認をし、その合計と全員の数が同じであることを確認した。
「よかった、無事で」
「命からがらって心臓に悪いってよく分かったわ」
 幼なじみである二人は互いに無事を喜んだ。
 そして、速水は小田桐のところに行っていた。
「久しぶりだね、健ちゃん」
「…………」
 コクコクと肯く速水。
「まさか、こんな風に再会するなんて思ってなかったよ」
「…………」
「あ、ちぃちゃんは元気?ここにはいないの?」
「……」
「そっかぁ、まったくちぃちゃんも六柱なのにねぇ。そぅかぁ…………ん?」
 心配そうに見下ろしている速水に、小田桐はにーっこりと笑顔を返した。
「大丈夫だよ。ちょっとだけ上に頼んでみるよ。健ちゃんには迷惑かけないから、ね?」
「……………」
 なぜか速水は視線をそらした。
「もー、健ちゃんは心配性だなぁ!」
 良い子良い子と小田桐が、手を伸ばして背の高い速水の頭を撫でた。速水は若干顔をしかめるものの為されるがままになっている。
 それを眺めていた生徒達は、信じられないものをみるように、動揺していた。
「………なぁ、悠。なんで会話が成立してんだ?」
 代表して呟いた雅人に、悠は首を傾げた。
「というより、なんで速水先生は喋らないんだろう?」
 桐子も参戦する。
「六柱同士のテレパシーとか」
「なら、小田桐様も喋らなくていいだろ」
 それもそうだ。
 不思議な言葉のキャッチボールを続けていた小田桐と速水だったが、なぜか生徒全員に注目されていることに気づき、苦笑した。
「まー、健ちゃっ……速水先生の癖だから、気にしないであげてね。普段はちゃんと喋るから、ね?」
「…………」
 コクコクと隣で速水は頷いた。小田桐は、悠と雅人の顔を見て
「えっと、英雄の再来君達だね。頑張っていますか?」
 悠は苦笑した。
「え、いえ、そんな。再来だなんて、まだまだですよ。小田桐様がそんなことを言うものですから、皆が真に受けるんです」
「俺は別にいいけどなー」
 お前はちょっとは謙遜しろ!!
 悠の拳が雅人の頭に落ちた。
「あはははは。ん、でも君たちになら相応しいと思うよ、僕は」


「ほえー、六柱の二人が揃ってるわね」
「あら、でも水無月先生がいらっしゃれば三人ですわ」
 燐と静流は皆の輪と少し離れたところにいた。気絶したままの魁の付き添いをしているのだ。
「全然起きないわ、大丈夫かしら?」
「桐子先輩は大丈夫だと仰っていましたけど」
 うん、そうだけど。
 燐は血の気のないままぐったりと横になっている魁の頭を撫でた。呼吸は安定しているようだ。言ってみれば、体調が悪かった彼が壁にぶつかってくれたからこそ自分たちは助かったともいえる。怪我の功名とはこのことだ。
「それにしても静流にはびっくりしたわ。小田桐様にいきなり史お兄様って呼びかけるんだもん」
「お父様のお仕事の関係上、ちょっとお付き合いがあったんですの。それに昔、病気になったとき、良いお医者様を紹介していただきましたの。わたくしにとっては恩人ですわ」
「ふーん……あぁ、そういえば、昔聞いたかも」
 幼なじみ同士の二人は、お互いの家庭の事情を大体分かっている。昔、殆ど一緒に遊べなかった時期を燐は思い出していた。
「あの時期ね」
「はい」
「んっ」
「魁!?」
 うめき声が聞こえた。撫でていた手の下で、頭が跳ねた。
「うわぁぁぁぁぁぁっ!!」
「うひゃぁ!」
 がばっと上半身だけ起きあがった魁は肩で息をした。何かを探すように右、左と辺りを見回した。
「今、何時!?仕事ってか飯っ……え、あれ」
 魁の目の前に、黄色のお花畑が広がっていた。
「…………うっそ、入学早々、天国昇天!?」
 やばい!エンに引きずり下ろされる!!
 激しく動揺している魁の肩を叩いた。
「か、魁、落ち着いて!大丈夫よ、ちゃんと生きているわ」
「へ!?君、誰………………………」
 燐の顔を凝視したまま、固まった。なにか必死に考え込んでいるのがはたから見ていてわかる。
「大丈夫、ですか?魁君」
「っぁあ!燐!新堂燐さん!で、君が静流!相川静流さん!……………だったよね?」
 指で指しながら、恐る恐る記憶の確認をした。
「そ、そうよ、魁。私達、無事に助かったんだよ」
「そうですわ、貴方は魁、水澤魁君ですわ」
 魁は胸に手を当てて、大きく深呼吸をした。
「あー、びっくりした」
「私達もびっくりしたわ……」
 魁はずれた眼鏡を押し上げて、今度こそちゃんと辺りを見回した。
「ここ、外?……じゃないみたいだね」
 四方にある壁に、首を傾げた。
「うん、実はね……」
「目を醒ましましたか?」
 燐が説明をしようとしたところで、小田桐達が魁の奇声を聞きつけて近寄ってきた。
「君が上から降ってきたときには心臓が止まるかと思いました」
 入学式を半分眠りこけていた魁にとって、小田桐の顔は記憶の端でどこかでみたことがある人程度のものだった。六柱の顔はさすがに知っているが、それはよく知られている若い頃のものであり、今の顔とは重ならない。内心、この人だれだろうなーでも偉い人なんだろうなーと思いながら、魁は引きつりながら答えた。
「す、すみませんでした……」
「いえいえ。あ、そうだ」
 小田桐は横手にあった、黄色い花を数本摘んだ。手早くまとめて、持ってくる。
 その花は魁のお気に入りの花だった。つい、顔が綻ぶ。
「ルトベキア、ですね」
 黄色の花、その中心は赤茶色。太陽が輝くような形をしているその花の名を告げると、小田桐も穏やかに微笑んだ。
「はい、ルトベキアの花言葉は"正義"――同じ名のこの学園で学びながら、それを貫けるような人に、なってくださいね」
 そう言って、小田桐は魁にルトベキアの花束を渡した。魁は最初、とまどったが、ここで断るのも失礼だろうと自分に言い聞かせて受け取った。
「では、貴方はルトベキアのような人ですね。ルトベキアの別の花言葉は"鮮やかな態度"ですから」
 魁の言葉に、小田桐は破顔した。周りは魁の言葉に顔が一斉に引きつった。気がついたのだ、魁が"小田桐史"と気がついていないと。
 小田桐は座っている魁に手をさしのべた。後光が差すようなその態度に、魁はたじたじである。魁はその手をとって、立ち上がろうと腰を浮かせたとき、
「波瀾万丈な始まりとなってしまいましたが――入学、おめでとうございます、お嬢さん」
「………………………は?」
 燐と静流の顔から血の気が一気に無くなった。
 正気を疑うような目つきで見ている魁をよそに、小田桐はにこやかに続けた。
「女の子なのに、顔をよごしてしまってすみません」
 ゾワワワワワッ
 魁の精神汚染警報が鳴り響き、そして羞恥で顔を真っ赤にさせて、小田桐の手を振り払った。まってー落ち着いてーという観客の心の叫びもむなしく、魁は全身を使って叫んだ。
「僕は、お・と・こ・だ!!!」
 このド変態っっっっっ!!!!!



 その後、平謝りする小田桐に一発殴ろうとする魁がもみくちゃにされながら皆に取り押さえられたのは、言うまでもない。
 こうして、水澤魁の波乱の学園生活は始まったのだった。


第一章・始まりは耐えて忍ぶが世の習え