章・語らぬは己がの強さか弱さか

01.譲れないもの


 

 後ろは壁
 目の前には…ハサミ。

 どうしよう。ピンチです。

 ハサミをチョキチョキならしているのは燐。
 この上なくにんまりしている。
「かーいー? 髪の毛切ろうねー? 」
「いーやー!! こ、これだけはだめなんです! 」
 燐は逃げる魁を引っ張り押さえ付けた。
 魁が暴れてなかなか定まらない。
「ちょっと! 動いたら禿げになるわよ! おとなしくしてて! 」
「だめだって言ってるのに!? 」
 おだまり。
 高圧的な声が魁を縛った。
「いろんな先生に文句つけられてるじゃない。先生の受けが良くないと後々面倒よ? 」
 さぁ切ろう、切りましょう、切ってしまいましょう。
「やめろって!」
 いいかげんにしろ!
 あまりの魁の怒りに燐と静流は戸惑った。
「……なによ。なんか理由でもあるの!?」
「・・・・・」
 急に黙りこんだ魁に燐ははさみを振り上げる。
「だってしょうがないじゃない! そのぼさぼさの頭をどうにかしないと、本当にやばいよ!? 」
 心配してるのに!どうして分かってくんないのよ!
「魁さん。理由があったら、いってくださいませんか?」
 静流がおずおず、聞いてくれる。

 でも、魁は。

「……理由は、言いたくない。」
 燐の血管が切れる音がした。
「いいがげんにしろ!ばか!」
 こうなったら実力行使だ!
 燐の身長は160p。
 魁の身長は153p。
 押さえ込める!

 それは偶然だった。
 燐が降ろしていたハサミを掲げた。
 魁が逃げようと身をかがめた。
 燐が逃がすまいと足を引っかけたとき。

 燐のハサミが
 倒れる魁の髪を挟んだ。


 チョッキン




 魁の髪、一房が10p、切れた。




 沈黙が三人を重くのしかかった。
「ぁ、あはははは。ごめんなさい。」
 燐は乾いた笑い声のあとすかさず謝った。
 魁は何も言わなかった。ただ呆然と我が身から離れた髪を見ていた。
「魁、さん?」
 静流が魁の肩に手を置こうとした、その時。
「……もう、いい。」
「え?」
 小さくて聞き取れなかった。
 すると魁は静流の手を払い、燐に髪を投げ付けた。
 抗議の声をあげようとするのを魁の声が遮った。
「満足か?」
 低い、怒りを帯た声。
 いつも、のらりくらりしている時と迫力が違った。
 魁は本気で怒っていた。
 どんなに、からかわれても馬鹿にされても怒らなかった魁が、怒った。
「人が大切にしてたものを壊して満足か」
 決して目を合わせようとしなかった。
 下を見て、じっと拳を堅く握る。
 二人は息を飲んだ。
 こんな魁は初めてである。
 魁はなにかを言おうとし、少し躊躇った後そのまま踵を返して教室をでようと背を向けた。
「っっ待って! 魁!」
 燐が慌てて魁の腕を取る。しかし、その腕はぴくりともしない。
「……速水先生に呼ばれてるから」
 その手を離せ。
 言葉には出ていない命令形。それが燐の胸に突き刺さった。

 魁はいつも他人と一線を引いていて
 誰も彼には近付けない。

 言葉が出ない。
 魁は燐の手を振り払い、そのまま行ってしまった。
「……魁の、ばか!」
「燐さん」
「なんなのあいつ! そんなに嫌なら理由を言えばいいに。なんでいってくんないの!?」
 怒り狂う燐は静流の制止も聞かずに叫んだ。
「もう、知らない!静流、帰ろう!分からず屋に構ってる余裕なんて、」
 うぁ、涙がこみあげてくる。
「ないんだからぁ……」
 おえつまじりの強がりが精一杯だった。

 一方、魁はあまりの怒りに周りが見えていなかった。
 頭をめぐるのは髪が切られたことのみ。
 切られた切られた切られた!!
 この髪はずっと伸ばしてきたものだった。
 この髪は切らないと決めたものだ。
 それを少しではあるが切られた!!
 それはあの人との約束を汚されたのと同じ事。
 ちくしょう。
 知らず知らず唇をかみしめていたのか血がにじんでいた。
 強く舌打ちする。
 ちくしょう。



 鍛練所に来たがまだ速水は来ていなかった。
 放課後、五月の風はひんやりと、されどどこまでも優しく、薫風の名にふさわしい。
 風が魁の長い髪を通る。ささくれだった心は黒眼鏡の奥に隠された。
 はぁ。
 怒りを持続させるには魁は大人すぎた。急速に熱が冷めていく。
 やばいな。
 魁は周りに誰もいないことから素に戻っていた。
 今回のことはどう考えても自分が悪い。
 他人の持ち札は探し暴くのに自分の持ち札は決して見せない。
 その昔からの習慣がでてしまった。
 最後に叫んでいた燐とうろたえていた静流の顔が浮かんだ。
 ……燐、泣いてなかったか……?
 記憶の端、視界の端に映った燐は、唇を噛み締めて、心なしか目が潤んでいた。
 ぐぁ、最低だ。俺。

 だ、だ、だが、どうやって謝ればいい?
 ジョーカーに聞いたら爆笑されるからダメだ。エン――魁の主治医――がいるが後々ゆすられそうだ。いや、聞きたくてもそもそも連絡先さえ分からない奴もいる。
 あとは……いない。現実問題、聞ける相手がいない。
 魁は頭を抱えた。
 なんて、狭いんだ。俺の交友は!!

 ……俺から謝るのは無理だ。こんな喧嘩したことないし!友情経験値低すぎるよ!

 少し考えたあと、あまりにも情けない決断を下したのだった。



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