章・語らぬは己がの強さか弱さか

05.終末の月夜


 


 白い廊下のあちらこちらから血の臭いが充満していた。
 生徒会執行部の迅速な対応、そして避難のおかげで怪我人はこの事件の大きさに比べれば少なかった。
 しかし、ガルムを研究していた機関には壊滅的被害をもたらした。
 人的にも。
 そして、一番その機関に近かったエレクトロ搭にいた生徒や教師。
 基本的に彼等は機材を扱う仕事上、魔法としてマギナを扱うことを不手とする。
 あとは処理に当たった監督生達、警備隊、そして、たまたま不運にもガルムと出会ってしまった人間。
 医療搭は、ヒーラーに属す最終学年生や力の強い生徒達を呼び集めて治療にかかりきりだ。

 かなり軽傷だった静流と寿人は廊下の椅子に毛布にくるまって座っていた。
「あの……」
 しばらくして静流が恐る恐る声をかけた。
「先ほどはありがとうございました……」
 それを、静流が外にでるのを手助けしたことだと解釈した寿人は視線を静流に合わせないまま答えた。
「別に、お前のためだけじゃない。」
 静流は淡く笑った。
 お前のためだけじゃない……それは暗に静流のため、も含んでいた。
「でも、やはり先生方には私が貴方を無理に誘ったと言いますわ。」
 本当のことですから。
 桜花に入った直前胸騒ぎがした。
 先生達の目を盗んで外へ―燐と魁を探しに行こうと決意した。
 なんとか廊下にでたものの出口には先生達が張り付いていた。
 困った静流に声をかけたのが寿人だった。

 後は頼み込んで頼み込んで、かなり寿人は嫌がっていたが最終的にはめくらましの術をかけ、二人で外にでた。

「俺も外に出ようとしていた」
 しばらくしてからの寿人の告白に、静流は寿人を凝視した。
 居心地が悪そうに寿人は口を尖らせてそっぽをむいた。
「だから、言わなくていいだろ、別に」
 人に責任押し付けるなんて、剣崎家の恥だ。
 苦虫を噛み潰したように言い捨てる。
「どうしてですの?」
 驚きはそのまま声になった。
「どうして、剣崎君は外に行こうとなさったんですか?」
「相川には関係ないだろ」
 渋る寿人に静流は躊躇った。
「そ、う、ですか。」
 二人はこの数ヶ月、顔を見合わせたことはあるがまともな会話したことはない。最初が最初であまりいい初対面ではなかった。
 静流は、この少年が苦手だった。
 関係ないと言われればそれで終る。それに助けて貰ったのは静流の方なのだ。寿人には借りができた。
 肩を落とした静流と不機嫌な寿人の間に重苦しい空気が流れた。
「あ、いたいた」
 そんな彼等の上に比較的明るい声が降ってきた。
 顔をあげると黒髪が肩まである女生徒が寄ってきた。
 両手には湯気のたったコップ。
 佐竹 桐子だ。
 彼女とは面識がある。
「佐竹先輩もお手伝いを?」
 桐子は軽く笑った。
「えぇ、人手が足りないから」
 桐子は手に持った二つのコップを二人に渡した。
「どうぞ、コンソメスープよ。」
 二人は礼を言って、口につけた。
「温かい……」
 寿人は何も言わなかったがその両手はしっかりとコップを包んでいる。
「貴方達、友達が心配なのはわかるけど、勝手に外にでたらだめじゃない」
 水無月先生に会ったから運がよかったけど。
 そのことを散々速水に叱られた二人は苦笑いするしかなかった。
 桐子もそんな彼等を見て、苦笑した。
「で、誰かしら。調べてあげるわ。」
 どうしたって心配なものは心配だものね。
 それには寿人が答えた。
「水澤 魁と新堂 燐です」
 桐子は彼等の名前を聞いて顔が明るくなった。
「あぁ、彼等ね。大丈夫よ。水澤君の治療には私も参加したの。今は寝てるわ」
 そして、桐子は静流の隣に座って、静流に迫った。
「ねぇ、水澤君って、やっぱり特進でも成績良いの?」
 静流達は目を見張った。
 今、先輩はなんといった?
「佐竹先輩、あの……それは新堂さんではないんですか。」
 桐子は怪訝そうな静流に視線を送った。
「えぇ、水澤君……あのちっちゃな子。」
 魁が聞いたら、激しく机に頭を打ち付けそうな言い回しをさらりと言った。
「あの子、凄いわね。まぁ入学式のときから変わった子だとは思ってたけど」
 本当にそう思っていることが、その声には含まれていた。
「あの、それは…どうしてそう思うのですか?」
 桐子は不思議そうにしたが快く答えた。
「新堂さんを襲った砲撃を水澤君が打ち破ったの」
 見事、としか言いようがなかったわ。

 悠をかばって砲撃の前に身を晒した燐。
 当たる、誰もがそう思った。
 しかしそれは突如現れた魁が放ったマギナが打ち破った。
 まさに電光石化。
 そして雅人が砲撃を放ったガルムを破壊するのと、マギナ濃度の急激な変化に伴う暴発があった。
「もう、私なんかあれよあれよに終わったんだけどね」
 桐子がなかば興奮して話した内容は―普段の魁を知っているだけに―信じれないものがあった。
「それは、本当ですか!?」
 声をあげたのは―寿人だ。
「本当に水澤がそんなことをしたんですか」
 やはり彼も信じれないのだろう―いや、彼の場合“信じたくない”かもしれない―と横目で寿人を見ると―

 その瞳は輝き
 その頬に血が通い
 その口は緩み

 それは喜びの表情。

 静流の中で急速に違和感が明確な形をなしていく。
 彼は“魁が嫌いではないかもしれない”ではない。
 彼は“魁を嫌いではない”のだ。
 あれほど、落ちこぼれやらチビやらオカマやら悪口をたたき、無理難題を押し付けるというのに。
 では何故あれほどまでに魁につっかかるのか。
 静流は最初、寿人は燐が嫌いだからその連れである魁をいじめているのだと思っていた。
 しかし、“魁が強い”という評価を聞いた、彼のこの表情はなんだ。
 これは、喜び。
 これは、誇り。
 大切なものが正当な評価をされたときの喜びだ。
「男の方って分かりませんわ」
 ぼそっと呟いた。
 
 そして寿人は事細かく桐子にその時の状況を聞いた。桐子も愛想よく答えていたが最後にこう付け加えた。
「あのね、この…水澤君が活躍した話、みんなには内緒にしておいてくれるかしら」
「どうしてですか?」
「…ラボ爆発って水澤君の…せい、なのね」
 桐子は八の字に眉をよせた。
「あそこまでする必要がなかったわけですし。そう、上に報告しちゃうと、ポイントがマイナスになると思うの。それに弁償も一部負担してもらわなくちゃいけないんだけど……」
 でもね。
 桐子は微笑した。
「彼は勇気を見せてくれた。その勇気のお陰で新堂さん…相良会長が助かったのに、お礼じゃなくて処分なんてあんまりでしょ。」
 だから内緒にしようって生徒会できめたわ。
「ラボ破壊は雅人……北條君がしたってことになるわ。」
 あの人なら、ありうるから。
「でもそれでしたら……」
「それに、生徒会って優遇されてるから、賠償もほとんどないしね。」
 これが最良の後始末よ。
 桐子は念を押して、持ち場に帰っていった。

 桐子が見えなくなってから、静流は寿人を見た。
 もう既に喜びの顔はない。
「でも、魁君がそんなに強い方とは知りませんでしたわ。」
「あの先輩が言ったことを疑うのか?」
 優越感が伺える。
「そうではあらませんが…」
 くちどもる静流。
「……あの、一つよろしいですか。」
 うなだれた静流。
 寿人には頭しか見えない。
「なんだよ。」
 許可をとった事で静流は顔をあげた。
「何故、そんなに嬉しそうなんですの?」
 寿人は小馬鹿にしたように鼻をならした。
 それはまさにいつもの―静流が知っている寿人だった。
「俺のどこが嬉しそうなんだ。」
 眼鏡、直したらどうだ。
「私の眼鏡は伊達ですわ。先ほど魁君が誉められたとき、どうしてっ」
「何で、この俺があいつが誉められたからって喜ばないといけないんだよ。」
 その分かりきった嘘をどうどうと吐く。
 静流は絶句した。
「私は見ましたわ。貴方はとても嬉しそう…誇りにしているようなっ」
「相川、いい加減にしろ。お前は俺に借りがあるはずだろ?」
 怒った声で脅されたが静流は果敢に答えた。
「質問をしていいとおっしゃったのは貴方でしょう。」
 寿人は肩をすくめた。
「お前が聞きたいことがあると言った。それを聞いただけで、答えるなんて言ってない。」
 静流は声を失った。
 なんと人を馬鹿にしたことか!
「………寿ちゃんは子供ですわね。」
 その小声を寿人の耳が拾った。
「誰がだ。」
 静流は頬を膨らませた。
「屁理屈がお好きなようですから。…寿ちゃまは」
 より馬鹿にした呼び方に寿人の血管が浮く。
「猫被りさん」
 血管が沸き立つ。
「インケンな方」
 顔を引きつらせながら寿人は静流の肩を持った。
「お前の方が…!」
 静流の目は座っていた。
 止めの一言が放たれた。
「セクハラですわ」
 寿人は凶暴な顔を引きつらせながら手を放した。
 静流は肩に付いた異物―寿人の手―のあった所を払い立ち上がった。

 座っている寿人を見下ろした。
 普段、優しく穏やかに輝いている瞳は―冷たく厳しい。
 その瞳の強さを寿人は正面から受け止める。
「私には貴方が魁君に好意を抱いているように見受けられましたわ。」
 その言葉に、寿人は何も返さない。
 瞳と瞳の間で火花が散る。強く、大きな。
 静流は構わず続けた。
「なのに、どうして貴方は魁君をいじめるんですの?」
「ムカつくから。」
 互いに視線をはずすことはない。
 真剣勝負だった。
 先にはずしたら、敗けだ。
「何故です。」
「理由なんてあるわけないだろ。」
「嘘ですね。」
 静流は断言した。
 それは―はっきりとした形ではない。
 しかし、彼には自信を持って言うように顎をあげる。
「私は貴方は燐さんをからかうために魁さんをいじめるのだと思っていました。」
 でも今はそうは思わない。

 彼は―嬉しそうだった。

 なのに、いじめるのは―。
「貴方は本当は―」

 視線は一つに交わり
 彼等を繋ぐ

「魁君とお友達に、仲良くなりたいのではありませんか。」
 私達が邪魔で、仲良くできなくて腹が立つのではありませんか?


 寿人の瞳が大きく揺れた。


 しかし声はかすれることも、震えることもなく、
「馬鹿か。そんな訳ないだろ。あいつと仲良くなって俺に得することがない。」
 そのいつも通りの様子に静流の方が動揺した。
「……友達は、利害で付き合うものではありませんわ」
「でもそれが全部じゃない。利害で決める部分もある。」
 お前は自分を陥れる人間と友達になるか?
「話をすり替えないでください。」
 この人は何を考えているのかわからない。
「…貴方はどうして。」
 寿人は立ち上がった。
 一転して寿人が静流を見下ろす。
「お前には関係ない」
「では誰に関係があるのですか?」
「……質問ばかりだと馬鹿に見えるな」
「ならば馬鹿となりましょう」
 そしてそれは馬鹿の質問を答えれない方も馬鹿ということですわね。
 睨み合ったのはほんの一瞬。しかしその一瞬は長い二人の心の戦いだった。


 先に口を開いたのは寿人だった。
「賢い人間がしつこい馬鹿に何をするか。」
 それは、
 寿人は顎をあげ、嘲笑の表情。
「相手にしないことだ。」
 そう言い放ち、歩き出す。
 慌てて静流が追いかけようとするが、
「返しておけ。」
 寿人が持っていた毛布が静流に覆い被さる様に投げ出される。
 それは狙い通りに静流の視界を塞いだ。
 急に暗転した世界に静流はとっさに対応できなかった。
「ちょっ、剣崎、君!」
 毛布を剥ぎ取り、視界が開けたときに彼の姿は見当たらなかった。
 毛布の―寿人のせいでくしゃくしゃになった髪を押さえ、静流はその場に座り込んだ。
 強がっていた緊張が今とけた。
「怖かった……」
 遥かに背が高い寿人を見上げるのも、眼鏡ごしだけれど視界を合わせるのも。
 寿人が押し付けた毛布を握り締め、うなだれた。
「上手く、誘導できると思ったのですが…」
 まだまだ自分は修行が足りません。
 だが、寿人の真意を知りたい。

 立つ力が抜けても、
 握り拳の力だけは抜けない。

 ……これからどんどん魁君には剣崎君にからんでもらいましょう。
 いつか、ボロが出るかもしれませんわ。
 ふっふっふっふ。

 彼女の中に、放っておくという選択肢は何故かなかった。
 そして、魁君には申し訳ありませんけど、と付け足すように呟いた。