問いかけの先は全て無の空に

02.過去の幻影に魅せられる 


 授業は無事に終わり、ベルが鳴って昼食の時間を知らせた。

 生徒達は久方ぶりの家族との食事に向かって、食堂に連れ立っていった。もちろん、魁達も例外ではない。
「すみません。私はこれで」
 静流は父親と二人で食べる約束をしていたので、ここでお別れだった。
 初老にさしかかった厳しい目の男性の腕を取り、行ってしまった。
「燐は、どうするの?」
 魁の問いかけに、燐は固まった。
 あの、例の、メイドさんは今、いない。
 燐は燐で世話役はもう午前中に帰ってしまった。
 彼は彼でいろいろと忙しいから仕方がない。

 つまり、二人っきりだ。

 い、いや別に二人っきりだからといって、べ、別に意識する必要はない。
 全くない。

 そう思うこと自体が意識しているという確固たる事実に彼女は気づいていなかった。
 魁と二人っきりになるのはあの事件以来なのである。あの時から、燐は強く魁の事が気にかかった。

 魁の意外な過去にも驚かされたし。
 素顔を見せてくれたことは、本当に嬉しかった。
 ……まるで、自分が魁の『特別』になれた気がしたし。

 ん?

「……特別、ってなによ?」
「……へ?」
 一瞬、固まった。
 話が見えない魁の驚いた顔を見て、自分がいつの間にか声に出していたことに気づく。
 っうわ。
 顔に急に血が上る。一体コレはなんなんだ。
 燐は慌てていった。
「い、いやほら。そ、う、今日の特別メニューなんだったかなぁって!」
「あぁ、成る程。わかったけど」
 燐はお家の人と食べないの?
 最初の質問に戻った。
 邪気のない顔だ。
 ……彼は自分の事をどう思っているのだろう?

 例のあの時、むやみやたらに抱きついてしまったことを燐は後になってからのたうち回って恥ずかしがったというのに。彼は恥ずかしがることもなく、いたって普通だ。
 なんだか理不尽な気がした。
 自分ばかり、あたふたして。

「……燐?起きてる?」
「え、あ。うん。ばっちりよ!」
「えーっと?」
「え、っと私のところはもう帰っちゃったから一人よ!」
 さぁ、行きましょう!
 う、うん。

 勢いに任せて拳を振り上げ意気揚々と食堂に向かっていこうとした。
 その時、後ろから魁の蛙がうめくような声が聞こえた。
「魁?」
「魁様v お食事ですv」
 魁にのしかかる様に抱きついている人がいた。
「じゅ、淳子さん。重い」
「お、乙女になんていうことをーーー!!」
 淳子、ショックですー!!
 オーバーリアクション甚だしい嘆きのポーズ。口にハンカチをくわえなくてもいい。
「そう思いませんか!燐様ぁ!」
「え、あ?その?」

 ……結局、三人で食べることとなった。

 なんか、残念とか思っているのは何故?
 ふと、苦笑が広がった。



 えー天におわします神様。こいつを永久追放するにはどうしたらいいでしょうか?

 差し出されたのはスパゲティーを巻き取ったフォークの先。
「魁様。はい、あーんv」
 微笑むのは最高級のDoll。
 その名は淳子。
 中身は正真正銘男属性のジョーカー。

 うわ、殺してぇ。

 目の前の燐も呆然と成り行きを見ていた。
「魁様?あーん?」
「淳子さん。止めてくれる?」
 切れるな、俺。頑張れ、俺。
 淳子ショックーな顔されても…
 っていうか遊びすぎだろ!!!!!
 燐が希少動物を見るような目で、呟いた。
「……魁ッてこんな事してるんだ。」
「ご、誤解だよ!」
 淳子さんがふざけてるだけだから!
「そうなんですよー。人前では恥ずかしがってますけど。ねぇ?」
「淳子さん? 嘘いわないでね?」
「嘘じゃないですよ?」
 は?
「二年くらい前は喜んで食べてくださったのにぃ」
 魁様、反抗期?
「……………魁って……」
 燐の顔は引きつっていた。
「燐! そんな戯言信じないでよ!」
「本当ですよ! 嘘はいけません!」
 嘘の固まりのような奴が吐くなぁぁぁ!!!
 よくぞ、そう叫ばなかったものだ。すごいぞ、俺。

「二年前は不可抗力でしょ!僕の利き腕壊れてたんだから!」

 今思い出してもはらわたが煮えくり返る事実。
 こちらが腕を使えない事を良いことに、この男は人の食事の皿を奪っていったのだ。
 しかもなかなか食べさしてくれないし!

 怒りにまかせて魁は次のセリフを言ってしまった。

「しかも、結局食べさせてくれたのは、兄さんだったじゃないか!」



"しかも、結局食べさせてくれたのは、兄さんだったじゃないか!"

 そのセリフを言った瞬間。
 魁はやってしまったと、顔をしかめた。
 淳子さんは淳子さんでまったく、そう。まさに人形のように無表情になっていた。傷口に塩をすり込んだような、泣き出しそうな衝動をおさえるような、二人の変化。

 それほどまでに心を縛る人を私は、知らない。
 それほどまでに死を悼む人を私は、知らない。

 流れた沈黙はとても痛々しいもので、部外者の私がどうにかできるようなものではなくて。
 次の瞬間、いつもならむかつくその声に私は感謝すらした。

「はん。メイドなんて一昔の人間がよくいたな。さすが、とろさナンバーワンの男だ」
 時代にすら追いついていない。

 そう憎まれ口を叩いたのは、長身の少年。剣崎寿人だった。
 返却用窓口にトレイと食器を返すところだったらしい。

 ギクシャクしていた空気が動き出す。
 らんらんと目を輝かせ、淳子が握り拳を構えた。
「何言ってるんですか?メイドは男のロマンですよ!」
 いつの時代だって出現可能です!!
「淳子さん。真顔でそんなセリフいわないでください」
 しかも握り拳付き。
 二人のかけあいに、寿人はくっと喉をならした。
「主人が低脳だと下も同程度らしいな」
「……主人って。僕じゃないよ」
 同意を求めるように淳子に視線を送ると。
 何を思ったのか、両手を頬に添えて、瞳にはお星様がきらりと輝く。
「御主人様……」
「母星に帰って」
 一刀両断した魁は寿人に向き直った。
 全然堪えてない二人の様子に、寿人は心なしか顔がこわばっている。
「ぇえっと。まだ何か用事ある?」
 それは相手にかまっているようで、その実まったく相手にしていないと示す言葉。
 ぎゅっと眉間に皺をよせた寿人は突然魁の胸ぐらを掴みかかった。皿が机から落ちる。彼が言葉ではなく行動で示すのは初めて魁に会ったとき以来のことだった。
「ふざけるな」
「っつ!」
 背の高い寿人に引き立てられ、魁の首がしまる。
「いつもいつもヘラヘラしやがって、むかつくんだよ。落ちこぼれが」
「ちょっと! 放しなさい!」
 燐が立ち上がるのを見て、寿人は嘲笑した。
「女に守られて、いい気なものだな」
 自分のことを自分で守れなくて、何がソルジャーになりたい、だ。
 キツイ言葉に、魁の眉が跳ね上がった。
 黒眼鏡の奥から鋭い視線を放った。寿人はそれを愉快げに正面から受け止める。
「はぁん?どうした。悔しかったら、振りほどいてみろよ」
 その言葉が終るやいなや。魁はふっとんだ。
 燐と――寿人の目がみはられる。寿人の手が中途半端な形で固まっていた。

 魁を吹き飛ばしたのは淳子の拳だった。

「あ」
 赤くなった顔をそのままにし、魁は淳子が駆け寄るのを手で制した。
「……淳子さん。駄目でしょ」
 てめえはDOllなんだから。
 力強すぎ。
 音にならない言葉を瞳に込める。

「申し訳ございません、魁様」
 ですが、主の敵はとりますわ。

 悠然と寿人に立ち向かう淳子。
 寿人も値踏みするように淳子を睨み付けた。
 淳子は背筋を伸ばし、腹から声をだし、

「人の大事なショタッ子になにするんですか!」
「あんたの発言が一番イタイよ!!!!!」
「淳子さん!?そんな趣味が!」
「アホか」

 緊迫の場が崩れたが、魁が泣くことには変わりなかった。もうやだ、なにこれ。

「……何をしている。寿人」
 収拾のつかない状況に、深く低い声が水をさした。
 いつのまにか寿人の後ろに男が立っていた。
 やっと40を過ぎたあたりの男だ。高級なスーツを着こなしている。父親にしては若く思えた。
「――父上」
 寿人がばつの悪そうに顔を歪めた。
 だがそれも一瞬で、すぐにいつもの傲慢なものにかわる。
「喧嘩か」
「まさか。僕は落ちこぼれと遊んでいただけです」
「ちょっと! あんた、いい加減にしなさいよ」
 声をあらげた、燐に寿人の父親が目を移した。
「これはこれは、新堂財閥のお嬢さん。お久しぶりですね」
「……ええ。お久しぶりです、おじさま」
「そちらは……」
 そして、魁に目を向けた。
「あ、僕は……」
「ただの落ちこぼれです。父上が気になさるような者ではありません」
 寿人が魁の前に進みでて、会話を遮った。
「父上、次の授業は移動しますので、早くいきましょう」
 そう促して、寿人はさっさと行こうとした。
 父親は魁を値定めするように眺めた。
「……あんな子ですまないね。よくいっておくよ」
 そのまま魁の言葉を待たずに行ってしまった。
「……おやおや。親も礼儀が成ってませんわね。謝りもさせないとは。魁様、あの子にいつもイジメられているんですの?」
 メイドスペシャル、かましましょうか?
「お願い。止めて」
 もう、意味判らん。
 魁は、すっかり食欲を失っていた。