問いかけの先は全て無の空に

02.過去の幻影に魅せられる 




 一瞬。
 手が振り払われた。予想だにしなかった展開に、おもわず声がでた。
「―え」
「―あ。…ごめん」

 舞い落ちた困惑。淳子が渋い顔をした。

「すみません、燐様、静流様。わたくし、魁様を連れて行きますので、先生にお伝え下さい」
 返事も受け取らないまま、魁の腕を引っ張ってさっさと行ってしまった。
 その二人の背中には、何か侵しがたいものがあった
「魁君、大丈夫でしょうか」
「う、うん。」
 強く払われた訳ではないのに、手が痛かった。
 同じだ。
 燐は魁の背中を見送りながらそう思った。
 死別の痛みを見た、あの昼の時と。

 それは、燐には侵しがたい境界で。

 胸にもやもやとしたなにかが、漂ったまま。いつしかそれが固まりそうな不安を抱えたまま、燐は静流と一緒に授業に戻った。


「新堂、水澤の保護者は、まだいらっしゃるか」
 授業終了の礼が終わったあと、速水が燐に声をかけた。
「あ、保健室で水澤君の側にいるとおもいます。」
「あぁ――そうか」
「あの、」
 水澤君が何か、したんでしょうか。

 魁は確かに剣術が不得手だが、保護者にいいつけるほどは悪くないはずだ。一応、特進クラスなのだし。
 そんな燐の杞憂を速水は苦笑で否定した。
「いや、単に水澤の特別授業について話すだけなんだが」
「補習、ですか?」
「あぁ、水澤は補習の方をメインにしているから、一応報告せんとな」
 いつもいつも魁が速水のことをいい先生だと言っていた。燐自身も良い先生だと思う。不器用で寡黙だが、信頼できる人だと思う。
「淳子さん、呼んできましょうか?」
「燐様のためなら、地獄の底からでも這上がり☆」

一時停止

「う、うひゃあぁぁぁ!?」
 突然の淳子の登場に燐の悲鳴が響き渡るのも気にせず、
「呼ばれて出てきてぽろぴろぱー!」
 スーパーメイド、淳子さーん。
「ただし、家事はできません!」
 てっへ☆
「なななな何、言ってるんですかー!」
 意味不明ですよー!
 そして目を見張る速水を前に続けて叫んだ。
「せ、先生!えぇっと、その淳子さんは素敵なメイドさんではありますが、ちゃんとした脳みそは多分きっとおそらく持っているかとおもわれたりー!」
 なんでわたしがフォローしなくちゃいけないんでしょうか!?
 パニックを起こしている燐をよそに、速水は表情一つ変えずに答えた。手を顎に添え、
「スーパーメイド、萌子の真似か。懐かしい」
 直後。燐は視界が闇に落ちたのを感じた。意識と同時に速水に対する尊敬度が急降下。
 そんな燐の精神的状態を知ってか知らずか、二人の朗らかな声だけが脳に届く。なにか語り合っているような気がするが、気のせい、気のせいデスとも。えぇ、気のせいなんじゃないかしらーー!?
 処理されることなく、否、届く内容の理解を忌否され、そのまま外へと流された。

 そして、恰も夢から目覚めるような感覚と共に意思が戻ってくる。

「――っああああ!落ち着け自分!頑張れ自分!」
 私は正常路線を突っ走るわ!
 視界が開けたその先の、男女の視線はまるで珍獣を見るような色合いで。
「大丈夫か」
「保健室?」
 燐は拳を握り、瞳は潤んだ天を目指し、響きわたる。
「り、理不尽だー!!」



「昔いた馬鹿が見てたんだな。旧世紀の番組」
「はぁ」
 脱力に見舞われた燐は肩を落とし、目の前の人物達を見た。
「御主人様(美少年)が、迫りくる悪の組織から狙われていてー」
「少年を守るべく動いた特殊部隊の一人の萌子がメイドとして少年のもとに送り込まれてくるんだが」
「萌子は包丁よりも日本刀の扱いが上手なの」
「はぁ」
 頭が溶けそうな内容だ。
 それだけは分かる。

「…、ま、まぁ。そのことは横に置いといてですね」
 こめかみをゴリゴリ押しながら燐は淳子に言った。
「先生が、淳子さんに魁の事で言いたいことがあるそうですよ」
淳子は真顔で聞いた。
「淳子に一目惚れですか」
「魁君のことなのですが」
何事も聞かなかったように速水は続けた。燐の速水に対する尊敬度が上がった。
「剣があわないっということもあって、主に補習をメインにしているのですが、」
一度、区切ってから、
「魁君は、昔に腕を怪我したことがありますか?」
燐の顔がこわばった。
「っあ。」
「一度だけ。」
まるで、今までの奇行を疑わせる様な真面目な雰囲気である。
「それが、何か。」
「いや、あの。こう、」
腕をばっと伸ばし、掴む仕草をした。
「放りあげた剣を掴み取る動作があるんですが。いつもほんの少し遅れましてね」
 本人は分かっているようですが、
「それがまた辛そうな表情で気になったものですから」
淳子は苦笑した。
「さすが剣神と詠われた方ですわね」
剣神の名に、速水の顔がこわばった。瞳に冬空の色。
「――昔のことです」
 それを見て、ジョーカーは想う。かつて、初めて出会ったときと同じ瞳をしている。
 ―あぁ、こいつも引きずっているのか。
 あの過去を…英雄と八柱が前線におったあの頃を。
「腕を壊したから、動作が遅れるのではありません。嘗てあった誓いを嘆いて、それを心がかたくなに拒否しているのです」

 あぁ、変わらない。
 ジョーカーは、いや城野内 條太郎は儚い喜びを噛み締めた。
 この阿呆は実直で、誠実で、余りにも正直で。
 あのころのままで。

「魁様は、護れなかったのです」
 だからこそ言おう。
 だからこそ託そう。
 抱きしめることも、
 撫でてやることも、
 声を掛けることすら、
 できなくなった自分だから。
「腕を伸ばし、護ると誓って、手を握り、」
 昔から、不器用で、見守ることを選択し続けた男に。
 今、一番大切な者を。
「最愛の名を捧げた方を」
 ですから、その行為を心が啼くのですわ。




 最愛の名を捧げた…
 その言葉が燐の頭を叩いた。
 腕を壊してしまったことではなく。
 その一言が。

 燐は呆然と淳子の顔を見た。
 速水は渋い顔をしている。
「愛と呼ぶには、幼すぎますけれど」
 その微笑は透明で
「幼いからこそ、純真で、今もなお魁様を縛り続けます」
 剣神様。
「魁様をどうぞこれからも宜しくお願いしますわ」
「  」
 淳子は何か言おうとする速水を遮った。
 気遣いは無用だと、笑窪をつくる。
「では速水様。魁様を縛り上げて吊り下げて?根性棒でしばき倒して、
強制的真底入れ替えプログラムで、淳子様が世界で一番素敵ですぅ、マダム!!と言えるようにしてやってくださいまし」

 風が吹いた。
 夏だというのにどこか冷たい。速水と燐の表情は機能を停止したDollに似ていた。


 自働人形は囁いた。


「……魁様のツッコミが欲しいですの」
 関東って恐ろしい!