章・過去が眠る楽都市で踊り狂え

01.ただいま、素晴らしき故郷



 表があれば裏がある。
 そんな簡単な常識はこの都市にだってあてはまる。暗く湿った、悪臭たちこめる下水道に男が一人走っていた。背中には大きな麻袋を担いでいる。
 走る度にはねあがるヘドロが薄汚い裾を暗緑色に変えていった。音はどこまでも反響し、闇に吸い込まれてゆく。ときおり、麻袋が不自然にうごめいた。
―まるで生き物がもがいているように…・・・

 男は時折振り返り、辺りを見回した―誰もいない。男は口をしっかり閉じた麻袋をぬめりてかる苔とカビの上に慎重に置いた。そして何もない錆び付いた壁に上半身をくっつける。耳を不衛生な壁に押し当て、片手で壁を軽く叩く。叩く音があるリズムを刻む。

 そして男は手を止め、目は麻袋から外さずに耳を傾ける。

 ある一定のリズムが内側から刻まれる。男はまた軽く別の拍子で返事を返し、体を壁から放す。麻袋を背負い直し、待つ。
 すると壁に線が現れそれを追って溝ができる。男は心得たもので、他よりも厚い溝に汚れた深爪を食い込ませ、横に引っ張った。壁が徐々に開き、淡い光が溢れる。そこには似た姿の男が待ち構えていた。門番は麻袋を確認し顎をシャクって入るよう指示した。
 男の顔にやっと安堵がでる。男は麻袋を持持ち上げ、光の中へ―されどさらなる闇の中に入って、消えた。

 子供は売れる。特に少女は需要が尽きることはない。
女郎屋に売ることも、またそういうしこうの持ち主にも売れる。なによりそのお零れを預かることだってできる。どうせそこらへんにころがっている餓鬼だ。売られるにしろ、しないにしろ、その行く末なんてそう変わらない。
 少年もまたしかり、だ。
少女達ほど需要はないにしろ労働力として買うものもいれば、少女達と似たような道にいかされるときもある。

 そしてここの組織ではそんな普通とは違った特殊なルートがある。

 人体実験の被検体だ。

 薬物なども含まれてはいるが特にマギナが人体に及ぼす効果を手っ取り早く知る為の実験。生かさず殺さず、そして狂い死ぬまでの消耗品。
 まだまだ未知数であるマギナ。それを独自に研究する研究者や、それのパトロンの資産家が都市の闇には時に堂々と歩いている。

 まだ、生きていられる女郎屋、『宿』の方がましというものだ。

 男は奥の部屋に入った。太った看守に麻袋を見せる。ぶよぶよの黒い油の染み付いた指で麻袋を広げ奥にはいっているブツを出した。
 それは13、4歳ぐらいの少女。顔は青ざめ、目はしっかりと閉じられているが整った顔である。ばさばさの髪は彼女の細い体を覆うように―守るように広がっていた。看守はその薄汚い指で少女の顎を掴み、顔を丹念に見る。ひびわれた唇がもう少しで少女の肌に触れそうになった。
「上玉じゃねぇか。」
 これは『宿』に売った方がいいな。
くぐもった喉の震えは笑いなのだろう。お下がり、いや味見を期待したのだろう。それは水の滴る下水道に反響し、さらに不気味になる。
「だろ?金寄越せよ」
 地下で話に飢えていた看守はすぐに帰ろうとする男に不満を感じ、鼻で笑ってぞんざいに札束を渡した。男はすぐに数える。
「っち。しけてんな。これだけかよ?」
 看守はしげしげと少女を見たまま、言い放った。
「別に餓鬼を連れてくるのはお前だけじゃねぇ。文句があるなら、取引はなしでもいいんだぜ」
 顔をしかめ、唾を吐き捨てた男はまた来ると言い残して元来た道を引き換えした。

 看守はげひた笑み―といえる顔ではない―を浮かべて、目を固く閉じ、手を祈るように組んだ少女を引き立てた。唇は乾き、震えている。
「ほれ、来い」
 奥に進むコンクリートに覆われた廊下。突き当たりには排水のためのパイプがむき出しになっている。看守は一番奥の扉に少女を無理矢理引き立てた。重々しい鉄板の扉を開き、少女を闇の中につきおとした。

 そのときになって初めて少女が悲鳴をあげた。

嫌、ここから出して、
私を助けて
嫌、いやぁぁ!

 その声の響きの良さに男は快感から来る醜さを一瞬さらけだし、扉を閉めた。

 後は少女のすすり泣きと完全な闇だけが、あたりに残った。




 しばらくして、少女の目が暗闇に馴れて周りが見えてくる。そこは、本来倉庫だったのだろうが今は牢獄だった。ヘドロと湿った空気。苔が壁の所々に生え、壁の大部分が腐食し、不自然な色のコントラスト。窓などなく、光はただドアから漏れてるのみ。
 その隅に彼等はいた。上は15、6歳。下は…10歳にも満たないのではないだろうか。栄養が足りてないのは彼等の小枝のように細く、血管や骨が浮き出た腕や足を見ればわかる。……もう少し年は上かもしれない。
 新しくきた少女を彼等はあるものは無感動に、またあるものは同情を。決して喜びの色はない。
「…貴方達…誰?」
 か細い声が疑問を発した。彼等は答えない。
「…君こそ」
 最年長であろう少年が答えた。恐る恐る少年にしがみついていた幼女がその手を放し、新しく来た少女の手を取る。
「おねーちゃんも、さらわれたの?」
 痩けた頬、バサバサに乾いた髪。唇はひびわれ生きているのが不思議なくらい、細い。しかし、その舌足らずな言葉は、だけが、彼女が本来可愛い盛りの少女であることを示していた。
「あのね、さらもね、つれてこられたんだよ」
みんな、ここにいるんだけど、
「つれていかれるこもいるの」
 さらは新しく入って来たお姉さんに訴えた。どこにそんな力があるのだろう。握り締めた手は固く、白い。
 少女はその小さな少女を抱き締めた。
「大丈夫。ここから、逃げるよ」
 その内容に残った8人が苦笑した。もう、そんな希望は持っていない。週に一回、数人が連れていかれる。戻ってきたものはいない。逃げようとなんどもしたが、すぐに見付かる。
 巧く看守の目から逃れられたとしても出口は一つ―自分達が入ってきた、魔法で開閉する扉。いったい、これでどうやって逃げろと言うのか。無責任に、そんな希望を持たせるようなことを言ってほしくない。
「にげるの?」
 少女達は顔を寄せあった。まるで大切な内緒事をはなすように、クスクス笑った。
「そう、逃げるんだ」
「いい加減にせぇや。逃げれるわけないやん」
 さらよりも少し年上の少年が顔を赤くして言った。
「おれたちは、うられるんや!みんなみんなしぬまでずっとしばかれるにきまっとる!」
 少女は笑いも怒りもせずに少年を見た。
「だいたい、こっからでられへんやん」
 目に、涙が集まる。
「もう、おわりなんや!」
 その悲痛はその部屋に緩慢な痛みを引き起こす。自分達が行く先、そこがどんなところか…幸せにはほど遠い。
 さらも笑っていたのにみるみる泣きそうになる。よく意味はわかっていないだろう、しかしこの場を支配するこの感情のうねりは感じとれていた。
「言いたいことはそれだけか、軟弱者」
 新しく来た少女は一人、無頓着に言った。
「こんなとこ、さっさと逃げるぞ。さら、もちろんみんなも」
 にっと少年のような笑みをする。それはこの暗闇にさす一筋の光だった。
「おれのいってることわかっとらんやろ!」
 少年の憤りの声に少女は眉をひそめた。
「お前、男だろ?しっかりしろよ」
「な!!」
 顔に朱が走る。少年がつかみかかろうとする。その前に少女は手を広げた。暗闇にかかわらず、淡光が現れる。その中心の少女は神々しい。
『開・沈黙の檻』
 キン―
 少年達は暗い天井に走った光を見た。殴りかかろうとしていた少年も足が止まる。金属音と共に青白い光が天井の端にともった。

 少女は溜め息をつく。そしてしっかりと少年を見据えて、少年だけではなく絶望の瞳を持った少女達に向かって響きあるアルトでつむいだ。

「あんな、テメエらの無力具合なんざ知るかよ、だ。無理?無駄?」
はっと笑った。
キン―
 光が向かいの角に向かう。
「誰かが希望を 気合いを 夢を語っているときに他人が邪魔すんなってんだ」
キン―
 光は部屋全体を区切るように走る。
「自分が出来ないと思ったから 出来なかったからといって他人にもできないなんてあてはめんのは心がちょっとせますぎるんじゃねぇの?」
 キン―
 最後は長く、尾を引き
「立てよ 立て 立って進め!その先に何があるかなんて誰にもわかんねぇんだ」
進むしかねぇだろ。

 カンー
始まりの場所に戻った。
「自分だけじゃ無理なら!差し伸べの手があれば取れよ!託せる肩があるなら託せよ!」
 それは恥じゃなくて―共にあるということだ!
少女の言葉で締め括られた。
 呆然とする子供達を尻目に少女、いや少年は薄いスリップドレスを豪快に脱いだ。
「うわぁ!」
 特に少年達が叫び、目に手を当てるが…指の間から黒いものがみえるのだからさほど意味はない。脱いだ下はきちんとタンパンが履いてあったが―その上は、薄い盛り上がりを隠すブラジャー。
 いきなり脱ぎ出した少女ははらはらとみんなに見られながらも羞恥心はなく、惜し気もなくそのブラに手をかけた。
「わーー!!っあ?」
少女は半目で呟いた。
「目隠し意味ねぇだろ」
 片手にブラの紐をひっかけて回す。
そのブラに隠された胸は真っ平だった。
 少女はあぐらをかいて座る。あんぐりと口と目を大きく開けた少年達。
「お前、男だったのか!」
「当たり前だ、ボケ!」
気持悪いことぬかすな。
 少年は本気で叫んだ。
 だから女装は嫌なんだ。どうみたって、俺は男だろうが……!ぶちぶちと文句を言いつつ、ブラのパットが入れられたところを歯で破ると中から器用に折り畳まれたサングラス、もう片方からは超小型の通信機と懐中電灯。
 サングラスをこの暗闇の中でかけ、気にすることなく最年長の少年に通信機と懐中電灯を投げた。
 少年は慌ててキャッチしたが、展開についていけない。突然目に突きつけられた希望に恐る恐る手を伸ばす。
「お、おい。本気で逃げるのか?」
「当たり前だろ。アフターケアもばっちりだ」
明かりがほしいな。
ふっと手をかざすと陣が広がる。
『開・導き照らす蛍』
 弾け、蛍光が部屋の全貌を晒した。
「おにねーちゃん、まほーつかい?」
「あぁ。そんなもんだな。ってかおにいちゃんだ、お・に・い・ち・ゃ・ん!ねーちゃん属性はいらねぇよ、さら。って、ほかに拐われてるやつらっているか?」
 少年はさらの頭を撫でながら、部屋の位置関係をざっと見回した。
「…いや、いないと思う」
 看守がここ以外に向かっていたことはない、と付け加えた。少年は渋面でスリップドレスを着直し―これしかない―発信器を預けた少年に話しかけた。
「じゃあ、お前が隊長な。みんなを先導していってくれ。その通信機が地上まで案内してくれるから」
 少年はカフスを耳に取り付けた。
「ジョーカー、こいつらの案内まかせた」
『んー。分かった』
 高く軽い男の声が少年の持っていた通信機から聞こえた。少年達は彼の周りに集まる。
「俺達、ほんまのほんまに助かるん!?」
「あぁ、ほんまのほんまのほんまだ。それが俺の仕事だしな」
 そう自分で言っておいてから気が付いたようにきちんと皆に向かって挨拶をした。
「天照、number00。ランクAAA、ジン。人身売買組織グールの壊滅および子供達の保護に参りました」
 優雅で自然な仕草で胸元を探るがはたと動きを止めた。
……やべ、身分証明書忘れた。