章・過去が眠る楽都市で踊り狂え

01.ただいま、素晴らしき故郷



「な、んだと?」
 少年は軽く肩をすくめた。冗談めかすその余裕が北川の神経に障った。しかし少年の言葉には耳を疑った。そして最悪で最悪のさらに最悪の事態だと分かった。
「天照のエージェントだ。人身売買組織グールの破滅と子供の救出の依頼があったんでね」
「だったらここにくる必要ないだろ?」
「あんた、馬鹿?供給を潰しても需要があったら、また違うところで供給するところが出てくるだろ」
アフターケア第二弾ってね。
 天照―それは昔、賞金稼ぎの大元だった。しかし今では金と依頼があれば全て請け負う、卑しいなんでも屋。それはかつての話だが、天照を気嫌う者にとって攻撃できる過去の汚点だ。
「いっ一体誰が、ここを!」
 ふらつきながらも立ち上がった。頭から血が引き、膝頭は震えている。そして目はぶれながらも少年を見た。
 まさか、こんな少年が、エージェント?エージェントの資格が取れる歳―確か16歳―にまだ達していないのでは?
 そういうわけで北川はこの少年がエージェント補佐であると考えた。正規ではない、と。
「た、頼む。身のがしてくれ。後、少しで研究が終るんだ!」
 こんな少年にすがりつくなんて情けない。分かっている。しかし、今ここで捕まるわけにはいかない。
 聞かれもしていないのに北川は研究内容を暴露した。その話を少年は表情一つ変えないでただ北川が言うのに任せていた。少年は呆れ果てているのに北川はどんどん己の研究に酔っていった。
「わかるだろ?これは大きな発展なんだ。この研究が発表されたら、多くの人々が救われるんだ!分かるだろ!身のがせよ!」
 北川の主張は熱く壁に反響した。少年は微動だにせず、口は閉められたまま。北川は反応のない少年に焦燥に駆られる。
 そうだ。
 呟いて北川は分厚い財布を取り出し少年に押し付けた。
「ほら、沢山入っているだろ?」
 札入れから札束が見え隠れしている。しかし、少年が口にした言葉は彼の希望から遠く離れていた。
「あんたこれで子供買う気だったのか」
 ―っつ。
背筋が凍るほどの、怒りだった。こんな子供に気圧されている。
 少年は続けた。
「…あんたは、みんなを救いたいと言ったけど」
 つんと鼻につく刺激臭のなか、
「この子達は、“みんな”じゃないのかよ」
 少年は片手を掲げた。
『開・姿を示せ、灯』
 部屋は、その全貌を現した。



 横一列に並べられた筒状の水槽が部屋のほとんどを埋めていた。パイプが床に壁に天井に這い回り、密林のように鬱蒼としている。
 時折、水から空気が逃げる音が鈍く響いた。
 筒状の水槽―培養液に満たされたそれの中に、彼等はいた。
 異形、そんな単純な言葉の重みがそこに乗し掛っていた。ある少女は右腕が彼女の胴周りより膨れ上がり、その爪先よりも長く垂れ下がっている。
その手は節くれだち、爪は醜く変形している。ある少年は髪のない頭―額から膨れ上がり、サッカーボールよりも大きな瘤がただれている。あるものは内蔵が飛び出しあるものは顎が突き出て―人を食い破れそうな牙が上下二対のびていた。あるものは、あるものは、あるものは・・・・・・・・!
 吐気がする。鼻に皺を寄せ、怒りに目を輝かせ、されど少年の声は冷たく静かに紡がれる。
「なぁ、一つ言う。俺には彼等が―治療されていたと思えない」

 実験。
 内側からの肉体強化
 遺伝子を組み換えたりする事で出てきた異常。


 少年はもう一度言った。
「なぁ、これで、誰が救えるんだ」
 これは争いの力じゃないのか?
 北川は後ずさった。
 これは本来の研究からは外れた研究、実験だ。自分はあくまで今後の資金調達をしただけだ。もちろんその実験結果を買ったところがどんな風に応用するかは知ったことではない。自分は本来、医療に貢献する研究をしているのだから文句を言われる筋合いはない。北川はそう、思った。未来を考えれば疚しいところはない、と。こんなこと些細なことでしかない。
「彼等は協力してくれたんだよ」
私が悪いんじゃない。
「救うべき人々は別にいるんだ。私が救うべき人々は、別にいるんだ!こいつらは私の偉大な研究の礎になってくれたのだ。いいじゃないか、素敵じゃないか。ただ裏路地で、犯罪に手を染めて、くだらん人生の後のたれ死ぬようなやつらばかりだよ。そんな命を有効活用してやったんだ。何かをなすときには必ず犠牲がでるものだ。彼等はその犬畜生な命を、偉大な犠牲になることで昇華させたがっていた。私はそれを手伝ってやっただけだ!」
 滅茶苦茶に喚き散らした。己の正当性を語りぶちまけ拳を振るう。

 少年は−何も言わなかった。

 そっと培養菅に触れ、漂う、痩せっぽっちな子供を見た。彼の目は開いていた。

 それはいつか見た色。

 唇を挟み、歯がこすれる小さな音。

 昔々、幼い少女の瞳。

 死んだ魚の濁った瞳――
 こみ上げるものがあった。熱く熱くジンの胸を焦がし衝動を突き上げる。
「何かを為すためには犠牲が必要、か」
 少年は数十人のたゆたう子供達を背に―かばうように、背負うように―立ち、長身の北川を、見る。
「でも、こんなことをしたら駄目ってことぐらい、こいつらでも知ってるよ」
 少年は渡された財布を北川の顔に叩き付けた。北川は顔面蒼白、口は細かく震え、意味をなさない音をつむぐ。正しい正しい。ワタシハタダシイ。

 外で急にブレーキを踏む音がした。その数は次々に増え、人が突入してくる。
「俺は善良な一市民だから、ガーディアンに通報させてもらったよ」
 北川はくわっと目を見開き、少年を押しのけて扉に走った。その動きは腰を抜かしていたとは思えないほど敏捷で、往生際が悪かった。少年はただ声を紡ぐだけ。

『開・束縛』
 北川の体が硬直し、受け身を取れずに床に落ちた。
『開・沈黙』
 唸り叫びの形を口は動き、喉が動くが空気を振動させることはなかった。
 少年は這いつくばった北川に背を向け、閉めきられた窓を開ける。風が入り、死臭立ち込める部屋を清めた。

 少年の口から流れた音色は虚しく――

「っここか!」
 扉から飛込んできたのはがたいのいい男だった。
 ガーディアンの制服―白色のコートを纏った三十代前半の男は、北川に視線を飛ばした後、すぐに少年を見付ける。赤黒い顔が、さらに赤くなる。
「また、お前かー!!」
 鼓膜が破れそうな大声に、北川は真っ白になり、そのまま気絶し、目の前も後も文字通り真っ暗になった。


「おじさん、今晩は。今日もお仕事お疲れ様」
 へらへらと笑う少年、ジンに近藤 巽(こんどう たつみ)は詰め寄ろうとして、
「いつもいつもいつも、お前は危険な事に首を突っ込みよって…大体わたしはまだおじさんという年齢ではないって?」
 気が付いた。
 おびただしいほどの、異形の子供の死に体を。
 巽は極太の眉をはねあげ、ドングリ眼でジンを睨みつけた。
「かれらは、こいつのせいか」
 これら、ではなく彼等と極自然に言える巽の優しさをジンは好きだった。
 安心して窓に片足をかける。地上まで数十メートル。
「歌陣の研究で―もしかしたら違う研究もはいっていたかもしんないけど見てのとおり人体実験してた。どうも良心の呵責がないみたいだから、現代社会を生きる人間の常識を一から叩き込んどいて」
あぁ、その財布に人身売買組織との癒着があった証拠を入れといた。
 言いたいことを言い終えたジンはその身を外に翻した。
 慌てて巽が窓に走り、身をのり出して外を覗きこむが、ジンの姿はもう見えなかった。


「あの馬鹿、帰ってきたそうそう、こんな事に首を突っ込んで!」
私が更生させなくては!!

 拳を固く握り自らを鼓舞したが、すぐに錨肩はしょげた。そんなこと、彼がもっと幼い頃から考えている。

「また、振り回されるのか……」
せっかく落ち着いてきたのに……

深い溜め息の後、巽は遊都ガーディアンに連絡をいれた。