章・過去が眠る楽都市で踊り狂え

08.恋は下心、愛は真心と言いまして


 

「おはよう、エン……僕、まだ三時間くらいしかねてないんだけど」
「おはよう、チビ。俺が腹が減っているんだ。お前の飯が食いたい」
「うわーい。すっごい、殺し文句だー…………ちょっと待ってて」
 燐にたたき起こされた魁はしくしくと口に出して泣きながら、台所に入った。その足元はふらついている。
 ついさっきの出来事で怒っていた燐はびっくりした。それだけしか寝ていないと知っていたら、絶対に起こさなかった。
「三時間って……そんな遅くまでなにしてたの?」
 物音を立てている台所から返事が返ってきた。
「んー。仕事自体は結構早めに終わったんだけど、そのあとにリリィが怪我しちゃって」
「え」
 リリィがDOLLだということは聞いていた。だが、あの静流の件――襲撃の後でも無傷だったリリィが怪我をするなんて――リリィは天照の受付嬢だ。天照と言えば、和泉。和泉の兄が和久。
 燐はきゅっと眉間にしわをよせた。天照でなにか大変な事が起きたということは間違いなさそうだ。
「リリィさんの怪我はどうだったの?」
 言うか言うまいか、そんな躊躇の間が開いてから、低い声がした。
「結構ひどかった。治療するのにSECOND MASTERの僕の許可が逐一いるから、天照に行ってたんだ」
 リリィは大量生産の自動人形とは違う、マスターピース。珠玉の作品、だそうだ。確かに彼女を見れば少々感情が希薄な人間にしか見えないのだから――だからこそ、燐は人間と違わないと思っている――機密事項が多いのだろう。
「そっちの治療はどうだった」
 エンが聞いた。
「ん。治りそうだけど、細かい部品が足りないから絡繰に行くように言っておいた」
 ふあぁぁ、と大きなあくびをして、台所から出てきた。手にはできたての料理。これくらい一人でもやってよ。うるせぇ、神の手に傷がついたらどうしてくれる。自分で治療しなよ。
 軽いやりとりをして、魁は燐の前に料理を置いて、自分の席に座った。
「燐達は今日どうする? っていうか、静流はまだ寝てるの?」
 燐は小首を傾げた。
「一緒に起きたんだけど、静流に電話がかかってきてて、そのまま話し込んでたわよ」
 ふーん。そっか。肯いてから、魁は申し訳なさそうに肩をすぼめた。
「あのね、今日はちょっと先約があって、燐達と一緒にいれないんだ」
「そっか……」
 構ってもらえないのは寂しいが、元々こちらから無理矢理押しかけてきたのだからしかたがない。
「あのさ、天照……和泉さんになにかあったの?」
 燐の口から出てきた名前に魁は目を瞬かせた。口から箸の先をだした。
「あれ? 僕、和泉さんのこと紹介したっけ?」
「ううん。昨日来たんだ」
「あぁ、なるほど」
 魁は納得した。昔から彼女はこの病院に遊びに来ている。
「また遊びに来たんだ」
「遊びにっていうか」
「あぁ。お前のダチがいるって聞いて飛んできたんだ」
 エンの若干早くなった口調が燐の言葉を打ち消した。エンを見ると、サングラスの奥から鋭い眼光が脅しをかけてきている。色々問題があるらしい。彼に逆らう愚かさが十分骨の髄の髄までしみこんでいる。大人しく黙っておくことにした。
 魁はそんな二人を気にすることなく燐の質問に答えた。
「和泉さんには怪我は無かったんだけど、庇った和泉のお兄さんとリリィが怪我をしたんだ」
 良かったともなんともいえない結果だ。燐は少し考えてから、魁に尋ねた。
「……そっか……わたしがお見舞いに行くのも変かな?」
 魁はにこっと笑った。少し目を伏せて、首を横に振った。
「ううん。そんなことないよ」
 これは魁の勝手な想像だが、今の和泉には彼女をあまり知らない人のほうがいいのではないだろうか。和泉はどんなに気安いといっても天照の令嬢であり、部下に対して動揺をみせてはならない。そう、兄の和久がしたように。
 実際をみたわけではない、が、片腕がもげてもおかしくない状況で超然としていた和久の武勇伝はもう天照――いや、遊都に爆発的に広がった。和久のおかげで"あの天照の社長が大怪我をした"ということよりも、"それでもなお天照は屈せずゆるぎない"ということに焦点が当たっている。
 格と器が違う。普段は超天照な人だが、敵には回したくない人だ。リリィがいる限り大丈夫だとは思うが。
 とにもかくにも、それが今の和泉の重荷になっていることには変わりないのだ。超然としてしまったがゆえに、和泉は泣き言を言ってはならない。特に、気の知った天照の者には。魁の顔をみたときの和泉の歪んだ顔を、そして周りにいたの存在のために消えた表情。声をかけるのもはばかられた。
 とにかく自分を責めている和泉を止めないといけない。昔からの付き合いで、彼女の気性は大体把握している。
「もし、よかったら和泉さんに会ってあげて」
「うん。静流に聞いてみるね。……魁ってさ、和泉さんと付き合いながいんだよね」
「?。うん。僕がこっちに来てからずっと知り合いだよ。……こういう場合でも幼なじみっていうのかな?幼なじみっていうのが一番しっくりくるんだけど」
「そっか。魁の話、すっごい楽しそうに聞いてたよ」
 魁はもの凄く嫌そうな顔をした。
「……僕の、話?」
「うん。昨日、学校での魁が知りたいって」
 ぐっはーーー!!魁は心の中で絶叫した。幼なじみのお姉さんに猫かぶり生活を知られるほど恥ずかしいことはないのではないか。
 絶対、回復したら、からかわれるぞ!!!やべぇ!!
「あ、あははははははは。……やっぱり、お見舞いはなしという方向で」
「さっきと反対なこといってるわよー」
 ふふふ、と笑う燐に、魁は情けない顔をみせた。朝の柔らかい陽光のなか、燐は笑っている。いつの間にか機嫌が治っていることにふと気づく。朝はやたらぷんぷんと怒っていた。眠かったこともあり、訳も分からなかった。
 なんで、怒ってたんだろう。燐は威勢が良いし、結構怒っているイメージがあるが、理由がなかったらそんなことはしない。良くも悪くも直進で潔いのだ。
 だが、燐は笑っている。今更だが、ここに燐がいるのはなんか不思議だった。いままで限られた人間しかいなかった。
 兄、J.J、エン。この三人とあと和泉。そしてイソラとリリィだ。イソラは男にまみれて生活するなんててーそーの危機だと思うのんとかいってさっさと仕事をし始めて出てしまった。リリィは天照の仕事の関係上、寮に入った。
 そう、それだけ。それも兄を中心として知り合ったなかであり、なによりも皆それぞれの理由の結果――正体がばれないために知り合いを連れてきたことはない。そもそも濃い関係を作ろうともしていなかった。魁も知り合いを連れてきたことはない。せっぱ詰まっていたとはいえ、ここに燐達を連れてきたのは魁史上――いや、この家史上初なことだ。
 あとはカナメ達、か。だがこんなに長期でいたことはない。かつてした彼らの長期治療は隔離された病室で行われた。エンの弟子になったときは住み込みではなくエリュシオンから通っていた。
 なんだか、むずがゆい。あぁ、そうか。今日燐に起こされたんだ。
 思えば思うほど、自分の領域の中に他人がいることに違和感を感じる。むずむずしてきた。前の席にいる燐は自分が作った料理を美味しそうに食べている。そういえばここで手料理を振る舞ったのも初めてじゃないか?
「?。魁、どうしたの?」
「べ、別になんでもないよ」
 今更――そう、本当に今更恥ずかしがってどうするんだ、自分。
 魁は視線をそらし、食事を再開した。
 和泉にあんたは鈍いとよくからかわれるが、否定できないような気がした。


 沈黙を保っていたエンが、皿を下げようとしていた魁に視線を向けた。
「あぁ、いつもの荷物届いていたぞ」
「げ」
 魁が可愛くない声を上げた。いつもの荷物?なんだろうか。燐は自分の皿を流し台に持って行くところだった。皿を持って立ち止まった。
 魁はいかにも渋々といった感じで、エンに尋ねた。
「それ、どこにあるの?」
「ソファーの横」
 あとはあーとかうーとか呻きながら、恐る恐る荷物の封を解いていった。
 皿をとりあえず片づけた燐は魁のとなりでしゃがんだ。
「何が入っているの?」
「服だよ」
「服?」
 問い返すと、魁は子犬みたいな表情でうなだれていた。その手は止まらない。
「そう、服。今日着る服」
「…………なにそれ、決まってるの?」
 ふと、嫌な予感がした。朝のアレだ。魁のバイトがホストとかなんとか・・・・・
「うん。今回のお客さんは指定してくるんだよ」
 指定・・・・?だらだらと汗が流れてくる。
 燐の動揺も気がつかずに、魁は最後の封をとく。そして中身を見る前に、深呼吸をした。片眉が歪んだ。
「そう、デートで着なきゃいけないんだ…………」
 ん、なーーーーーーーーーーー!?
 あまりの衝撃で、声がでない。え、なに?デート?服指定?なにそれ?違うよね。あははははははは。
 笑うしかない。壊れかけた燐よりも、荷物に意識がいっている魁はいまさら念をおくった。燐には聞こえていないようだった。
「女装じゃありませんように、女装じゃありませんように、女装じゃありませんように…………!!」
 がばっと開けた。