章・過去が眠る楽都市で踊り狂え

08.恋は下心、愛は真心と言いまして


 

 手出しは無用です。
 リリィがそう言ったにもかかわらず、天井にある気配は動かない。悠は正座で縮こまりたいという誘惑にかられていた。どこから声がしているのか、上との交信は問題なく進んでいた。
「確かに我らの独断と偏見で彼に手を出しましたが」
「しかし、片手が使えない状態にあります貴女様を一人にはしない、お守りするというのは」
「若からの命令でもあるのです」
 若、榊原和久のことだ。初対面――リリィの制服で世界征服プロジェクト――ではアホな人だと頭が痛かったが。
"天照はね、慈善団体ではないのですよ"
 圧倒された。
 凄いとかそういう形容詞は出てこなかった。出てこられないほど圧倒された。あれが上に立つものなのだ。天照という巨大な企業のTOPは、ただの萌え馬鹿ではなかったのだ。優しさと親しみを持つだけではない、少女であろうと敵を切り捨てる非情。その対極のバランスが上手く成り立っている。さすがだ。
 和久の名に、リリィは目を伏せた。
「……目を、醒まされたのですか?」
「早朝に、一度」
「会長と姫に今後の仕事と、リリィ様に言付けをなさって」
「お眠りになっております」
「わたくしに、言付けを?」
 ちらりと悠の方に視線をむけた。悠は構わないと、肯いた。
「若はおっしゃいました」
「受付嬢は笑顔でなくてはなりません」
「心のオアシスいやっほい」
「というのに、昨日の行為は真逆のこと」
「受付嬢が戦ったら我ら従業員の立場がありません」
「というわけで、罰として」
 リリィは小さく呟いた。
「………解雇でしょうか」
「んなことしやがったら抹殺覚悟ですよ!」
「リコール!!不信任案提出!!」
「和泉女帝の降臨です!いざヴァルハラへ!」
 でしょうね、と悠が肯いた。
「えー。親衛隊としては断固反対なのであるのですが」
「殿のおかげでリリィさんと姫が護られたのは事実」
「我ら天照の名に穢れなく終わったゆえに涙をごくごくと飲みます」
「ごくごく」
「ごくごく」
 はぁー、と欝になるため息の三重奏。


「「「兎さんリンゴでお口あーんしてほしい」」」


 ……………それでいいんだ………………
 衝撃に打ちひしがれたのは悠だけだった。悠はそんな状況にほとほと嫌気がさしてきた。気持ちを共有できる人間が欲しい。神戸…いや、ルトベキア学園に帰りたい。
「兎さん、リンゴ………?」
 しかも、彼女分かっていないようですよ。半笑いで悠は助言した。
「兎の形にリンゴを切ったものですよ」
「上唇裂をつくるのですか……」
 どうしてそんなマニアックな箇所の名を強調するんですか。
「了解いたしました」
 それでは、我らは影にもどります。
 天井から気配が消えた。
「………天照は一体どういう企業なんですか」
 完全に消え去った気配。しかし、彼らがリリィを置いてどこかにいくわけがないのだから、気配を完全に消しているのだろう。えぇい、化け物か。
 リリィは小さく微笑んだ。そして耳を疑うようなことを語った。
「かれらは忍者であります」
「に、忍者!?どこに派遣するんですか!!?」
「主に『ふれんどぱーく・あまてりゃしゅv』のアトラクションでありますが」
 才能のむーだーづーかーいーーー!!
 日本有数の遊園地で働く忍者なんて嫌だ。というか現代日本に忍者なんて存続していたのか………。いや、不思議ではない。不思議なわけがない。だって天照なんだから。それで全てが解決だ。
 そう思うことで、悠は自分を護った。もう、遊都に盾はいらないんじゃないか。初めに思ったこととは逆だった。
「ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません」
 深々と頭を下げるリリィに、悠はばっと辺りを見回した。またハリセンが襲いかかってくるかもしれない。
 だが、慣れた盾の部屋は沈黙を保っていた。よし、天照なモノはない。ようやく悠の顔に安堵が戻り、リリィの言葉を否定した。
「いえ、僕も貴女が気になさっていることを無遠慮に聞いてしまい、申し訳ありません」
 リリィはその言葉に、目を伏せたが、すぐに悠の瞳をじっと見た。
「――内密なのであります。もちろん、ガーディアンの方の仕事を妨害していることは承知しておりますが、我が社長・和久様が交渉してくださいまして……」
 言葉を濁した先を悠は気がついた。史上最悪の殺戮者:螺槇雷蔵のDollの破壊はガーディアンの仕事の一つである。
「わたくしが防衛以外で人を傷つけ殺めぬかぎり、天照で働かせていただけるよう免罪させていただいているのです」
 昨夜は本当に危ないところだったのだ。リリィは人ではない。人であるからこそ享受できる権利を持っていないのだ。自動人形は器物である。そこにいくら思考・性格パターンを組み合わせ人間と殆ど変わらなくしたとしても人形は人形でしかない。悠自身、彼女を人形だとは信じられないでいた。昨日の紅い瞳のリリィを見るまでは――
「…………悠様、先程の回答に情報を加えさせていただいてもよろしいでしょうか」
「え?」
 リリィの何を考えているのか分からない、震えぬ瞳は澄み切っていた。
「初めてお会いしたとき、おっしゃいました。四、五年前のお父様――螺槇博士事件で解決したエージェントは誰かと」
「えぇ、そうですが、なにか?」
 いまさら蒸し返される言葉に緊張した。英雄のことだろうか。知らず知らずのうちに、膝の上で拳がきゅっと小さくなった。
「わたくしはその事件に関与していたのであります」
「―――そうですか」
 驚きはない。昨日、リリィの名の上に冠する螺槇の名を聞いた後に考えていたことだった。だが、それでも驚きは隠せなかった。
「詳しいことは申し上げることはできませんが、エージェントの他にあの事件を止めてくださったのは魁様なのであります」
「え」
「凶刃を持ったわたくしをその体で止めてくださったのです」
 ぐにゃりと視界が曲がったような気がした。言いしれぬ不安を、悠は感じた。その事件があったとき、魁は十歳ぐらいではないのだろうか。そんな子供が、あの赤き瞳のリリィを止めた?
「エン様がいらっしゃらなかったら、あと少しでも治療が遅かったら、魁様は生きてはいらっしゃらなかった……」
 それが自分の償えぬ大罪だと、リリィは呟いた。
 なにがあったかはわからない。魁がどんな目にあったのかも、わからない。だが、殺戮Dollを止めようとするにはそれほどの犠牲があったのだ。
「そのおかげで、リリィという駒を失ったお父様は劾様殺害を果たせなかったのであります」
「……エージェントは?」
 リリィは気がつかない程度の沈黙の後、ゆっくりと答えた。
「魁様のお兄様です。お父様にわたくしが魁様のお側にいると告げられた後、お父様ともう一人の駒を撃退し、致死の傷を負った魁様と為す術もなかったわたくしを助けてくださいました」
「魁君のお兄さん!?」
「はい、魁様の実のお兄様でございます」
 悠は力が抜けた。

――英雄ではなかった。

 最後の手がかりだと思っていた、この事件とは無関係だったのだ。英雄に弟がいたなんて聞いたことがない。そして魁の兄は死んだとエンが言っていたのを思い出し、さらに英雄とは関係ないと打ちのめされた。英雄が、死んでいるはずがない。悠は、じっと悠を観察しているリリィに気が付かなかった。気がついていれば、その目が一瞬煌めいたと気がついたかもしれない。
「はは。まいったな……」
 悠は力なく笑った。遊都に来た意味が半分消えてしまった。また一から探さなくてはならない。しかし、今度は手がかりもない。
「英雄が関わっていたから、教えていただけないのかとおもっていました」
「あの事件は闇雲に語ってはならぬものなのです。お父様が関与しておりますので、政府からの箝口令が通達されております」
 そうなんですか・・・・
 うなだれた悠を、リリィは不可解と見ていた。そして昔からの癖がでた。不思議なことがあったらすぐに聞く。
「何故、悠様はそこまで英雄にこだわるのですか?」
「ぇ」
「悠様は英雄とどのような関係があるのですか?何故、去った者を追おうとするのですか?見つけ出会い、何をしようというのですか?」
 次々に繰り出される疑問符が、悠の頭を舞った。リリィの問いをまとめて、答えをはじき出す。天照で禁止されているだろう情報と己の情報を語ってくれたリリィにはちゃんと答えたかった。
「僕は、英雄になりたいのです」
 リリィの目が大きくなった。
「知っていますか?英雄が去ってから、急激に犯罪が増加したということを」
 リリィは肯いた。天照のそういう関連の依頼件数がその年に急激に増加した記録が残っている。
「僕はそれがショックだったんです。そこまで平和というものが脆く儚いということ」
 そして
「たった一人の人間の存在が、こんなにも影響を与えるものなのだと」
 悠は小さく笑った。
「"英雄・神崎・神"は僕の憧れです。沈黙を保ってなお強烈な存在感は彼が英雄であるからです」
 その瞳には憧憬の光が輝いている。
「彼に帰ってきて欲しい。ですが、帰りたくないというのならば、彼に代わる心の支えが人々には必要であると思うのです」
 そして、できれば、その代わりに僕がなりたい。いや、できればではなく、なる。あの小田桐史が冗談だったとしても再来と言ってくれているのだ。借り物であろうと自信がある。
「人々には"英雄"が必要なのです」

 たった一人いただけで、
 その場にいるだけで、
 平和になる―
 人々が心安らかに笑っていられるように。

「英雄になるための努力がどれほどのものであろうと僕は苦とは思いません」
 リリィは深く考えた。その悠の言葉から、不愉快なものがこみ上げてくる。魁とは全く別だった。魁を至上とするリリィにとって、悠の言葉は信じられないものだった。
「貴方は英雄になりたいから人を救うのですか・・・・」
 悠の全ての毛が逆立った。怒りでその言葉を理解するのが遅くなる。だから、反応が遅れた。
「違います。まったくの逆です」
 非道い侮辱だ。
「英雄になれば、多くの人を幸せに出来る。だから僕は英雄になりたいんです」
「貴方は、英雄をそのように考えているのですか」
「えぇ、そうです」
 リリィはその言葉を鋭く切り返した。
「知っておりますか、そういうのを偶像崇拝と言うのです」
「…………」
「わたくしは貴方が神になりたいと言っているのと同じだと判断いたします」
「ふざけないでください。英雄には遠く及ばないと言われるのは気になりません。しかし、"英雄"を侮辱すること、僕の夢を侮辱することは許しません」
 たとえ、天照を敵に回しても、絶対に。
 リリィの表情は変わらない。悠は憤りながらも落胆していた。
「結局、英雄を今回見つけることはできないようですね」
「……」
 しんと、会話が止まった。ぎすぎすした空気。息苦しいと思うことはなかった。相手が悪いのであって、自分のせいではない。自分の夢を汚された悠は不愉快だった。
 一方、完全に無表情になり反応が無かったリリィがぱっと窓の外を見た。その後で表で車の音が止まる。車のドアを閉める音がした後、ベルが鳴らされた。
「ごめんくださいー佐倉井工務店絡繰ッス」
「キタでごじゃるー」
「ハヨこんかいでおじゃるー」
 階段を駆け下りてくる騒音が蘭を連れてきた。その顔はプレゼントをいまかいまかと開けようとしている子供にそっくりだった。
「来たか!ゼン、待ってたぜぃ」
「いつもお世話になってるッス」
 そう言って入ってきたのは、悠よりも若い少年―18歳ぐらいだろう――だった。いかにも整備士といった感じの油で汚れた赤いオーバーオールは年季が入っていた。ゼンはリリィに気がつき、帽子を脱いで礼をした。
「リリィさんっスね。ボクだけじゃ難しいところが多いッスッけど、親方が戻るまでの応急処置をやらせて貰うッス。ちょっと待っててくださいッス」
「ポチ・マテ」
「ワン」
 年に似合わず丁寧な態度の少年の周りを、五歳くらいの少年達がくるくる回っていた。その顔は鏡あわせのようにそっくりだ。双子なのだろう。蘭に飛びついて、頭を撫でて貰っている。
「良く来たな、チビガキャー」
「こら、右京、左京。騒いじゃ駄目ッス」
 強く出た全を振り返った双子は、鼻で笑った。
「べー。全は半人前でごじゃるー」
「姉者・ナオス、ワレワレらでおじゃるー」
 腹立つッス、ほんま。
 歯ぎしりをする全を尻目に、右京と左京は悠をじっと見た。明と玲を彷彿とさせる二人に悠はにっこりと笑って見せたが、二人は目を細めただけだった。初めて見た人間に警戒した。
「ドナタでごじゃる?」
「シラねーおじゃ?」
「相良悠といいます。よろしくね」
「キラーパーンチー」
「ペンタゴンキーックー」
「日本語無茶苦茶ッスよ。相良さん、気にしないでくださいッス。蘭さん、トラック、表に置いたままッスから、裏にまわしたいんッスけど」
「あぁ、直で構わなかったのに。裏の鍵は開けてあるから移動しておいで」
 ラジャーッス。
 全はそれじゃぁと表にでた。全がいなくなった途端に、右京と左京はしんと静まった。
「親方はまだ帰ってないんかい?」
「マスターは秋に」
「『日本海の荒波があたしを呼んでいる!アディオス、諸君!』」
 いきなり左京から女の子の声がして悠はぎょっとした。声色を変えたとかそういう次元ではなく、まるっきり他人の声だった。
 そのことに、蘭もリリィも驚かず、蘭は苦笑をしただけだった。リリィはいつもの無表情のままだ。
「帰ってこないでおじゃるー」
「置いてかれたでごじゃるー」
「なんでぃ、連絡は?」
 片眉を上げた蘭の問いに、双子は鏡あわせの動きで首を傾げた。
「アル」
「ナイ」
「極秘のナゾ」
「ピッチー」
 真面目に答える気がないということだけ悠にはわかった。