章・過去が眠る楽都市で踊り狂え

11.眠る過去の揺り籠の夢


 
  エンは窓を開けた。
 うんざりするような空気が入ってくる。
 ずいぶん前の今日は、ひどい雨で、ひどい日だった。
 自分に大きな影響を与えた人を失った。
 ――そういえば、研究所に連れて行かれて間もない頃、そこで襲われかけたとき助けてくれたのがスパナを振り上げた桜と、凍てつく瞳をもった神だった。
 あの頃は桜は女神だと思ったくせに、神がとても怖かった。本気で、本当に真剣に怒ってくれたのだと分かったのは大分たってからだ。

 今日は、胸ポケットに煙草はない。追悼に流す煙は線香だけでいい。

「あぁ、くそ。口が寂しい」
<<エン?>>
「あ?」
 狐の声に、視線を移す。
 それはあの日から、毎年問いかけられるもの。
<<この世界に、正義があると思う?>>
「…………あったとしても、それはまやかしだ」
 俺たちに、楽園なんてそもそも手に入らないものだった。そう、知ってしまったら、もう二度と戻れない。
「それに、若いヤツを巻き込むのか?知らない方が、良いことの方が多いぜ」
<<そうかもしれんな。せやけどリサーチャー……探求者はそれが欲しいんや>>
 ここに来る新しい人間のことをエンは知らない。ルトベキア学園にいること、そして狐が気に入っていることしかしらない。
「俺は、お前が嫌いだ」
<<しっとる>>
「……だが、お前が入れようとしている連中よりはお前の方がいい」
<<あぁ>>
 くそ。本当に煙草が欲しい。
 金髪を書き上げて、エンはその紅い目を細めた。
「もしもの時、俺が"鬼"になる」
 魁には言うな。
<<…………すまん>> 
「だからお前が嫌いなんだ」
 あぁ、と嘆息する狐という存在は、とても薄かった。
<<今日は、嫌いや>>
 エンは窓を閉め、カーテンを固く閉じた。
 暗い部屋、雨に打たれたようにスピーカーが震えた。

<<本当の名前、知ってる人間がいなくなってもうた日や>>

 頷いて、エンは用意を始めた。


「ねーねー、ガルムは本当に君が倒したノー?」
「あれって合成だよねーねー」
 両手を引っ張る双子達は思うままに質問を重ねてきた。
「ねーねー、狐さんって本当に城之内様なのー?」
「狐さんのDollだけでも欲しいノー」
「何が目的なのー?」
「悪い子だめなのー、キリちゃんに殴られちゃうっ」
「まっさんが会いたがってるよ?」
「レギナの何が欲しいの?」
「その服ってどこで売ってるの?」
「目隠ししてて大変じゃない?」
「ノーコメント」
 冷たく言い放つ。
 ――大体、あのジョーカーが気に入って仲間にするっていうだけで腹が立つというのに、なんだってこんなお守りを――なんだかんだで一人前と認められていないジンにとってとても面白くない。
 別にジョーカーの相方になりたいわけではないが――そもそもその座は永遠に兄がいる――気にくわないことには変わらない。
 閉鎖的な自分だからこそ、新しい人間が"身内"に入ってくることを嫌う――一応保護者の二人には甘えの感情が自分の中にあることにジンは気がついていない。
「ノーコメントっていうコメントだにゃ」
「……置いて帰って良い?」
「羊さんマーク付けたよ?」
 逃げても無駄だよ?
 無邪気に油断ならない言葉を発する――えーっと私服なのにペアルックとかいう状況でどっちがどっちだか分からないが――双子の片割れは、ねーっともう片方と笑顔で見合わせた。
 ジンは半眼で答えた。
「俺に追跡系は効かないからお好きにどうぞ」
 マギナとの親和性が高いジンにとって、自分にとって悪い状態のマギナを分解することは量にもよるが簡単だ。体に付いているならなおさら、自動分解が進む。
 まだ小さい頃、自分の力が分かってなかった頃では出来なかった事だが、今では出来るようになっている。
 確認に腕時計を見た玲は口を尖らせた。追跡陣が持続していない。
「ケチ」
「……結構良い人達がいるところに行こうか」
 あれ?俺なんか兄さんに似てきてない?
 そういや昔兄さんの笑顔の冗談が分からなくて恐かったなぁ。
「っていうかさー目隠しして連行なんて幼児誘拐罪だよー」
 目隠しではない。そんなところを見られたら盾が襲ってくる。
 場所がばれないように、二人の視界を限定しているだけである。
 彼女たちには三人分の領域しか見えない。あとは黒い視界だ。
 だからジンは仲良しこよし、両手に双子を携えているのだ。
 空の道を使っているが、飛ぶことはなく空中歩行の陣を展開している。
 回り回っているし、そろそろ行っても良いかもしれない。
 ジンは鬼屋敷に向かった。
「眠いー、おんぶー」
「御菓子食べて良い?」
「裏においていかれたくなかったら黙ってたら?」
 どけちぃ。
 うるせぇ。
 階段を下りていく。ここを降りたらもうすぐそこが鬼屋敷だ。
『開・見えざる者の盾』
 外から自分たちの姿を消す。知り合いがいたらまずいことになる。
 最初からそうすればいいのだが、二重三重に陣を重ねるとエンから課された規定を破ることになる。
「ほら、もう少しだから」
「ん、んふふふふふ!楽しみだなぁ!!」
「さぁ!ゆくぞぅ!悪い狐さんをしかりに行くぞぅ!」
 ジンは閉口して、玄関――裏口の扉を開いた。もう、戻れない。
 二階に上がる。
「のぼったりー」
「さがったりー」
「人生山あり谷あり」
「人生楽ありゃ苦もあるさぁ」
 さっきよりも意味不明な言葉が増えた。ぎゅっと握られた手を見下ろして、ジンは苦笑した。
 両手が震えている。
 緊張か、それとも恐怖か。
 よくよく考えてみればここに来ること自体、彼女たちにとっても大きな賭だ。
 敵のところに単身むかうのだ。戦闘系ではない彼女たちが。探求者たる心と知能だけを持って。
 下手すれば殺されてしまうかもしれない、この場所に。
 ジンはふっと息を吐いた。
 自分にとっても賭け。
 落ち着かせるように、優しく両手を握り返す。
「さぁ、どうなると思う?」
「「殺すなら、こんな面倒なことはしないでしょう」」
 冷たい相貌に変わった双子を見届けて、ジンの目も細くなった。
 二人の手を離す。
 燐達がいる間、ずっと沈黙を続け、決して開くことがなかった扉。
 ジンはドアノブを回し、一気に開けた。

窓を開けたのだろう。いつもより空気が綺麗だった。
「じょーのうちさまぁ?」
「こんにちはー」
 止める間もなく、双子達はぱたぱたと勝手に入っていった。
 ミーハー心を抑えきれなかったのか、それとも油断を誘うためか、いつものノリに戻っている。
 そして、空気が突然冷えた。立ち止まり、息を飲んで、混乱している。
 無理もなかった。
 そこになにが在るのか。ジンは嫌ほど知っている。
 電気のスイッチに手を伸ばす。
「ジョーカー。連れてきた」
 カチリと固い音を立てて、灯りがついた。
 ジンの一歩前で固まっている双子の肩を叩く。
「――ジョーカー、城之内條太郎だよ」
 会いたかったんだろ?
「・・・・・っ」
 ぐっと、二人の肩を押して、それに近づけた。
 白い窓。白いベット。
 でもそれ以外はパソコンとディスプレイ、そのケーブルが縦横無尽にのたうち回っている。
 その中心に置かれた白いベットは、あたかも童話のようで、一種の結界が張られている。
 絶対不可侵。
 白いシーツの上に、男が寝ていた。
 何年も前、世間に見せていた姿よりも、削痩し、手足が枝のようだった。皮膚にもはりがない。
 虹色に輝いていた髪は真っ白で、肩でばっさり切られている。
 その寝顔に表情はなく。
 その瞳に笑みはなく。
 それはまるで棺桶で眠っているようで。
 かろうじて胸が動いているのが、生の証で。

 城之内條太郎の、沈黙の眠りは異常だった。

「・・・・・死んじゃった・・・・?」
 双子の片割れ――玲の目に涙が溢れる。明はがたがたと体が震えている。
 彼女達にとって城之内條太郎とは神崎神よりも偉大で、神様だった。
「死んでない。君たちに連絡をしたのは間違いなく彼だ」
 ジンは、二人から離れて、ジョーカーのもとに近づいた。
「………3年前かな。悪質な交通事故にあってね」
 ベットの頭側をのぞき込む。
 ………エンに最後の掃除を任せた俺が馬鹿だった………
 ありとあらゆる隙間に色んなものが詰め込まれている。
 あーーーーーー。
 ジンはがさごそと探し始めた。
「起きてー」
「起きてよーーー」
「にゃーーー」
「きつねさんーーー」
 振り返ると双子がジョーカーの上で跳ねたり引っ張ったりしている。
 ・・・・・・・・女の子に触られて嬉しいだろう。
 感覚無いけど。ざまぁみやがれ。
 やっとこさ目当てのものを引っ張り出した。
「ほら、どいて。あんまり触ると鬼に怒られるぞ」
 ヘルメットをジョーカーの頭にかぶせる。
「ジョーカー。起きろ」
 そしてスイッチを入れた。