章・過去が眠る楽都市で踊り狂え

11.眠る過去の揺り籠の夢


 
  


 二人は、言葉を失っていた。
 自分たちは、今、どこにいるのだろう。
 薄暗い部屋のなかで、空気が重い。
 簡単なことだ。
 人々を守れと謳った学園は、その他の人々に刃を向けるためのもの。
 そして、人々を守れと謳った英雄は、もう、この世には――。
 互いの手を握る、その力が増す。
 英雄は、いない。
 五年、五年姿を見せなかった。
 もちろん、その可能性はあった。
 あったが、誰も直視しようとしなかった。
 なぜなら。
 なぜなら、英雄は、15歳から皆の前に立ち続けた彼は、一種の家族だった。
 あるものは成長を見守る者として、あるものはあこがれを抱く守られるものとして、皆、英雄を見続けた。
 英雄は、個人であって個人ではなかった。
 みんなの、英雄だった。
 神崎神は、そんな存在だった。
 見たことがなくとも、会ったことが無くとも、彼は―――生きていなくてはならない存在だった。
 だった。
「英雄は、もう………?」
「死んだ。もう、三年になる」
「――――」
 呆然とし、本当に迷子の幼女にしか見えない双子に、エンは告げた。
「――なぜ」
「史様は、英雄を――」
≪別に、史が、神を直接殺したわけやない。ただ、史の行為が、神の死を引き起こした≫
「だから、何故、史様は!」
 戦争を起こそうというのか。
 涙目になる明を見て、エンは息をついた。
「勘違いするなよ。あいつのしていることは――戦争を起こそうとしているのは、悪だと決めつけることはできない」
 圧倒的な力は、圧倒的であるがゆえに、流れる血は少ない。争いが不可避ならば、今、動いた方がいい、ともいえる。
「だから、考えろ」
 どれが正しいか、何が正義か。そんなもの、結局は自分勝手な妄想なのだから。
 誰も、それが間違いだと、断ずることはできないのだから。


「――なんで」
 疑いを持てば、確かにおかしな事だった。自分たちはまだ学生で、カナメ達と違って大人になれていないのだから。
 本物をしってしまえば、自分たちがいかに青いかわかる。 
 力ではない。
 心が、違う。
 雅人は蘭のまっすぐに雅人を射貫く眼差しに、目を細めた。
 ――今まで、何も考えていなかった。
 蘭の言うとおりだ。
 弟が家を継ぎたいと思っているのは知っていた。そのために努力していることも、その才能があることも知っている。
 だが、自分は?
 弟が家の行く末を語るときのあの輝きを、自分は持っているのか。血だけで、その頂点に座ろうとしている自分は。
 ――ない。
 そう思った時から、自分は家に背を向けた。実家が嫌いなわけではない。ただ、嫌いではないからこそ、こんな自分が統べる場所ではないと思った。
 正直、“興味がない”以前の問題だ。そう、判断するだけの材料が自分のなかに入れなかったのだから。
「なんで、それを、俺に言うんだよ」 
 悠の方が意欲を持って聞くだろうと、そこまで口にして、胸にもやが広がる。
 また、自分は逃げようとしている。
 だが、蘭は首を横にふった。
「あいつは――わからないから」
 願いが強い。
「悠は良くも悪くも、“英雄”を求めているからなぁ――もちろん、戦争には反対だろうけど」
 だから、こそ。こわい。
「強い願いを持つ者は、それゆえに惑わされやすいんだぜぃ。……もし、もし。この計画に、英雄が関わっているのなら――」
 英雄不在だが、不在だからこそ、彼が何を考えているのか、何をもって表に出ていないのか、わからない。
 この大きな流れに関与していないと考える方が、難しい。
「………あぁ」
 彼は、自らその計画に飛び込むだろう。己の力を信じて。
「ま、それはあんたにもいえることだったんだけどね。ただ、さ」
 やり方が、気にくわないんだ。
「あいつらは、あんた達の考えも未来も何もかもを無視して、勝手に手駒にしてる。
 あたしに突然“大剣”を突きつけた時みたいに、考える時間すら奪って、全部流そうとしてる。それがむかつく」
 まだ、このことを知っているのはごくごくわずかなんだよ。この国にいる者みんな、関係者なのにさ。
 戦いで得るもの、平和で失うもの――それを、みんなで考えなくては、考えて選ばなくてはならないのに。
「だから、嫌がらせさ。……悠に言うか言わないか、それはあんたの自由だよ」
 あいつのことは、あんたの方が知っているだろ。
 苦笑。自分が無力であることを受け入れた笑い。
 だから考えろと、思考から逃げるなと、その瞳は告げていた。
 受け入れることも、そらすこともできずに雅人は、ただ、握りしめたままの手を開く。
「――あんたが、戦うことの方に意義を見いだしても………あたしは文句を言えない」
 あたしから、あんたに、見返りとしてあげられるものなんて、
「このナイスボディー、くらいだ」
 あっはん。
 まじでいらねぇ。
 んだと、このがきゃぁ。
 そんないつも通りの掛け合いに、何故か呼吸が苦しくなる。
「――」 
 蘭が、雅人に近づいた。二人はゆっくりと歩き始める。この話は、ここでおしまいだと、二人とも理解していた。
 風は無くなっていた。遠くの方から、意識から消えていた音楽が戻ってくる。
 空の色は変わっていない。花の色も変わっていない。





 変わったのは、自分だ。





 雅人は大きく息を吸い込んで、脳に酸素を送り込んだ。










 ―――思考、開始。