章・過去が眠る楽都市で踊り狂え

02.飛んで火に入る夏の虫ズ


 
真柚―

白い空を背に君は笑って近付いてくる。
―おにいちゃん。
僕達が離れ離れになって六年近く、僕だけが大きくなって君は小さい頃のまま変わらない。
六才の君。

どうせなら、大きくなった姿を見してくれればいいのに。

―おにいちゃん。
君は決って真正面からぶつかるように抱きついてくる。
僕はぎゅっと抱き止める。
真柚は僕の腹に顔を押し付ける。
柔らかい。真綿のようなふわふわの髪。

―きょうもあいにきたよ。

舌足らずな言葉。甘ったるい声。

―きょうはなにかおはなしして?

口を開いても喉は震えない。
言いたいことはいっぱいあるのに……!

―おにいちゃん、なんでなにもいってくれないの?

純粋な悲しみが大きく瞳を揺らす。
僕は首を横に振る。

―おにいちゃん、まゆのこときらいなの?

僕は首を横に振る。
出したい。声を出したい。
でも声を出そうとすればするほど鐘のように心臓は轟き、息苦しくなる。

背中に回された真柚の手が僕を強く締め付けた。

っあ。

ギリギリと背骨―そして内臓を締め付けられる。
それは子供の力ではなく。

―どうしてなにもいってくれないの!?

違う、違うんだ、真柚。
僕はぎゅっと抱きしめる。
背骨が悲鳴をあげる。―だからどうした。
爪が服を介して皮膚を破る―それがどうした。

ギリギリギリギリギリギリギリギリ

―まゆのこと、きらいなんだ。

僕は、僕は首をただ横に振る。

いつのまにか空は暗く、黒い雨が降り始めた。
黒い雨が僕ら二人に降り注ぎ―
水溜まりができてゆく。
黒い水溜まりは煮立ち紅い血煙を吐き出す。
視界が紅く染まる。
ずるずると血溜りに沈んでいくのは―真柚。
っあ
必死に掴む。抱きしめる。

ずるずるずるずる

真柚が沈んでいくにつれ、背中の血で印された爪痕がのびる。

あぁああぁあああ

声が出ない。

あぁああぁあああ

膝をつき、真柚の脇の下に手を回しなんとか引き上げようとするが、強悪な力が真柚を引っ張る。
声が出ない―だからどうした。
マギナを放とうと陣を錬成。
助けたい、その一心で。
マギナが青白い光を帯たとき―
急に強く引かれ―体勢を崩して血溜りに顔が付きそうになる。
引いたのは―真柚。
血溜りから出ているのは顔だけだった。
可愛らしい顔は半分が肉塊になって、丸みがわかる剥き出しの目がギョロリと僕を見る。
死んだ魚の濁った目。

―その瞳に光はなく
―その瞳に僕はなく

口が耳まで裂けてドス黒いものが溢れる。

血にくぐもった声

―なんでたすけてくれなかったの!?

―なんで見捨てたの!?

呪祖が僕に絡み付く。
叱責で飛ぶ血が僕を紅く紅く―

黒い雨と紅い血溜りに佇む僕はただ横に首を振る。

助けたかった。
助けたかった。

僕は君を助けたかった。

その時の気持ちだけは今も変わらない。

ただ真柚に許してほしかった。

守ると言った君を救えなかったこと。
僕だけ生き残ったこと。

そして君を救えなかった、僕だけを救った、この力で僕が―

他の人を―大切な人たちを守ることを。

真柚はニタリと口の端を歪ませて―

―でもおにいちゃんはまもれなかったよね。

ぐちゅっと真柚の横から鈍く光る銃身が浮かび上がった。

―おにいちゃんのおにいちゃんをまもれなかったじゃない。

ソンナチカラデダレヲマモレルッテイウノ

僕は目を閉じた。

真柚は僕の耳に優しく囁く。

―おにいちゃんはおにいちゃんしかまもれないんだよ。

だれかをまもろうなんて、おもっちゃいけない。

…煩い。
心の奥底から沸き上がるのは悲しい憤り

だれかをまもるなんて、

うるさい。

おにいちゃんにはできない。

黙れ。

それでも俺は守りたいんだっ


無理だよ。

耳に優しく囁く声色が変わった。

ジンには無理だよ。

それは兄の声。

君は僕を守れなかったじゃないか。

君は弱いんだ。

自分のことしか―

違う。違う。兄さん。

血溜りに浮かんだ真柚と兄の顔。
血肉を裂いてのびた四本の腕が俺を引きずり込もうとする。
二人は笑みを浮かべて俺を招く。
止めろ。
俺にはやらなきゃいけないことがあるんだ。

無理よ無理だよ無理無理無理さ無理ね無理無理無理

止めろ

手を振り上げると唐突に陣が放たれた。

彼等の悲鳴が―奇声が鼓膜を揺さぶる。

いたいいたいよぉ

あっっ―
大切な二人が俺が放ったマギナで傷付いた。

あぁああぁあああ!

血にまみれ涙で薄れ
いたがる彼等に癒陣を錬成しようとするのにマギナが集まらない。

狂笑が響く、響く

雨脚が強く、強く。

ヤッパリキミハナニモマモレナイ

にたりと嗤ったのは誰?

――――っつ!!

光が目を貫いた。