章・過去が眠る楽都市で踊り狂え

04.嵐の前の一騒動


 

 白い白い病院に黒衣の医者が一人。
 その時だった。
 首筋に悪感が走った。
 反射的に首筋に手を当てる。
 忌々しげにその手を首筋から離した。
 舌打ちする。
「……なんか面倒なことがきそうだな」
 思えば、あの時も、英雄と狐そしてリリィが雨の中血だらけのジンを抱え込んでまさに寝ようとしていた自分に治療を依頼してきたときもこうなったし、ジンの右腕が複雑骨折してあの小娘が転がり込んできたときもこうなった。
 狐が怪我したときも英雄がいなくなったときも。
 クソむかつく餓鬼共の治療を依頼されたときも。

 ………今度はなんだ?

 またジンが怪我でもしたのだろうか。
 ただわかることは、それは確実に当たるが、自分ではどうしようもないということだ。
 エンは煙草を灰皿に押し付けて、万が一のために手術の用意をしようと立った。

 そのとき、客―患者の到来をつげるベルがなった。
 また舌打ちし、エンは心持ち早めに出迎えに向かった。

 よもや、もっと長期間で面倒なことになるとは思いもよらずに。



「帰れ。馬鹿が」
 第一声はそれだった。
「え、エン。エンしか頼めないんだよ」
「寝る場所ならここじゃなくててめぇの家に連れ込め。赤飯炊いといてやるよ」
 白米を炊くことすらしないくせに。
「なんか言ったか、下僕」
 魁は首を横にぶんぶんと振った。
「大体、てめぇのダチだろ」
 てめぇの領域でかたつけろよ。
 魁は後ろで小さくなって待っている二人をちらっとみた。
 そしてエンにしか聞こえないように小声で囁く。
(実は、天照からあの二人の護衛を依頼されたんだ)
(金づるか)
 そういう言い方しない。
(でも、ほら俺、他の仕事をしないといけないから、ほとんど家あけるだろ?)
 そのことをばれたくない。
(リリィの所にほりこめよ)
(リリィだって仕事で家を空けるじゃないか。エンはずっとここにいるし、最強だからここはすっごく安全だし)
 報酬はエンにも分けるから!
(……ふむ)
 守銭奴と自称しているだけあって心を動かしたようだ。
 ………エンは煙草に火をつけた。ゆっくりと煙をゆくらせる。
 沈黙の中を煙が漂った。
 エンは長い髪をかきあげ、舌打ちした。
「人となりを見てから判断する」
 紹介しろ。
 魁はぱっと顔を明るくした。
「燐、静流。このお医者様がエン様だよ」
 おずおずと前に進み出た。
 魁はそれぞれ紹介した。
「新堂・燐と相川・静流。僕の友達」
 同じクラスなんだ。
 エンは目を細めて二人を観察した。
「新堂・燐と……相川・静流、ね」
 新堂家と相川家の娘達、か。
 含みを持たせて……
 エンは二人の少女達を上から下までじろじろ見た。
 見、視、観、診た。
「完売御礼な健康体だな」
 highclassだ。大抵の借金なら返せるぜ。
「エンはその手の業者じゃなくて医者だよね!」
 二人を脅かさないで。
 エンは魁の半目を無視した。
 サングラス越しの視線は燐よりもむしろ静流に注がれている。
「あの、勝手なことはわかっておりますが、どうか、泊めてくださらないでしょうか」
 静流は金髪ピアスサングラスのヤンキー三大要素を兼ね備えた医者に果敢に言い出した。
 エンは煙草に火をつけた、
「一つ、俺に迷惑をかけない。
一つ、俺の代わりに家事全般をすること」
一つ、俺の命令には絶対服従。

 エンは最後に煙を吐き出した。
 これらを
「絶対遂行するなら、俺は力の限り貴様らを保護しよう」
 魁、二人を二階に案内しろ。

 燐と静流は顔を見合わせて、同時にエンに頭を下げた。
「「ありがとうございます!」」




「エンさんは…」
「エン、もしくはエン様と呼べ」

 余談だが昔、魁が敬意を込めてエン兄、エン兄さんと呼ぶと頭をわしづかみし、
『俺はてめぇの兄じゃねえ…』
と凶悪な笑みを浮かべた事があった。
 さらに余談だが、ジョーカーに対して魁が兄の敬称を使ったことはない。

 燐は顔を引き釣らせた。
 ここは様付けした方がいいのだろうか?いやしかし……
 魁が悩める燐に救いの言葉を発した。
「エンでいいよ!エン、初対面の人に様付け強制は駄目だって」
 片手をおずおずと挙げた者がいた。
 静流だ。
「あの、エン様」
「って静流!?真面目に言わなくていいよー!!」
「エン様はエン様ですわ」
 御恩がありますし。
 がくっとうなだれた魁に向かってエンはせせらわらった。
「見ろ。分かる奴には分かるんだ」
 俺様の偉大さが。

 違うとおっもいまーす!
 苦しくも燐と魁は同じツッコミを胸の内に秘めた。

「で、なんだ。相川娘」
「いや、その呼び方はどうですか」
 しかし魁のツッコミは届かない。
「エン様はお医者様でいらっしゃいますよね」
 エンは―クドいが―首に聴診器、片手に煙草、耳にピアスが数対、顔にサングラス―
 金色の長い髪が部屋の光の元、黒衣の上で煌めくなか―
 椅子にふんぞりかえって頷いた。
「それ以外に見えるか?」

見えます!!

 激しい動揺で少年少女は顔が上げられない。
「見えませんわ。立派なお医者様ですわ」
 少女は続けた。
「私、ヒーラーの卵ですの」
 よろしければ、お仕事を見させていただけないでしょうか?

 ヒーラーは医者とは違う。
 ヒーラーは怪我を治す。
 医者は病気を治す。
 もちろん医者は外科的なことも請け負うが、外傷である限りにおいてヒーラーには及ばない。
 ヒーラーは、病気―ウイルスであれ風邪であれ―を治すことはできない。

 その大きな隔たりにおいて、ヒーラーと医者はあまり良好な仲とはいえない。
「…相川娘がヒーラー…?」
なんの気負いもなく、エンは言った。
「ふーん。駄目だ」
 ぎしっと椅子を軋ませた。
「相川娘、ここは俺の城だ。卵のヒーラーがしゃしゃり出てくるところじゃない」
 ヒーラーならヒーラーの領域にいろ。
「卵がよその領域に手を出そうとするな」
 下僕、二人を連れていけ。

 話はこれで終りとばかりにエンは立ち上がった。
「下僕、今日はどういう予定だ?」
 腰を浮かせたままの状態で魁は首を捻った。
「えーと。まだリリィのところに荷物おきっぱなしだから、それを取りに行ってから、自宅改造するつもりだけど」
 それがなにか?
 エンは失望に満ちた声を出した。
 少女達を指差して、
「俺は、こいつらが料理できるとは思えない」
 簡単なやつでいい。
 こいつらに料理を教えろ。