章・過去が眠る楽都市で踊り狂え

05.賞味期限切れの恐怖の大王


 
「えー。こちら実況です。なんと悠解説が参戦です」
助けてくださいよ!と叫ばれたのは軽く流す。
「ここまでくるとエン様のストレス解消に付き合わされてい…」
メスが鼻先を軽くかする。
「……正当な仕返しですね!」
「大事な城を傷付けるやつぁ、私刑ですよ!」
あっははは!
ドアから覗いている二人は空笑いした。

「っっっ!」

悠は避ける避ける避ける。
ここで手を出すと余計長引くので避けるしかない。
やはり、サトル達の師匠ともあって、急所を確実に狙う。ただサトル達が直線的に狙うのに対してエンはフェイントを交えながら戦う。
やりにくい。そのしなやかな動きは体の柔らかさがあってこそだ。
「なんだ?避けるだけならガキでもできるぜ?」
「貴方とやっても、何もなりません!」
無益な喧嘩をするほど、自分は雅人のような喧嘩ズキーではない。
「…何もならない、ね」
蹴りを腹にぶちこむ。
「だったら英雄の再来ってのはこんなに弱いって噂されるようになるな」
只の医者に負けるってな。
…………
いや、乗るな乗るな乗るな。
挑発して、喧嘩させる気だ。
蹴りを両腕で止め、後ろに下がる。
「っ力だけが、必要なんじゃないでしょう!」
「理想だけならただの妄想だ」
断言―言って捨てた。
エンは拳を握った。間合いを詰める。零れる言葉は無意識だ。
「理想だけなら誰かが泣くんだよ」
サングラスを介して見た世界は暗闇に満ちていて―
「力だけなら誰もが泣くのと同じでな」
拳は悠の頬を捕えた。



「「決まったぁぁああ!!」」
「直ですね。サトル解説。」
「あれは痛い。悠解説の美形顔が台無しです」
沈黙。
「「美形撲滅運動実施中!!」」
応援します!!



口内が切れた。
口に広がる血の味に眉をしかめる間もなく第二撃が目にうつる。
すっと身を屈めて避ける。
避けてもよかった。
避け続けてもよかった。
しかし拳よりも蹴りよりも何より一つ一つの言葉が悠を傷つけた。
「前の英雄は世界を救う力と理想があった」
エンの言葉が悠を更に追い詰める。
それはいつも自分の心にある疑問。
自分はどれだけの力があるのだろう―
心の内を見透かすようにエンは問う。
「お前はどれだけの理想と力を持って―」

英雄の再び来ると成す?小僧。





悠は――

歯をくい縛った。
知ったような口を叩く医者は、さらに踏み込んでくる。
悠は半身を翻し、避ける。
「僕は―」
蹴りを受け止め―掴む。




僕は―少しでも世界を平和にしたい。
英雄がいなくなって、五年―いや、六年になる。
英雄がいなくなって―いや、英雄が帰ってこないと分かった途端に犯罪が増加し、今も増加し続けている。


英雄は、『平和』に続く道標だった。
英雄は人々の心の拠(よりどころ)だった。

当時悠は、犯罪が激増したことを聞いて、ショックを受けた。
それは、英雄が帰ってこない失望よりも大きかった。

平和はこんなにも脆いものなのか!

そしてそれだけの影響を持つ英雄を―改めて偉大な人だと分かった。
悠はその時、思ったのだ。


初めて英雄の力に魅せられ、願ったものとは違う、憧れとは違う。
もっと心に強く高く刻まれた誓い。


『英雄』になる、と。


たった一人いただけで、
その場にいるだけで、
平和になる―
人々が心安らかに笑っていられる―


そんな、人に、なるのだと。



悠は拳を握った。
自分が再来だなんて、
まだまだだ。
言ってくれた彼には悪いが―まだまだだ。
大体『英雄の再来』と言ってきたのは一番成績が良かったからで、その実中身がないものだなんて判っている。

しかしそれが、その名前だけなら自分が追い求めているものなのだ。

悠は、拳を堅く握り締める。
金髪不良医師にその拳を叩き込んだ。
「力を見せましょう」
初めて、悠が攻撃に転じた瞬間だった。
それは口角が上がって、笑みとなっていた。


エンは笑った。
まったく、気に食わない。こんなやつらがあの馬鹿・英雄の再来をを名乗っているとは…

ひでぇ冗談だ。

こんな奴らに任せてはおけない。改めて思う。
相手はマギナを編んでいた。
マギナを解放させないために大切なこと。

喉を潰す。
もしくは、声の調子を変える。
急激な声域の変化は空気振動が大きく変わる。
これを瞬時に把握し、陣を微妙に変えるのは難しい。エンは黒衣のポケットに手を突っ込む。
手に握る。

今、正に悠がマギナを解放しようとし、エンが悠に何かを投げつけるところだった。

「くたばれ」
『開・――』

目の前に舞う舞う舞う透明な宝珠。
水が彼等の頭を冷やし、

怒声が彼等を襲った。


『いっかげんに、しなさい!!!』







燐は怒っていた。

手にバケツを持ち、誰よりも堂々と、床にそびえ立つ。
その後ろで軽くいじけている魁が小さくなっている。

「いい加減に、しなさい!あなた達は一体何才児なわけ!?喧嘩が似合う年は過ぎたはずよ!」
魁から黙って手渡されたバケツでもう一度、三人に水をぶっかけた。
「頭を冷やしなさい!!」

水も滴るいい男になった三人は肩を落とした。
「強制冷却かよ」
「…いやはや」
毒気が抜かれた二人と床にいる一人が頷いた。
燐はまだまだ止まらない。


「それから、静流」
「ひゃい!」
部屋の奥からうわずった返事が帰ってくる。
燐は炎がうつる瞳を向けた。
「泣いてても判らないわ!ちゃんと、この訳分からない状況を説明しなさい!!逃げるのは、それからにして」
じゃないと、おじ様に連絡するわよ!
肩で息をしていた燐は少しずつ冷静さを取り戻す。
頭に手を当てて、息を吐く。
「…付き合うって私は言ったわ。最後まで一緒にいるから」
だから、問題も私に相談してよ。
「ね?」
そして彼女は微笑んだ。
拒否権など行使できる訳もなかった。