章・過去が眠る楽都市で踊り狂え

07.馬鹿親大騒動


 


夢を
夢を見ている。

エンはそう認識していた。

つまり
もうすぐ起きるということだ。


その夢はあまりにつまらないものだった。
その夢はあまりにありえないものだった。


自分がいた。
その隣には緩やかなカーブをもった翠の黒髪をもつ橘・桜が笑っていた。
その隣には絹のように滑らかで流れるような髪をもつ水無月・千里が苦笑していた。
そしてそのまた隣には馬鹿みたいに千里を見ている速水・健一。
彼の思いははっきりいってわかりや過ぎる。
気づかない千里も千里だが。

橘・桜と自分の周りを子犬のように付きまとっているのは小田桐・史だ。
きらきらと目を光らせていた。

そして背中が見えた。
髪を上の方でぞんざいにくくっている城野内・條太郎だ。

そして

そして

その隣にいるのはそう、神崎・神。


そう
そうなんだ。
これが当たり前だと。


橘・桜が暴走して
水無月・千里が助長させるようなことをして
速水・健一が止めようとして女性二人に押さえ込まれる
小田桐・史がおろおろと二人を止めようとしているが無駄だった。
何故か自分まで巻き込まれ
そして最後に城野内・條太郎がボケを叫び
全員からツッコミと称した攻撃が集中した。

それをにこにこと見守る神崎・神。
決して中にはいろうとはしない。


それはいつもの光景。


とても
嫌だった。
幸せで
幸せで
いやだった。
うざかった。

そして愚かな自分は罪を背負って
自らエデンを出た。

そしてエデンはあっという間になくなってしまった。


時々思う。
あの時エデンを出なければ
壊れることはなかったのか・と

馬鹿げた話だ。
本当に。


そんな甘い話じゃない。


それなのに人形劇のように
空恐ろしいまでの幸せ劇場が繰り広げられている。

やめてくれ。

心臓が激しく波打った。
鼓膜まで揺るがす振動に
骨を震わす振動に。
脈打ち
どんどん体温が加熱していく。

目の前が赤く染まった。
なのに昔の自分は橘・桜と喧嘩している。


どんどん熱くなっていく。
暑い、のではない。熱い、のだ。
つまり死の危険性がある。

何故、問いかけはなかった。ただ、知識が浮かび上がる。
蛋白質が変性する!
よくわからない焦燥が胸を文字通り焦がした。

「酵素が失活する!!!」





自分の声でエンは目覚めた。
まず目覚める前と変わらないものがあった。
熱だ。
熱源がべったりとエンの体を取り巻いていた。
半ば狂乱し引きはがす。
手で、足で跳ね飛ばした。
熱源は器用に受身を取ってベットの横に着地。
エンは肩で息をした。目が団扇を―いや氷を探した。
一体何が?
エンは上半身を起き上がらせ、体を見る。赤い。
「お目覚めですか、エン様」
熱源がしゃべった。
斜め上を見上げると上半身裸のリリィの姿。
・・・・・・!?
自分の体をもう一度見た。
男にしては薄く丸みを帯びた胸板。
いまそれは痛々しいほど赤くなっていた。
火傷寸前である。
「・・・・・おいこらリリィ、説明」
「体が冷え切っていたので私が温めさせていただきました」
温める。
言葉の意味がわからなかった。
熱するとか焼くとかがいいのでは?
「温めるのは人肌がよいとききましたので実行させていただきました」
人肌。
リリィの肌だ。
エンは赤く赤く染まった肌を見た。
火傷寸前で肌が引きつっている。
「高速で体内化学反応を促進、熱の放出を―」
プチッときた。
「リリィ、どこの誰が人肌がいいと?」
「淳子様です」
ブチッときた。
「今すぐそのデータを消せ!い・ま・す・ぐ!」
叫んだ反動で胸に痛みが疾走した。
堪え食いしばる歯茎を無理やり押し上げた。
「人肌っていうのは温度だ!お・ん・ど!感触ONLYじゃねぇ!」
テメェ、灼熱鉄板肌だと人が―
「全身火傷で思わず昇天だぞ!」
リリィは自分の―今も熱を発散し続けている薄桃色の肌を見、
エンの全体に赤い肌を見比べた。
リリィは眉尻を下げ、
「リリィ、反省?」
「・・・・・・次回に期待だ、な」
頭をがっくりと落とした。

シャワーを浴びたエンはしたたる水をぞんざいに拭った。
もちろん冷水だ。
「リリィ、どうなった」
何が、とは言わなかった。
百も承知だろう。
リリィは頷き、答えた。
「ちゃんと拭い切れていないかっ」
濡れ、重さを持ったタオルが凶器となった。
エンは一言一言に力を込めて言った。
「相川娘はどうなった」
「まだ魁様が捜索中であります」
「まだ?」
すぐに捕まえたかと思ったのだが。
学園生活でなまったのか?
ヤキ入れねぇとな。
「はい、静流様が自らお逃げになって行方が分からなくなってしまったそうです」
最高に最悪だな。
エンは頭をふった。
「裏には連絡入れたか?」
「はい。ですが今のところ良い情報がないようです」
なら、することはない。
「状況は」
「中畑様率いる侵入者は屋上入り口の踊り場にて捕縛しております。
 燐様は催眠剤をお吸いになったようでまだ眠っていらっしゃいます。
 悠様雅人様は淳子様と一緒にリビングにいらっしゃいます」
そしてなによりもエンにとって大切なことを言った。
「家の修繕費は    くらいかと」
脳が拒否する金額だった。
半ば泣きたい気持ちでエンは吐き捨てた。
「慰謝料はぜってぇ、倍は払わせてやる」



「あぁ。大丈夫だ。
 余計なことすっから……あぁ?あぁ、分かった」
雅人は会話を切るとすぐさま着信拒否設定を変えた。
「どうだって?」
「ん。なんとか、な。こっちに俺がいるって分かってビビってたぜ」
きしししと笑う雅人に悠は苦笑でもって返した。
雅人の家はいわゆる旧家、雅人自身は長男だ。
跡継ぎということになるのだが、雅人の奔放さと―強さで無理じいは出来ない。
この男はいざとなったら家を捨てることも考えているだろう。
―御琴がいるから大丈夫だろ
跡継ぎには次男を生け贄に捧げるつもりらしい。
もっとも、御琴君の方が落ち着いているし、跡継ぎの格もある、と悠はふんでいた。
「とにかく、もう俺達が会ったっていう事実は伝えたからな。それをどう料理するかは親父達の自由ってことだ」
そのとき扉が開いた。
「おい、生きてるか」
エン、そしてその後ろにはリリィが従っている。
「生きていますよ、まだ」
少々怨みがましい言い方かと思ったが、
こっちはエンの放った陣で痛い目を見せられたのだ。
「あ、おい!エン!てめぇよくも人をマギナに巻き込みやがッたな!」
掴みかかろうとする雅人の腕を半歩後ろに下がることで避ける。
エンは軽く怪我の治療の痕がみられる二人を診、
人差し指でさした。
「死んでない、健康体、傷は男の勲章、男は基本・診たくない」
「エンさん・・・・」
偏頭痛のような痛みがコメントを止めた。
何を言っても無駄だ。
エンはソファーに座り込み、煙草に火を付けた。
「お前らがいるってことをとんとわすれててな。ついやっちまった」
魁とリリィだけなら大丈夫だからな。
エンの一言にぎくりと心臓が一瞬、高くわなないた。
悠然と立ち、見守る二人の影―
顎を引き、前を見据える魁―
不意に鎌首をもたげた恐怖の欠片を押さえ込む。
「ど、うしてですか?」
そういえば前のガルム事件の時も魁は結界を破って来た。
そして雅人のも。
エンはまるで、そうまるで丸々と太った鼠をその爪でいたぶる血統書付きの猫の様に唇を三日月に押し上げた。
「あいつは、マギナに愛させているから」
いかなる拒否・分離系のマギナを無効化にする。
「代償は、魁自身がその系統の陣を作れない」
あまりに聞き慣れない言葉に理解が遅れた。
それはそう、まるでオイルのように心にまとわりつき、染みを作る。
「愛?ラブ?」
「エル・オー・ヴイ・イーだな」
分かっている。
「愛って・・・マギナにンな意志あるかよ」
雅人の主張にエンはサングラスに隠された目を細めた。
それは真実を見極めようとするものでも
揶揄するものでもなかった。
ただ、追憶、戻れない過去を想う。
戻れないからこそ成り立つその概念を鼻で笑った。
過去は捨てられるものではなく。
過去に捨てられた自分を見受けた。
かつて自分もそう言った。
くくと喉の奥で片笑む。
あんな夢を見たせいだろう。
「俺も昔そう言った。
 だが知り合いがそう言ったんでな」
つまり、
一言おいてエンは説明した。
それはかつて今はいない馬鹿が自分に言い聞かせた言葉だ。
「マギナとの親和性が高いってことだ。
 結界系はマギナに強い負荷がかかる。
 魁は生まれつきマギナを引き寄せる体質でな。
 マギナに負荷をかけていても、マギナは魁の周りに集まろうとする力に負けて通常の状態にもどっちまう」
凝り固まった肩を回した。
悠は呆気にとられた。
「そんな体質ってありですか?」
「ありだな。あいつの兄貴もそうだった。まぁ奴は上手いこと陣を作ってたけどな」
兄貴。
雅人は新しい戦い相手が出来たと顔を明るくした。
「強いか?」
エンは、それこそ無で答えた。
「いねぇよ・魁の家族は全員天国だ」



暗に話はそれで終わりと告げた。



エンはテレビを付けた。
側にいてされど遠くにいる昔なじみに問いかける。
「淳子、どうだ?」
『ん・ん・ん〜何とか情報入ったわ』
何故か警察官の格好をした淳子はボードになにやら書き込んでいた。
『暴漢に襲われた』
「なんだって!?」
悠が思わず立ち上がった。
雅人も厳しい顔をしている。
淳子は両手をあげて、落ち着きを求めた。
『大丈夫よ。誰かに助けられたみたいだから?』
「誰ですか?」
淳子はそれこそお手上げのポーズ。
『さぁ?白いコートの男、みたいよ?』
全身白、ですって。
その言葉に微かにリリィが反応した。
エンはそれを背後に感じたが何も言わなかった。
リリィは必要なときには―まれに間違えるが―必ず言う。
今言わないということは、
――今、言えない事か。
信じて待てばいい。
人間と違って嘘は言わない、言えないのだから。
「で、そいつの居場所は?」
『今、捜索中。魁がびしょびしょよ』
「僕たちも行きましょうか?」
親切な申し出にエンは止めた。
「止めておけ。地元の人間じゃない奴が夜出歩くと泣きを見るぞ」
「   」
悠が反論を告げる前に言い被せた。
「遊都は、それくらい危険だ。夜雨だと視界も悪い。確実に道に迷う。こいつの仕事を増やすな」
ずっと沈黙を保っていたリリィが口を開いた。
「大丈夫です。必ずや魁様がお助けになります」

魁様は誓いを護る方です。

リリィの迷いない目を見て悠は堅く、ぎごちなくうなずいた。


ただ、信じることを貫く、そんな夜になりそうだった。


雨。
それは薄墨の世界にベールを被せていた。
闇よりも薄く、この世界の沈黙を妨げ、潤いを捧げる。
不思議な旋律に包まれた世界は睡眠を享受していた。
その中に一際目を引く色が浮かび上がった。
朱。
水は弾かれ、滑り、銀に光る先からこぼれ落ちた。
たった一点、鮮やかなその色の隣には光すら拒絶する、白。

確かな足音から一拍子遅れて、気が抜けるような音が響いていた。
水がはねる音がした。
白が平坦な声を出した。
「水たまり」
水たまりから足を出した朱が悔しそうな声を出した。
「先に言ってください。靴に水が……!」
よくよく考えなくても静流には靴が無かった。
寿人が渋々自分の昔の靴を貸したのだ。
その靴は静流には大きすぎ、どうしても歩くと間抜けな音が響いてしまう。
そして静流の細い足首との隙間は容易に水を迎える。
「自分の足もとぐらいちゃんと見ておけ」
ぐうも言えない。
寿人はフードを深く被っていた。
「・・・・相川」
その声は緊を帯びていた。
「なんですか?」
「俺がお前を助けたと人には言うな」
その申し出に眉を顰めた。
「どうしてですか?」
返事はなく、堅い沈黙だけがあった。
言えば、少なくとも魁は寿人を見直すだろう。
そしたら・・・・仲良くなるきっかけが出来るのでは無いだろうか?
訝しみ、見詰める静流に寿人は静かに付けくわえた。
「どうしても、だ」
 貸しが山ほどあるんだから一つぐらい言うこと聞け。
そう言われると何も言えない。
「分かりましたわ。
 私を助けてくださった方は名も知らぬ通りすがりの方。
 これでいいですか?」
寿人は頷いた。
そして、視線を走らせた。
「来たか」
え、と静流が声を出す前に寿人は後ろに軽く下がった。
アスファルトが弾けた。
水しぶきが静流に当たる。
え?
寿人がもしあのまま静流の隣にいたら・・・
弾けた方向から、相手の位置をしる。
濃い闇からぬっと出てくる人影。
そして次に低くしかし凛と響く警告が来た。
「退け、今度は当てる」
全身が濡れ、長い髪は体に巻き付いている。
眉を立て、
手には光りが灯っている。
力の込められた【杖】を今もなお寿人に狙いを定めていた。
そして緊が緩になる。
「静流、大丈夫?」
魁は寿人―白い男から視線を外さずに声をかけた。


「魁君!」
今までずっと探してくれていたのだ。
この雨の中を。
胸が痛む。
「静流、早くこっちに」
普段の魁からは想像できない緊迫。
魁は静流が着ている服が違うことに気づいていた―
「静流に何をした」
白い男は何も答えない。
しかし、その銃剣を握る力がこもった。
一気に空気が戦を帯びた。
「・・・・・」
魁も口を閉じ、陣が瞬く間にできあがる。
いけない。
静流は二人の間に飛び込んだ。
傘が手から地面に落ち、跳ね、雨を集めた。
白と赤と黒が一直線上に並んだ。
「いけません!喧嘩はいけません!」
男から魁を護り、
魁から男を護るその行動に魁は訝しんだ。
「静流、誰」
「えっとその」
剣崎寿人、とは言えない。
言わないと約束をした。
焦る頭でも口は動いた。
「ぼ、暴漢から助けていただいたんですの。恩人、です」
魁は緊を解かない。
そんな“いい人”が裏にいる確率を知っているからだ。
そして、“助けていただいた”時から結構な―悪巧みをするならば十分な時間が経っている。
だいたい顔を見せないというところからして怪しさ満点だ。
「えっと、助けていただいたんですが、その、気を失ってしまって!」
しかし静流からは男に対する警戒心は無く―
そのときだった。
男が軽く動いた。
魁は力ある言葉を言おうとしたが、寸前で止める。
男のその行為は静流の背中を押すものだった。
行け、と。
静流はおろおろと二人を見返し―
少年に頭を下げて、魁の元に走った。


「魁君、本当に」
「静流は黙ってて」
静流の手を握ったまま、背に庇い魁は緊を解かない。
しかし、堅く結んだ口は押し上げられた。
「・・・・・静流を助けてくれて、ありがとう」
悔しいが彼がいなかったら間に合わなかっただろう。
静流が一応は信頼を見せているのならば信用できるか、とも思うが
そうみせかせて闇の罠に落とす輩もいるのだ。

警戒心むき出しの魁に男は銃剣を軽く握り直した。
それは構えの体勢ではない。ただ握るというもの。
少年はおろおろしている静流と眉をたてたままの魁を見、



苦笑した。



その、仕草に
静流は心が痛んだ。
まるで決して、どんなに望んでも
手に入らないものを見るかのような
自嘲の笑み。

もう少しで声が出そうになった。
名を、彼を表す名を呼びそうに。
簡単ではないか。
フードをあげ、名を告げる。
ただそれだけで
きっと友になれるのに――


しかし急に前に引かれた。
魁が一歩前に踏み出したのだ。
静流は斜め後ろから見た。

訝が疑に
疑が希に
希が確に
確が驚に

驚が嬉に

雨音を切り裂く声が響いた。



「    椿     」







それは決して華の名ではなく
確かに目の先にいる少年をさしていた。
―静流は魁を視た。
その顔は喜びを表していた。そして、焦りを。
魁は静流の手を放さないままもう一歩前に出た。
雨が激しくなった。
しかし、魁は叫んだ。
「椿、椿だろ!?」
顔は見えない。
口だけだ。
混乱、静流は混乱した。
彼は寿人だ。―椿?

少年は、寿人は、椿は
呆気にとられたように表情がゆるんでいた。
そして、

呆が嬉に
嬉が悲に
悲が惑に
惑が無に

無が嬉に


破顔した。
堅い殻に覆われた心が喜びで満たされ、
そしてその思いの強さ、大きさをもって殻を破ってあふれ出た感情。
泣はなくただただ喜びがあった。
静流が初めてみた、寿人の本当の笑顔だった。
その表情に後押しされ、魁は続けた。
「生きてたんだ・・・心配した!」
少年は肩を軽くすくめた。
魁の心配など杞憂に過ぎないと言うかのように。
そして、もう一度口の端をあげて皮肉げに笑い、
何も言わずに背を向けた。
「椿?待って―」
少年は振り向かない。
しかし魁は尚も問うた。
「また、会えるか?」
その言葉に、少年は足を止めた。
すがるような、刻。
少年はしかし背を向けたまま、しかし軽く手を振った。
再会を望む、その仕草を魁は見、
そして、強光が目を突き刺した。
「椿!」
視界が戻ったそのときには白い影はなかった。
雨はまだ止まなかった。