章・過去が眠る楽都市で踊り狂え

07.馬鹿親大騒動


 

やばい。
冷房は効いているのにじっとりと汗ばむ。
魁がまさに近藤から胃薬を受け取っている頃、燐は窮地に立たされていた。
目の前には夏だというのに黒スーツを着ているいかにもその道だとわかる屈強な男達。
そのリーダー格―スキンヘッド―が携帯でどこかと通信している。
どこか、そんなこと。
一つしかない。
「新堂家のお嬢様をお見付しました」
答えはその男―静流の普段の護衛から告げられる。
後二、三お約束な会話が続けられ―
「……中畑、さん。」
中年のスキンヘッド―中畑は携帯の通話を切った。
ここの位置を知られるには早すぎる。
中畑はイヤミなほど完璧な―うやうやしくお辞儀をした。
「燐お嬢様。静流お嬢様共々、お迎えに参りました」
その瞳は笑いも怒りもない。
ただ義務があった。
「……こんにちは、中畑さん。ちょっと早すぎません?」
後ろ手にエンから事前に渡された木刀を握る。
「携帯を持ち歩いたままでは位置が知られる、と一言申し上げましょう」
GPS!!
その可能性をすっかり忘れていた。
あまりの迂濶さに吐気がする。
いけない。このままでは。静流は納得していない。
「中畑さん、あの」
「お話は後程、静流お嬢様をお呼び下さい」
「お見合いはどうなるんですか」
「後日、改めて」
それでは意味がない。
しかし燐の焦燥をよそに中畑は部下に指示を与えた。
「静流お嬢様を探しだせ」
「中畑さん!!」
燐は手に木刀を掴み、
受付から飛び出した。
診察室にむかう扉に一番近くにいた護衛を一閃。
わき腹をえぐる感触が手に伝わる。
「静流は、帰る気はありません」
蹴りでもって遠ざける。
ここは絶対防御。
「燐お嬢様、私の主人はお嬢様ではなく、旦那様でしててね」
おどきください。
「嫌ですわ。不法侵入で訴えられますよ」
「ここは、病院でしょう?」


「あぁ、そうだよ」


声が―燐は一気に安心した。
燐の背中に戸が当たる。
振り返るとエンが立っていた。
その奥には顔を青くした静流。
「静流っ来ちゃ駄目っ」
「まったくだ、退け」
どちら共に言われた言葉。
燐は屋主に道を譲った。
エンは五対一にも関わらず余裕の笑みを浮かべた。
「ここは病院だ。怪我してねぇやつ以外は出ろ」
「ではお嬢様達もお返しいただこう」
「馬鹿言うな。新堂娘はともかく相川娘は只今治療中だ、ボケ」
エンは燐を背にかばう。
「でもって新堂娘は相川娘の付き添いでな。ここにいてもいいんだよ」
中畑は表情を変えることなく懐から黒光りするものを取り出した。
「中畑さん、やめて!!」
静流は銃を見て叫んだ。
「ではお嬢様、こちらへ」
ぐっと息を飲む。
無視されたエンは溜め息を付いた。
「やれやれ……おい、禿げ」
的確に中畑を表現し、且つ挑発した。
「知ってるか。
日本猿の雄の成体は尻が赤くなり、
ヒヒの雄の成体は背中が銀に輝く」
エンは一歩踏み出した。エンは肩をすくめ続ける。

「そして人間の雄にも第三次性徴がある。
……まぁ生物的に大人ってことだ」
何か分かるか?

エンは中畑の頭を指差した。
「頭が禿げることだ。」
よ、大人。
「大人がガキの喧嘩に口だしすんじゃねぇよ」
エンは笑う。
中畑は銃口をエンの額に向けた。
「大人だから、口だしをするのですよ。静流お嬢様を渡しなさい」
くそ医者。
予告なく銃声がなる。
それはエンのこめかみをかすり、金色の糸が宙に舞う。
「止めて…止めなさい!!」
出ていこうとする静流を燐は止めた。
そしてエンも止めた。
「てめぇ…・・俺様の城で無粋なものを使ったことを後悔しろ」
俺様を怒らせたことを後悔して失せろ。


凶悪な光が目に宿った。
獰猛な―酷薄な笑みが顔に広がった。


「勝負はついたんでな」

はじけろ

不思議な揺らぎをもった声が部屋全体に響く。
瞬間、中畑が構えていた銃がはじけはじけとんだ。
「っっ!!」
一斉に他の護衛が銃を構え―

はじけろ

引金を引くより先に勝手に弾ける。


エンは一転穏やかに微笑んだ。
「てめぇら全員、俺様の手の上だ」

ふっとべ

五人は―爆発でも煽られたかのように壁に叩き付けられる。
中畑はナイフを取り出し―

まがれ

ナイフが突如飴細工のように曲がった。

エンは一歩も動かない。
しかしエンは全てを支配していた。
燐も静流もその理解不能の力に恐怖を感じた。

その絶対的な力の前に恐れ慄く

中畑の目が信じられないと揺らぐ。
「まさか…お前、いや貴方は!」
小さな城の偉大なる王は罪人に告げた。
「おい、中畑。てめぇの主人に伝えろ」
その場から一歩も動かずに城の王は不敵に笑う。


てめぇのガキはまだ治療だとな





お迎えが帰った後、沈黙を破ったのは静流だった。
「あの・・・私治療中なんですか?」
エンはタバコではなく、飴玉を口に放り込んだ。
「あぁ。そりゃ嘘も方便ってやつだ」
過剰表現だ。
ガリボリガリボリ
噛み砕く意外に壮絶な音が響いた。
味わいでもなく、そのまま飲み込み、また飴玉を食べた。
「痛んでいるのは確かだからな」
あとで錠剤渡してやるから舐めとけ。
静流はうなずいた。
「おじさん、来るかな」
燐の呟きに静流は膝の上で握る手がきゅっと小さくなる。
「わかりませんわ」
そして護衛が発砲したことをエンに謝った。
エンはそれを鼻先で笑う。
「撃ったのは相川娘、お前じゃないだろ」
謝罪なら本人たちにさせる。
「返り討ちにしたしな」
やんわりと静流は微笑んだ。
それはまだ硬いものだったけれど。
じっと、じっと瞼にこみ上げる熱いものを堪える。
ここまでしてくれるエンに
―なにも見返りを要求してこないエンに
なぜもどうしてもいえない。
ただただ有り難かった。
ただただ嬉しく
ただただ申し訳がない。
言葉で語るには気持ちで胸がつかえていた。


燐は受付に戻っていた。
また来るかもしれないからだ。
来るとしたら今度は手勢を集めてくるな。
エンは安っぽい甘味を喉に押し流した。
目の前の少女はなにか堪えるようにうつむいている。
何がどうとかエンは考えない。
もしかすると静流は感謝しているのかもしれない。
しかし、これはエンの決めた誓い。
誰でもないエン自身の。
全ての人を救えれないのなら、
誰か―患者―が望む限り完全完璧にやり遂げたい。

できる限りの対策を立てるか。
電話を取り、すばやく番号を打った。
相手が出る。
「俺だ。仕事を切り上げたらすぐにこっちに来い」
一方的に告げて切った。
こういう保険は多ければ多いほどいい。
後二ヶ所にエンは電話をかけた。
会話は成り立ってはいなかったけれど。