章・過去が眠る楽都市で踊り狂え

08.戦の夜は長く暗く


 

燐が丁度床でストレッチをしていたとき、虫の羽音のような音がして部屋は一瞬で闇に落ちた。
「きゃっ。え、何停電?」
ベットの近くにいた静流はその位置のまま動かずに小首を傾げた。
「ブレーカーが落ちたんでしょうか?」
下では物がひっくりかえった音が幾重にも響いた。荷物をひっくり返したようだ。
二人はクエッションマークを頭に浮かべたが、さほど恐怖を感じてはいなかった。
光が欲しいならいざとなればマギナを使えばいい。
「どうする?」
マギナを使う?
「明日の英気を養うためにも待っていましょう」
どうせ眠るのですし。
それもそうね、と燐が肯いたとき、裏口が開く音がした。
そして足音、閉じる音が続く。
「・・・・・誰でしょうか?こんな遅くに」
「魁じゃないかな・・・・?」
ここに裏口から来れる人間は限られている。病人けが人は表から入ってくるようにしてある。
そうなれば魁ぐらいじゃないだろうか。リリィという選択肢もあったが、燐はあえて考えなかった。というより・・・・
魁だったら・・・・。
いいなぁっと今までの自分だったら思っていたはずだ。
でも、思い出すのは・・・・・


盾に飛び込んできた魁。
たしなめてくれた魁。
戦いの夜に迷わず表へ出た魁。


何もできなかった自分。


 静流の家出騒動が一段落してから一度もあってはいない。なんでもバイトが大変だという。
バイト。自分で生活費を稼いでいる。それは燐にとって驚きであり、尊敬でもあった。
もっとも燐の家は大金持ちだ。技術の知を有する橘家から【剣】に関する製造権や諸々の権利を買い取ってからの事業は安定している。よって子供が五人いる家族でも余裕で暮らすことが出来るし、もちろんバイトはしなくてもいい。もっとも、上の三人、兄達と姉は成人し、働いているが。
 魁は自分の道を自分で地をならし舗装し歩んでいっているのだ。今の歳で。
こちらに来てからの魁は本当に生き生きとしていて、ずっと遠くにいるひとのようだ。
それが燐の心に冷たい風を吹かせていた。
遠い。
もしかしたら、同じ大地に立っていないのではないかと思ってしまう。
こっちにきて、魁に会えて、本当に嬉しい。

でも、それ以上に、あまりにも魁について知らないということが目の前に突きつけられた。

魁が家族のこと、今は亡き妹さんやお兄さんのことを話してくれた。私にいってくれた。嬉しかった。それが魁にとって『特別』なことんだと、自惚れてた。

こっちでは『そんなこと』、みんな知ってるのに。

燐はベットの縁に顔を埋めた。小さくうめく。
こっちに来てから情緒不安定だ。
マギナは出来ない。魁は遠い。

 静流はしっかりと自分の道を歩んでいるように見えた。それはとても困難な道だけれど、修行で意識が飛んだことも少なくないけれど、静流の顔には喜びがあった。

ヒトと比べるのは愚かなことだ。比べるべきは自分自身だ。だが、目の前にある『光』を見て、自分の足下からのびる『影』をみて、それをまぶしいと思ってしまう。

嫌な子だ。静流はがんばっているのに。

ぽんぽんと髪の毛が叩かれ、前に軽い重圧を感じた。
「大丈夫ですか?」
静流が側にいることを感じる。何も見えないが、静流が心配そうにしているだろうことは判った。
「ん。だいじょう・・・」
「燐さん。大好きですわ」
は?
いきなりの告白に燐は闇夜の中で目を瞬かせた。もちろん何も見えない。静流の真意も見えない。
静流は手探りで燐の頭の位置を探ってその側に横になった。きしむベット。
そっと燐の頬にすこし修行で堅くなった静流の手が添えられた。
「だーい好きですわ」
ふふふふふ。
「し、静流、どうしたの?」
むしろこっちが大丈夫?だ。
静流はくすくす笑いながら続けた。
「燐さんってこの頃魁君のことばかりで、わたくし少々寂しいですの」
なっ!!!
燐の肩が座りながらにはねた。魁のことばかり!?ってえ!?
静流はあの特有の笑顔をまき散らしているだろう、声の調子で続けた。
「いえ、もちろん、魁君のことを考えている燐さんはとてもとてもかわいらしいですけれど」
ちょっとは構ってくださいな。
「し、し、静流ぅ!?」
なにをおっしゃっているのかわかりませんことよー!
慌てる燐に静流は小さな笑いを止めなかった。そして次第に大きく腹を抱えていた。
「とてもかわいらしいですわ、燐さん」
「え、ちょっとまってよ!?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どういう意味よ」
思いの外ドスのきいた声になった。
「んー。魁さんを思っていらっしゃる燐さんは愛くるしいと」
「べ、別に魁のことなんか思ってないし!」
あらあら、燐さん。
「わたくしの目をごまかせれるとお思いですか?」
燐の数倍も観察力のある少女は無敵の笑顔を誇る。
燐は火がでるほど顔が真っ赤になった。いますぐにでも燃えそうだ。
静流はずばり言い当てた。
「魁君のことが好きなんですか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぅ」
視線が泳ぎ泳ぎ、瀬戸内海から太平洋大西洋インド洋と泳ぎ黒潮にのって戻ってきて一言。
「わかんない」
火照る頬はそのままだ。自分の未熟さを取り繕うように燐は早口で言ってのけた。
「だって魁のこと知らないし。ううん。知っているって自惚れてた。学園の世界でしか魁を見てなかったのに、会って半年にもならないのに、魁のこと知ってるって思いこんでて。こっちきて知らない魁を見て、私が思ってたよりもっとしっかりしてて・・ちゃんとしてて・・・・なんか魁は私が守らなきゃって思ってた。剣崎とか、もっといろんなことから守ってあげなきゃって。なんて傲慢なんだろう。魁はこっちではしっかり生きているのに。マギナだけで弱いって決めつけてて・・・・・なんか自分が情けない。魁が好きって思ってた。でも、それは・・・」


私が勝手に作った魁の理想像に勝手に好きだって思ってただけ・・・・・じゃないのかな。


沈黙が降りて、燐は不安になった。まさか、静流に限ってそんなことはないだろうが、いや、でも・・・・

静流のことだってわたしは何を知っていたというのだろう。

そう思うと泣きたくなった。自惚れ。自惚れ。自惚れ。

静流が喋る呼吸が聞こえて燐はぎくりとした。そして静流の声が燐の鼓膜に届く。
「・・・・わたくし、いままさに惚気られておりますわ」
まさか燐さんの惚気が聞けようとは・・・・幸せですわ。
「静流、ちょっと脳みそ揺さぶってあげるからちょっと貸しなさい」
いやですわ。
静流はベットの上で逃げた。燐も静流の後を追ってベットに飛び込む。
「ちょっと、静流!」
「うふふふふ」
ベットは小さい。すぐに燐は静流を端に追い込んだ。
「覚悟いい?」
「きゃー襲われてますわ」
「片言なのよ、言い方が!」
飛び込んで静流を押さえつけた。つけて、脇をくすぐった。
「きゃっあはははは、おやめくださいな」
「もー許さない!こっちは真面目だって言うのに」
今度は首だ。
「あははははは、だ、だめです。首はよして、あはははははだめですー」
うりゃうりゃー。
じゃれ合う二人は気がつかなかった。後ろでドアがそっと開かれたことを。
そして二人の応戦は闇夜の枕投げに発展しようとしたとき、燐の肩が後ろから叩かれた。
「え、静流?」
振り返った瞬間・・・・光が現れ、そこから見知らぬ女性の顔が下から浮かび上がった・・・・
「うらめしや〜」
燐の大絶叫が夜の帳を切り裂いていった。





「うわははははは」
豪快に笑う女性が一人、魁の椅子から転げ落ちそうになっていた。
「悪いなぁ、ちょっとやってみたかってんよー」
ランプが灯され、机の中心に置かれている。まだ電気は復旧していない。
「近所迷惑だろうがこの馬鹿娘どもが」
エンが半目でこちらを見下していた。燐達は一階に集まっていた。
燐は先ほどとはまったく違う色合いで顔が真っ赤だ。隣で静流はにこにこ笑っていた。
「えーっとこの子らどちらさんなん?魁の部屋におってんけど。しかもベットの上。うわエロいわ〜」
「魁の学園のダチで今は俺の弟子だ」
「要約すると素敵で可愛らしい命知らずってことやな。・・・・・・エン様、殺しなや」
「うるせぇ」
ぽんぽんぽんと関西特有の会話のペースに燐は追いついた。慌てて名を告げる。
「新堂 燐です」
「相川 静流ですわ」
にこっと猫目の女性は自分の名前を告げた。
「うちは、榊原 和泉や。えーっと魁のお姉ちゃん的存在やね」
よろしゅうな。
「・・・・お姉ちゃんなんていわれたことねーだろ」
「うっさいわ!何であんなに魁は強情なんよ!むっかしから何度もいってんのにさ!ちぃともいってくれへん」
「はっはー振られてるな。この振られ女」
「うわー和泉ちゃんハートブレイクノックアウト三振空振りやわー」
ぺしぃっと自分の額を叩いていた。だからテンポ早いって。
榊原・・・遊都で榊原という姓をきくとどうしてもあの企業を思い出してしまう。
静流もそうだったのか、先に話しかけた。
「あの、失礼ですが、もしかして天照の・・・・?」
和泉は呆気楽観として肯いた。
「せやよー。ウチのおとんが会長でウチの兄貴が社長やっとるわ。ウチは一応秘書やっとるけどまぁみんなの雑用やな」
げっと心の中でうめいた。親戚か何かと思ったら、直系か!しかし、なぜそんな直系のお嬢さんが魁のお姉さん的存在括弧自称なのだろうか。
「そちらさんも、あれやろ。いいとこのお嬢さんやんなぁ?『新堂』と『相川』の家族写真みたことあんねんけど」
「え、あ。はいそうです」
和泉は突如身をくねらせた。エンは淡々と茶をすすっている。
「うわ〜〜うちらってあれや。セ・レ・ブ!セレブ嬢や!芦屋嬢や!」
「キャバ嬢みたいだな」
「エン様、若いこの前でセクハラ発言はあかんで、このいけずー」
「貴様、もう夜なんだから落ち着け」
「うちいっつもこんなんやん」
なお悪いわ!!
エンの高速レッドスリッパが和泉の頭に気持ちの良い音を立てた。そのスリッパには『和泉専用機 通常の三倍速』と印刷されている。って、特注なの、あれ。
エンは不機嫌を隠すことなく和泉の鼻を引っ張った。
「ぎゅー!」
「こんな遅くになにしにきたんだ初代馬鹿娘」
「エン様に夜ばいかけにぃぃぃぃいいいいたいいたい!すんません!お薬もらいにきてん!」
エンは舌打ちして和泉の鼻から手を離した。ほの暗いなかでもはっきりと和泉の鼻が赤くなっていた。
「患者に向かってなんてことすんねん!」
「喜べ、鼻が高くなったぞ」
喜べるかい!
「もう切れたのか・・・・早くないか?」
声のトーンが下がっていたことは付き合いの長い和泉にしか判らなかった。和泉は微苦笑をもらした。
「んー。まぁな。そろそろやばくなってくる時期やし、しょうないね」
エンはその言葉に舌打ちし、薬を取ってくるとだけ言って壁に立てかけていた方の非常用ランプを手に取り食卓から去っていった。
どきっとするほど和泉の顔がほの寂しく陰影を作った、が、次の瞬間太陽のような笑顔で燐と和泉に顔を寄せた。まるで影などどこにもないと錯覚させるほどだった。どこか自分が獲物のような感覚に燐はとらわれた。
「なぁなぁ、学校で魁ってどんなんか、ウチに教えてくれへん?」
あのガキ、なーんも教えてくれへんねん。さみしいんよ。