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章・過去が眠る楽都市で踊り狂え

08.戦の夜は長く暗く


 

 黒医者は戸棚の鍵を開けて、奥にある箱を取り出した。それは和泉専用の薬が入っている。その鍵も開けて、陳列された薬の容器をみた。
 明らかに、そう明らかに薬の減りが早くなっている。エンは強く舌打ちした。思い起こすのは自分が医療系の道へゆくと決めた動機だ。
「やっぱ、何度抗っても遺伝子には勝てねぇってか」
胸くそわるかった。
 和泉は昔からエンの患者だった。正確には英雄が転がり込んできて天照と関わり合いになったときからの付き合いだ。そのころから少女がこの病院に来る理由は同じ。しかし、彼女はこれまで一度も病気にかかったことがなかった。彼女は子供のうちに必ずかかると言われている病気にもなったことがないし、軽い風邪もひいたことがなかった。和泉は完全なる健康体でこの二十年生きていた。
 そう、彼女は異常なほど免疫力が強かった。まさに病原菌にまみれた薬の物資が少ないこの混迷の世界を生き延びるのにふさわしい強さだ。
 その強さは遺伝性のものだった。それも女性にしか発現せず、事実和泉の兄である和久は普通の人間だ。
 そしてこれは世界の理と言うべきか、それがなんであれ人並みはずれた強さは必ず代償を求めるのだ。そしてそれは――
「あと、十年、か」
三十、たった三十歳を重ねるか重ねないかで死に至るというものだった。・・・・・・彼女の異常な免疫力が徒となる結果だ。
 人間は二十歳を超えると体力が衰え始める。和泉、いや榊原の女性の場合、その白血球はその細胞の衰えによって自己であるにもかかわらず非自己として認識してしまう。早い話が自らの細胞に対して拒絶反応をしめすのだ。
 病気のうちでもっともやっかいで治りにくい、いや、ほぼ治らないとされる遺伝病。それは自らを作り出す遺伝子、DNAによるものだから始末に負えない。設計図から間違っていたら、その根本を直すことはできないのだ。
 エンは透明な液体が入った瓶を見つめた。これは免疫力を弱める薬だ。諸刃の剣の薬だ。
 免疫力が弱まれば確かに体を攻撃する力は弱くなる。しかし、それは本来のしごとである、外敵の病原から身を守る力も弱まるということだ。事実、和泉はこの前人生で初めて風邪を引いた。
「あっはっはー。これでウチも馬鹿やなくなったな」
 そう屈託なく笑っていたがとても苦しそうだった。今まで健康体そのものだったのだ。それが突然熱が上がり、体が動かなくなった。その普通の人間ならなんでもない不調も慣れていない彼女にとってどれだけ辛かったか。そして病気になることによって病状に慣れていない体に負担がかかりさらに衰えていくという悪循環。この悪循環によって、彼女はあと十年しか生きられない。
 記録によると彼女の母親も、祖母も、三十に満たないで死んでいった。さらにさかのぼってもやはり三十前後で亡くなった者が多い。これは、榊原 和泉にとってもう決定づけられた寿命だ。遺伝性であるかぎり、命が繋がってゆく限りこれは消えない病なのだ。

 薬は多すぎても少なすぎてもいけない。体重維持を命じているが、一応もう一度測り直した方がいいだろう。
 エンは薬を片手に視線をあげた。

 どんなに過去に名声を持っていても、それだけで人を救うことはできないのだ。



「あははは!・・・・・あーもう魁って爆笑やね」
ひとしきり学園での魁を話すと和泉は嬉しそうに笑い転げていた。そこまで面白いことはなかったと思うが、昔なじみだとやはり笑うツボが違うのだろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・それすらも羨ましいと思ってしまう自分はなんと浅ましいのだろうか。
 和泉はご機嫌のままのびをして手元にあるコップを暇そうに揺らした。
「魁、楽しそうでよかったわ」
その微笑は本当に魁を思う姉のようだった。そして少し憂いと安堵を帯びたそれを見て、燐は当たり前のことに思い当たった。

―彼女は、和泉さんはカイの家族のこと、お兄さんのことを全部知っていて、そのとき魁の側にいて一部始終を知っている。

 確かに、魁は自分の過去を私に――おそらく学園では自分にだけ――教えてくれた。でも、和泉さんは聞かされるまでもなくずっと彼と一緒にその時間を過ごしたのだ。
 そう思うと胸の奥が火に炙られたように痛んだ。

だから無意識のうちに言ってしまった。その痛みに悲鳴をあげるように。

「和泉さんは、魁のこと、よく知っているんですね」
不思議顔の和泉が目に映って慌てて目をそらした。
 うわ。何言ってるの、私。
一気に顔が熱くなる。嫌だ。これでもはまるで自分が和泉さんをうらやんでいるようではないか。いや、そうなのか!?
 うわぁぁぁ。自己嫌悪だ。
目を数度瞬かせた和泉は当然のように胸を張って言ってのけた。
「当たり前やん。魁とは六年間ずっと一緒やってんから」
あぅ。直球、胸にストライク。ずどんと重かった。
「友達っていうか・・・そうやなー。家族みたいなもんやね」
エン様ファミリーってね。
「ぶっちゃけ、燐ちゃん達の数千倍、魁のことしっとるよ」
うぅぅぅ、悪気はないと分かっているがすごくなんか辛い。
そりゃそうじゃない。たった数ヶ月と六年間だったら全然質も量も違うに決まってるじゃない。
 和泉ははっきりと落ち込んでいる燐を見て、ゆっくりとにたぁっと人の悪い笑みが顔に広がった。そして燐がうつむいていることをいいことに、静流に視線を投げかけた。静流と申し合わせたように視線が合う。おもむろに和泉は両手の人差し指と親指でハートマークを作って首を傾げた。
【燐ちゃんは魁にラビュ〜?】
そんな内容のテレパシーを受信した静流は和泉と同じ手の形を作って深く頷き、そのまま口元に片手の人差し指だけ残った。
【はい、でも双方に内緒です】
和泉は無音で肯いた。
【了解、魁燐生暖かく見守る会、副会長に立候補するであります】
【会長の私が認定いたしますわ】
二人は顔を見合わせて、生暖かく微笑み、拳で親指を立てあわせた。
あくまでゆっくりと肯く。深く、長く、しっかりと。

そんな二人のテレパシー会話に燐は全く気がつかなかったのだった。