章・過去が眠る楽都市で踊り狂え

08.戦の夜は長く暗く


 


「おかえりなさいませ。お仕事、お疲れ様です」
 麗しきの受付嬢が優雅にお辞儀をした。深夜だというのに、その身なりは完璧だ。疲れを癒す笑顔が眩しい。DOLLだからと言ってしまえばそれでお終いだが、それでも暖かい対応はありがたかった。
 盾一行は襲撃者達を天照本社に連行した。これで近藤が必要な書類を届ければ、今夜の仕事は終わる。一応、カナメ、サトル、蘭の三人は農場の方に残し、事後処理に当たらせていた。
 リリィは近藤に渡された書類の確認をし始めた。
「近藤局長殿。お疲れ様でした」
「あぁ。リリィ殿がこんな夜遅くに珍しいですな」
 リリィは視線を近藤に一瞬だけ向け、再び書類に戻した。
「休暇を取らせていただくので、多めに労働させていただいております」
 その言い方は強制的な響きを持っているが、実際は違うだろう。言葉がわずかに素っ気ないのは近藤――魁の後援者の一人――だからであろう。素の方が演技の前に出ている。
「――社長」
 リリィが不意に視線をあげた。エレベーターのドアが開き、天照社長――和泉の兄、和久が現れた。和久は近藤に頭を軽く下げた。
「お仕事ご苦労様です」
「いえ。こちらこそご協力ありがとうございます」
 和久は人の良さそうな笑みで答えた。こういった公式の場面では各自の立場を理解している。
「遊都を守りたいという気持ちは同じですから協力するのは当然です」
 二人は互いの手を握った。天照と遊都ガーディアンは良好な関係を結んでいる。個人的な繋がりもあるが、それを表に出すことはない。なれ合いではなく、あくまでビジネスだ。害があると判断すれば、どちらもこの関係を白紙に戻すだろう。
 もっとも、盾は天照に大きな借りがある。先代の局長の不正を暴いたのは天照だからだ。
「リリィさん。彼らの部屋は用意できているね?」
「当然であります」
 リリィは頷き、待ちかまえていた社員に頭を下げた。
「ご案内、お願いいたします」


 畜生。
 何度思ったかも忘れた。何度も何度も繰り返したって何も変わりはしない。だが、どす黒く渦をまいているものが胸を食い破らないようにするためには罵詈雑言を吐くしかない。
 畜生。
 なんであたしばっかり、こんな目に遭わなくちゃならないんだ。
 なんでこんなにも不公平なんだ!
 マギナを使えると思ったときのあの高揚はもうすでにない。力を手に入れたはずだった。これで綺麗な世界にいけるとおもっていた。人より優れているはずだった。他の奴らよりも。マギナ――魔法が使えるのだから。
 たった一声で人を殺せる。たった一語でビルを破壊できる。こんな都市、めちゃくちゃにできる。しなかったのは、無くなるとさすがに困るからだ。仲間がいるからだ。じゃなかったらこんなところ、燃やし尽くしてしまっていただろう。忌々しい記憶しかない。
 大体、なんで同じマギナ使いだというのに、あたしがこんなイヌみたいに首輪をはめられてて、こいつらが白い綺麗な服を着ているのだろう。自分と何が違うというのか。同じじゃないか。同じマギナが使える人間じゃないか。天照なんかにこびを売りやがって。
 畜生。
 なにが天照だ。なにが天を照らすだ。こいつらのせいであたしの未来は曇天だ。何がどこでおかしくなってしまったのだろう。
 ただ、生きたいと、まともな暮らしがしたいと願っただけなのに。
 少女はぐっと拳を握った。そんなことしができなかった。
 視線の先には受付では美しい女性がいた。自分たちを地獄に導くようだ。手が届かない存在。キラキラと光って、女神様のようだった。その手は白く、ほっそりとしていた。綺麗だった。手入れの行き届いた爪がなめらかに光っている。
 同じ。女だというのに。
 自分が受付嬢と同じ年齢になったとしても、ああはなれない。生まれが違うのだ。
 少女は彼女がDOLLだということも知らなかった。ただ、その美しさがねたましかった。それは少女にとって富と権力の――勝者の証だった。
 畜生。
 少女は全てを呪った。自己を正当化し、己の責任を他人に押し付けた。
 畜生っ。
 泣くものか、泣いたら負けだ。畜生。泣くものか。これからどうなるか、その不安が心をむしばんでゆく。それを認めたくない一身で、憎しみで上塗りしていく。黒く昏く、光を飲み込む闇。
「農場にはあとで査察に行きましょう」
 うるさい。
「彼らの処遇はまた後ほど連絡いたします」
 うるさい。うるさい。
「後ろになにか大きな存在がいるようなので、それも後日」
 ぞくっとした。ばれている。いや、ばれていない方がおかしいか。たしかに彼が――その財力が――いなければ立ち上がっていなかった。そんな弱小と思われているのはプライドが傷つくが、歴然たる事実だ。
 失敗した。そしてばれたとき、死の制裁がまっている。
 刑を償い、世間にでれたとしても、待ち受けているのは死だ。
 未来は無い。わずかに光っていた灯火は闇に飲み込まれてしまった。
 そのとき、明るく美しい声が、少女の闇を更に濃くした。
「ただいま〜っあにじゃーって」
 玄関から入ってきたその女はぴたっと動きを止めた。大勢の人間の視線を一身に浴び、それでも臆することはない。
「あー。仕事、中?」
 重々しい空気のなかに飛び込んできた場違いな女。少女は鼻先で笑った。その女も美しかった。とても。溌剌と、この世の苦労など感じたこともないと思わせる。無邪気だ。眩しい。女神のような受付嬢とは違い、人間味が有る分なじみやすい。
 その天真爛漫な笑顔がすっとひき、現れたのは大人の女性の笑みだ。
「――すみません。社長。只今戻りました」
「遅い。日が変わる前に帰ってこいと言っておいただろう」
「すこし、話し込んでまして――いえ、社長が心配なさるようなことではありません」
 苦笑。よく似た二人、――少女はその女の正体が分かった。天照の一人娘――姫だ。姫は王子と侍女のところに綺麗な姿勢で歩む。
 どっと泥水が心に湧き上がった。憎い憎い天照の愛娘。甘やかされて育った、将来も保証されている愚かな娘。
 飢えがどんなものか知らないに違いない。
 貧困がどんなものか知らないに違いない。

 砂の味を、乾燥の味を、灼熱の太陽の味を、極寒の風の味を――

 血の味を知らないに違いない。

 獰猛な感情が、少女の体を食い破った。



 陣を形成する直前の不安定なマギナ――それに巻き込まれることは雷雲の中に身を投じることと等しい。
 少女の首輪は確かに、マギナを発動させない。しかし、言葉を発する以前――マギナを集め、陣を形成することは出来る。陣形成過程の高圧高温下にあるマギナが危険で有ることは知られている。それでも首輪を使うことみには理由がある。まず一つに陣形成発動が、発動者の意志にのみ依存し、止める事が難しいということ。そして、その不安定なマギナは一定以上発動者から離れれば霧散してしまう――並の者ならば。
 そう言った意味では少女は確かに非凡な存在だった。



「危ないっ」
「和泉!!」
「へ」
 その憎悪の矛先が、和泉に向かっていても。
 閃光を纏った固まりが和泉を飲み込んだ。