聖姫と愉快な魔族達
01.貴女はそれでも微笑みますか



秋。
 まだ碧色で彩られた世界を茜色の風が線を引く。筆を滑らすように世界を渡る。大地と空に色は馴染み―全てが暖系色に変わったとき風は北へと急ぐ。
北へ北へ北へ。
冬をもらいに旅は続く。


 そこは一面、濃淡の世界だった。
墨に似た深緑からほとんど黄と変わらぬ若草が風に揺れる。季節は秋、秋も中旬に入ろうとしていた。しかし枯れ草は見あたらず、森々は物言わぬ生命に満ちていた。風が吹く以外に音はない。さらさらと雨に似た音が唯一玄天を震わせる。獣が吠える事はなく、鳥が歌うこともなく―いや、大地を踏む音もしなかった。異様な森だった。 そう、ここは命なき森―神の加護なき大地ドラセナ。そして魔族の棲みたる ブローディアと神在りたる大地 ルピナスの境界だ。まともな人間―動物なら近づきはしない。
 だからこそ、その音は良く響いた。
軽い何かが小枝を折った―踏んだ音。それは歩調と同じリズムを刻んだ。緑の中にただ一点の赤が目に眩しい。手と胸ににいっぱいの結わえた薪を抱え、よたよたと歩いていた。小柄な少女にはやや過剰すぎる量で足下どころか前すらも見えていないだろう。事実、少女の足は浮き出た老樹の根に―


「っつ!」
「・・・・何をしている」
転ける―そう思った瞬間に体が浮いた。腹から抱えられ、足が宙を浮いている。相手が大きいこともあるが少女が小柄だからといった方が理由として正しい。まったく気配を見せなかった―突如として現れた黒豹髪の青年。しかし、少女は恐れることなく薪を抱えたまま上を向いて微笑んだ。
「ユーリ、ありがとうでありまするよ」
「その微妙な言葉遣いをどうにかできないか」
ユーリ―ユーリクレスは質問に答えていないと付け加え手を離した。そして少女には荷が重い薪の束を取りあげ眉を顰めた。よくこんなものをここまで運べたものだ。
「冬に向けて薪を集めていたのでありますよ」
邪気のない顔だ、ユーリは苦々しく思った。こんな笑顔をよりにもよってこの少女が自分に向ける。たちの悪い冗談だった。
そして自分がこの少女にかける言葉も。
「・・・・薪ならシベラスが前持ってきていただろ」
「それが・・・前、とても寒い日があったでありましょう?その日にキルが来て・・・」
キル―キルタンサス、彼の一応仲間の名前にむっとした。彼女とは相性がすこぶる悪い。かの美貌の君がどうしたって?なにかろくでもないことに決まっている。
「キルが?」
反感を隠そうともしていない口調だった。もじもじと少女は言いあぐねていたが、ポツリと洩らした。
「寒いって全部燃やしてしまったでありまするよ」
「・・・・・・・・」
呆れて物も言えないとはこの事だ。この北の大地、それも神の加護薄きこの場所で冬を越すために必須な物を、燃やした?
「最悪、カンナに一冬居て頂くことになりそうでありまするよ」
ゾワッと背筋に冷たいものが滑り落ちた。カンナ!?あの好色男と一冬過ごす!?歯軋りを堪え、呻るような声になった。
「それだけはやめておけ」
きょとんとして、何もわかっていない少女の顔にどっと疲れがこみ上げる。その表情をみて何を思ったのかわからないが慌てた様に薪をさししめした。
「カンナに悪いのでこうやって集めているのでありますよ」
この少女は元凶たるキルに手伝わせようなどとは考えないのだ。お客様には最大限のもてなしを―その信条は天晴れだが自分の生死に関わるところまでしなくてもいいだろうに。頭まで晴れているのではないか。
いや、彼女の頭が晴れているんじゃない。全員の頭が晴れているのだ。自分も加えて。
ユーリは薪を抱えなおした。それをみた少女は慌てて前にでた。
「あのっ私が持つでありますよ」
「俺が持った方が早い」
「えっと、あの・・・」
後に続いた小さな感謝にユーリは口角の片側を皮肉気にあげた。
だから、違うだろうに。自分に礼を言う少女とそれを―嬉しく思う自分は。


 二つの足音が同じリズムを刻む。ゆっくりとした優しい音だ。
少女は薪を持つ青年を気遣って、青年は少女を気遣って、ゆっくりゆっくり歩く。普通なら決して交わることが無いはず二人は共に魔の森を抜けた。
 その先には背景に空を持った小さな小さな小屋があった。掘っ立て小屋だ。
 彼女の家だった。


 それは小さな小屋だった。奥には牛馬の舎と鶏小屋、そして慎ましいばかりの畑があった。近くには森から流れきた川が流れている。
 柵の中では牛と馬が呑気に歩いている。その巨大な足から逃れた所に鶏達が騒いでいた。青年は健康そうな家畜たちを見て目を伏せた。ここは一人の人間が細々と生きて行くには十分な場所だ。魔の森のそばということで襲いかかってくるものも―動物であれ人間であれ―いない。冬は厳しいが術を知っていればのりきれないものでもない。なにより少女は働くことを苦にしていない。―ここを出て行く理由がない。
まどろっこしい回り回った思考ですぐに分かる結論を遠のかせるのが青年の常だった。そして自分の気持ちに真正面から向き合わないのも。

 足は知らず、裏の物置に向いていた。無意識もここまで来れば習慣だ。かつて山積みにされていた薪はほとんど無くなっていた。ゼロでないところを見ると彼女はさっきみたいに一人で集めてきたものだろう。・・・あれほど一人で森に入るなと言ってあるのに。危険は少ないわけで無いわけではない。ぬかるみに足を滑らしたりして怪我をしたら誰が彼女を助けると言うのだろうか。
 いつもの苛立ちを覚える。そもそもそんなことをこの自分が心配することはないのだ。彼女が怪我をしようと馬に蹴られようと―死のうとどうでもいい。少女は笑顔でここに薪を置いて欲しいと言う。意識して朗笑しているのではない。彼女の内面からあふれ出たそのままの表情なのだろう。その表情でふっと思いついた。手に持つ薪を後でキルに乾かせよう。生木は無いとは思うがこのまま悪の張本人が無罪放免では少女が可哀想すぎた。ただでさえ―ユーリは顔を強張らせた。甘い感傷―馬鹿な仲間に感化されたと言えたらどんなに楽か。彼は彼にとっては軽い荷物を下ろした。カラリと転げた薪を拾って元に戻す。心の中でため息をついた。こんな簡単にどんな荷も降ろすことができたらいいのに。





彼は思う。初めて彼女に会った日を。
涙。慟哭。
覚えたのは怒り。

理不尽な怒り。


彼―魔族:ユーリクレス―は彼女―聖導師:フラウ―を殺しに来たのに。


 フラウは彼の手を引いた。礼をしたいと茶に魔族を誘う聖女。いらない、と言いつつ引かれるままに歩く黒き魔族。弱い力なのにふりほどけない。良い茶葉が手に入ったのでありまするよ、風が彼女を優しく撫でる。風に吹かれさらりと紅茶髪から透き通るような白さをもった首が見え隠れしていた。うっすらと見える傷痕にしくしくと胸が痛む。








この細い首に剣を当てたのに。












 可愛らしい鈴の音が主の帰宅を告げた。
「すぐに作りますから座って待っていてくださいでありますよ」
小さなそしてこぎれいな部屋だった。文明の器機は何一つ無い家だ。初めて入ったときは必要以上のものはなかった。そう、たとえ死んでもその跡を残さないようにしているように閑散としていた。今は―色々なモノがある。先ほどのベルもその一つだ。あれはカンナが持ってきたものだった。小屋は簡単な作りで二階はない。彼女の寝室は奥にある。
 今でも彼女は自分では必要以上の装飾品などを買ったりはしない。金は十分に、それこそ遊んで暮らすことができるほどあるらしいが それでも。それが意味することは何か、と聞くことは憚れた。そんな彼女が買ったもの、それは椅子と広いテーブルだ。五つの色違いの椅子のうち黒の椅子を引いて座った。この色は彼の色だった。残りの椅子は白、水色、赤、青色。フラウの椅子はペンキが塗られていない。テーブルはそんな椅子を一つの円にまとめるだけの大きさがあった。
 魔族と聖女が囲む、世界でたった一つの円卓だ。
そう言って笑ったのは誰だっただろうか。シオンが贈った花柄のテーブルクロスを指でもてあそびながら彼女を待った。冷たい風が来ないせいか日差しは温かく部屋を淡く照らしていた。






 世界は神の上に成り立っている。
そして世界の均衡は【聖】と【魔】の循環によってなされている。どちらが強すぎても弱すぎてもいけない。【聖魔】を変換する均衡は神の御許で常に世界の理としてなされているが、この世に【聖】と【魔】を送り出すために【聖を導く者】である聖導師 【魔を導く者】である魔導師を神が世に送り出した。導師はただその意志に関わらず【聖】【魔】を神の御許から導き続ける。また生み出される力を自由に駆使することができた。

ところが、神の御姿を模して作られた人間にもわずかながらに【聖魔】を変換する力と生み出す力があったのだ。それは意識できるではなく心の在りよう次第という なんとも不確かなものだった。普通、【聖】は清き心から【魔】は負の感情から発生する。【魔】に取り憑かれたものは【異形のモノ】へと変貌―魔堕ち―し、更に【魔】を生み出す悪循環となる。【聖】が人に取り憑いた例はかつて無い。
【聖】の力は強すぎるため生き物が変異するほど心に蓄積できないからというのが一般的な考えだ。

 こうして神と導師達による【聖魔】の均衡はこの心弱き人間の介入によって時に荒らされた。
乱世では【魔】が蔓延り、最高の耐性がある魔導師でさえもが魔堕ちし更に魔を導き生み出す悪循環となり、聖導師が魔導師を討つまで平和を取り戻せず、平世では人の欲深き心によって徐々に【魔】が蓄積されて戦火をつけた。

堂々巡りのこの争いを とある聖導師と魔導師が止めた。

人が【魔】を生み出しやすいというのなら、人の力で【魔】を無くせばいい。
魔導師と聖導師は協力し、魔を封じ、消し去る道具を作った。
それは従来【魔】が【聖】に変換するところを【無】にし消費する道具だった。そして消費した時に放出される力を様々な力に変換した。それは炎を生み出し重きものを動かし空を駆け大地を巡る人の力となった。その力を魔法と言われるようになった。
魔道具によって一気に人の生活は向上し、そこから生まれる欲望の【魔】は魔道具によって抑えられた。

そう、やっと太平の世が到来したのだ。






到来した、はずだった。






 良い香りがした。
今にも消えそうな繊細で甘い香りだった。そして耳に響く軽やかなからかうような優しい声。涙の色はない。苦しさもない。そのことに僅かながらの安堵と怒り。恨めばいいのに、怒って良いのに・・・・泣いていいのに。
 そうはいっても、一度でも彼女が泣いたならばもう見捨てるつもりだった。孤独の重圧に負けた所詮それだけの女だったと。失望を感じて帰ればいい。二度とこんな所に来なければいい。いつもいつもいつもいつも微笑む彼女に時折、泣くところが見たいと澱んだ気持ちが出る。人の気も知らないで笑っている彼女の顔を崩したかった。一度だけ見た彼女の涙は綺麗だった。その光は杭のように心を突き刺さっていた。もう一度みたい。今も同じように彼女の涙は光を放つのか。もう一度だけだ。もう一度……
 この行為を正当化するために自分にむけて順序立てて説明する。こんな辺境の地でたった一人で暮らしているのだから。見捨てられたのだから。押し込められているのだから。どんなに泣いても喚いても誰も手を差し伸べないのだから。

 でも、貴方は来てくださったでありまするよ。

違う。来たんじゃない。助けに来たんじゃない。手を差し伸べたんじゃない。

殺しに来たのだ。

フラウ。

名前も知らぬまま、聖導師であるという理由だけで殺しに来たのだ。手ではなく剣を突きつけた。傷つけた。

それを後悔しているのかしていないのか自分でも分からない。事実に変わりないのなら、していないと言うのもしていると言うのも対して差がないのではないだろうか。

フラウは謝罪を求めたことはなかった。それに引きずられるように自分はのうのうとここにいて君が買った椅子に座って――


目を開けると日の光に当たって金に輝く瞳が弧を描いていた。
!? 微睡みから目が覚めたユーリは椅子から落ちそうになった。心臓がばくばく波打っている。目を白黒させていると聖女は穏やかな微笑みから笑い崩れた。
「ユーリのそんなところ初めてみ、見たであ、ありまするよ。く、可愛い!」
「か、可愛い……」
文句を言うよりも先にその一言で力が抜けた。可愛い・・・自分は魔族だ。今まさに人間が百年続く戦でも一度も勝ったことがない相手だ。しかも、将―最高位の地位にある魔族で人間から異名まで貰っている恐怖の対象だ。それを・・・・
「ふふふ。寝顔も見てしまいました」
ぐは。
ユーリクレスは内心で吐血した。吐血してから聖女の前で眠りこけた己に対して罵詈雑言を並べ立てた。度重なる連戦の疲れが出たようだった。戦いは生き物のようだ。数が増すごとに過激さと複雑さを増していた。もう少し人間は違うところに頭を持っていけばいい。たとえばこしゃまくれた少女を黙らせる方法を編み出すとか。
「・・・・帰る」
「せっかく用意をしたのでありまするよ。ちょっとでもお口に入れてくださいな」
逃げないでください。
すでに目の前にはクッキーと湯気立つ紅茶がセットされていた。しばらく躊躇っていた魔族だったが、聖女の手料理―魔道具なしの調理を手間を思い渋々呟いた。
「・・・・・・・・いただこう」
聖女は破顔した。





お菓子も腹の中に入りおいしい紅茶で気持ちを落ち着かせていた。眠っていたせいでもう夕方になっていた。そろそろ帰らないといけない。近くに影を落とすものはなく一面が朱く染まる。魔族の背筋が突如震えた。背中に水がかかったのだ。
その馴染みのある感覚に黒き魔族は無表情に不服を述べた。
「……キルタンサス、いい加減にしろ。あと水瓶からじゃなくてちゃんとドアから入ってこい」
「乾かしてやろう 面倒じゃが」
それなら最初からするな。
呟きは背中―ユーリの服から揚がった霧水に吸収された。水に映った黒玉は見開いていた。霧は薄紅と所々固まった紅赤の花が散っていた。そして鼻につくのは華の香りではなく鉄錆の臭い。
乾いた背中がまた湿った。皿が床に落ちて割れる音が駆ける足音に続いた。
「―キル!」
「やぁフラウ。同じ人間とは思えない 可、愛い」
なにを、カンナのようなことを―!
その言葉で力尽きた血まみれの美女―水将:キルタンサスは黒き同胞の胸の中に崩れた。



ばりばりぼりぼりむしゃむしゃごくごく
ユーリは呆れた目でその光景を見ていた。容赦なく食べる、食べるというか飲み込む勢いで外見とまったく合っていない。水色の椅子が軋まないのが不思議だ。白いナプキンに銀製のナイフとフォークが似合う美女は木製で―時折素手―急遽作ったフラウの料理をむさぼり尽くしていた。この細い体の何処にはいるのか見当も付かない。今度は食料庫が空になるかもしれない。
 その体にあった血の気もよだつような数々の傷は今は無い。彼の手で治癒されていた。人間なら致死に至るような怪我だったが、水将の名のとうり水を自在に操る清水の魔族は己の血を体にとどめていた。それでも失った血を補おうと 今こうして食事を取っているのだ。
「いや まいった 美味い 人間は面白い 油断した 酒」
「キル、大丈夫でありますか?」
魔族達のためにある酒を持ってきながら聖女は尋ねた。その瞳は翳っていた。
 ふー とやっと落ち着きを取り戻した魔族は宿敵を心の底から心配している聖女に微笑みを返した。その手にはワインがボトルで。清水はコルクを開けてグラスどころかボトルに口もつけずに飲んだ。更に具体的に言えばワインは宙に浮き小麦の茎大の太さでそのままキルの口に入っていく。
「人というものは愉快じゃな」
「―キルタンサス」
問いつめるユーリに嫌そうな顔を背けた。
「文字通りの意味じゃよ 騎士殿。人というのはかくも愚かな事ができるものじゃな」
その人間が勝手に決めた彼の不本意な二つ名と言葉の内容に青年は眉を上げた。
「どういうことでありますか」
人の代表と言うわけではないが聖女は親しい友人に尋ねた。その顔には血の気が無く、両手は握られ胸に。
キルはその浅葱色の目に鼠をいたぶる猫のように嗜虐的な輝きを浮かべた。
「我らを【魔堕ち】させたいらしい」
その凶報に聖女は目を固く閉じ、唇を噛み締めた。震える手を強く堅く握る。



「魔族と彼の人は我らを呼ぶが 彼ら人間の方がよっぽど【魔族】の名に恥じぬ」
呆れ果てた口調で碧羨の魔女は謳う。
「【魔】を悪と呼ぶは誰ぞ 【魔】の名を敵に授けたのは誰ぞ その【魔】で生きるは誰ぞや」
世界に広まりし力【魔法】それを生み出すは【魔】それに頼るは【人】
「我らがいつ【魔】に縋った 我らが慕うは今ある命 我らが護るは古き友との約束」
己の欲に溺れる若輩に先達敵わんか。
ふふふと綻ばす魔族は魂を震え上がらすほどなめまかしい。
「―御託は良い。何があった」
「これじゃから 黒殿は嫌いじゃ。――早い話が【魔】を直接体にぶちこまれた」
「魔法か?」
「いや、まさに【魔】じゃよ。いや魔法で【魔】を撃つといったところじゃな。【魔砲】とかいっておったの。ただの鉄砲かと思ったら驚き翻車魚じゃった」
「最後は余計だ」
これじゃから黒殿は嫌いじゃ。

「今、砦は」
「カンナが応戦しとるよ。―もうシベラスも参加しとるじゃろ」
日が暮れた外を見たユーリは苛立ちを隠せなかった。
自分がのうのうと聖女の前で居眠りをし菓子を食っていたときに、同胞はまさに命を賭けた攻防をしていたのだ。そして彼が出ていなかったせいで キルがあそこまで傷つくことを許してしまった。連戦だった。しかしここぞと言うときにいなくて何が―将か。
「―俺も 明日」
「いらんよ。お主は連戦しとったじゃろ、休んでおけ」
「だがっ」
「―ユーリクレス、今回の戦はそなたではダメじゃ」
苦笑めいた笑みを浮かべた。どうしようもないことだ。
「人間が【魔】で我らを倒すというのなら そんなことは出来ぬと徹底的に潰す必要があるんじゃ」
明日は非道い戦いに する。なる ではなく、する。そう言い切った。
そして告げる。
彼の最大の最悪を。
越えられぬ壁を。

「人を殺められぬお主にはどだい無理な話じゃ」
分かっている。分かっている。しかし彼には魔女の企んでいることが分かっていた。
「悪趣味な嗜好で・・・っ!!」
急に激昂しユーリの咽が鳴る隣で静かな声が蝋燭を揺らした。
「―明日、非道い戦いに なるのでありますか」
聖女だった。魔女は悪びれることなく酒を飲んだ。
「する。【魔砲】が効果覿面と報告されては困るんじゃよ」
なまじ 合っているだけに。
「本格的に冬が近づけば雪が戦火を消してくれる。されどそれは冬の間に【魔砲】の改良生産がなされるということじゃ。雪が溶ければ更なる大火が吹き荒れるじゃろう」
そして肩をすくめた。
「まぁ 今更じゃがな。妾の失態を見られただろうしすでに報告もされたじゃろうし」
遙か彼方に伝言を伝えるという厄介な魔法がある。
 聖女は青ざめてもなお戦いを止めてとは言わなかった。嫌な成長だ。ユーリはそれが喜ばしいと言い切れなかった。彼女はとうの昔に訴えた。何度も、何度も。

しかし、ただ我らは防戦するしかない。

我らの“約束”に攻めてくるのは人だ。人が戦争を起こした。

我らが人の土地に攻めたことはなく

我らが兵以外の民を殺したことはなく

魔族などにかける言葉はないと攻めてくるのは人だ。

戦よ終われと祈っているのは【我ら】だけのようだった。


「でしたら 一つ、お願いがあります」
フラウは黄褐色の瞳を水色に向けた。
それは予想だにしていなかった内容だった。
「その、魔砲を持ってきて頂けないでしょうか」
「・・・・・何故じゃ?」
区切るように聖女は告げる。握った手は胸。誓いの位置。
「―見極めたいのでありまするよ」
人が何処へ向かってゆくのか。
「そして―いざとなれば―わたくしが出ます」
それは決別だった。ユーリは口の中に苦みが広がるのを感じた。
それは【人】から抜ける言葉だった。
「人為的な【魔堕ち】を容認することはできないでありまするよ」
キルがおっしゃるとうり―
「【魔】を武器とすることは徹底的に潰さねばなりません」
たとえ 裏切り者と呼ばれようとも。







「愉快じゃな。あぁ 人は愉快じゃ」
 肩を震わせて魔女は笑う。そこはフラウの家ではなく、山間にある彼らの戦場【砦】だった。魔砲は持って帰ると約束した後キルはユーリを引き連れて帰った。カンナの炎が揺れる。戦場はひっそりとしていた。闇夜に紛れたシベラスから体を護る術のない人間はすぐに撤退した。死者をそのままにして。フラウの家の窓から見えるのどかな風景はここにはなかった。あるのは血に浸る大地と人間の死屍累々だけだ。魔族の死体はない。そもそも魔族に兵は無い。戦っているのは将たる六人。実際に戦いに出るのは二人か三人だ。それでも勝つ。圧倒的な強さだった。人は魔族がルピナスに攻め込まないのは神の力が働いているからだ、というが実際は違う。魔族はルピナスだろうと何処でも行ける。ゆかないのは征く必要がないからだ。自分たちは“約束”を果たすことさえ出来ればそれでいい。尤も「各王都にでも飛んでお偉いさん連中の首をちょん切った方が戦争が早くおわるんじゃねー?」とシオンは言っているが。「そんなことしたら・・・・ながくなっちゃうっ・・・・かも・・・かも・・?」とアマリリスが曖昧に止めているが。“お偉いさん連中”に聞かせてやりたい。お前達の命は内気な魔族によって護られているんだぞ。
「・・・」
キルは人が愉快だというが途方もなく愚か者だとしか思えない。万対六人でも勝てなかった相手に勝てると思っている。【魔】は確かに脅威だ。【我ら】は【人】より魔堕ちしやすい。だが―【魔】自体を人に操れきれるのだろうか。きれなかったとき―それはまた昔の乱世に戻ることを意味していることに何故気が付かない。

理解できないがゆえに恐ろしい。

「―ふふ。始まるぞ」
不意にキルが言った。その瞳は恍惚として未来を見ていた。キルの望みを知っているユーリは顔をしかめた。
始まる、そう、始まる。
フラウの微笑にかつて見た泣き顔が重なる。
「くくっはっはっはっははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!」
細い体をしならせて、キルタンサスは嗤う嗤う嗤い続ける。
「あぁ、愉快だ!愉快だ!魔を聖に変えありとあらゆる魔法を消してしまうが故に魔法漬けになった国から!町から!村から追い出された聖女様が人を裏切る!やっと!やっと!やっとだ!!!」
飄々とした普段からは想像できない姿だった。魔女はさらに言いつのる。
「あぁ!楽しみで楽しみでしょうがないな!あはははははは!わざわざ弾を受けたかいがあったというものだ!くはははは!魔の残存を感じたフラウの顔といったら!最高だ!!」
その忌々しい言葉をユーリは当然のものとして受け止める。キルタンサスが不意打ちでも銃弾に当たるなど冗談でしかありえない。。―我々は文字通り一騎当千の将なのだ。戦場では彼女の体は水に覆われている。全ての攻撃を吸収する水の衣だ。
「あぁ!どうなるのだろう!ふふっ ははっ!聖女という“切り札”が無くなったとき上はなにをしてくるのだろう!自分の飼い犬に手を咬まれるなんて考えてもいないんだろうなぁ!我らに聖女がつくことをどう国民に説明する気か!はははははっ!何も知らず我らを悪と断じるばかりの無能な国民!悪が自分達と知ったときの混乱はいかばかりか!あはははははははは!楽しみだ!!この目で混迷を見られるなんてさ・い・こ・う・だ!!!!!!!!!!!!」
大きな力を持つ故か、どこか歪んでいる自分たち。これがキルタンサスの歪みだった。

彼女が好きなものは甘い甘い、人の不幸。

ユーリクレスは何も言わない。非難も賛同も―しない。分からないのだ。戦は終わって欲しい。格下のものと一々戦うのはとても面倒だ。しかも自分は人を殺せない。殺せないのではなく、何故か手が止まる。人を直接殺したことは数えるしかなかった。早く終わればいいが、そう願うなら聖女が人を裏切った方が早く終わるだろう。なによりもこんなことになるようにしたのは、確かに引き金を引いたのはキルタンサスかもしれない。しかしその土台を作ったのは人間だ。聖女を人質を盾にあそこに閉じこめたのも。【魔砲】を作ったのも。なにより戦争を引き起こしたのも。人間が蒔いた種だ。人間が刈り取ればいい。キルの嗜虐的な趣味は迷惑だが、自分に来なければ別に良い。
 ただその胸にあるのはフラウの涙。胸を締め付ける泣き顔。普通の人なら―止めたいと思うような泣き顔だ。彼女は微笑みがよく似合う。

ユーリクレスは見たいと願う。

あの涙がもう一度見られるのならばこうなっても 別に良い。

詰まるところ自分の歪みとはそこに帰着するのだろう。





日があけるとともに戦いを始めた。

ユーリは砦に残り、時折怪我をしたり疲れ戻ってきた皆を癒した。
結果としては“凄惨”な戦いになった。向かってくる者は全て殺したそうだ。

そして凍り付いた風が吹く。茜色の空はその色を失っていた。灰色の空に紙魚が降りてくる。今年は早く冬が来るようだった。
もう少しすれば砦の前にある死屍累々を白く清らかな雪が隠してくれるだろう。紅く染まった大地を清めてくれるだろう。そして戦火を消してくれるだろう。

そして自分たちは【同胞】を殺しまくったくせに彼女の暖かな家に入り浸るのだ。そして人恋しい聖女は戦に目を瞑り自分たちを受け入れるのだ。歪んだ歪んだ自分たち。そこに幸せはなく、ただ喜びがある。【帰りたい】そう思える場所だ。あの円卓でみなで食事を談笑をゲームをするのだ。冬の間、雪という冷たい檻に護られた暖かな世界がそこにある。



戦―虐殺が終わった後、ぽんっとキルがユーリに手渡したものがある。
普通の銃よりかなり銃口が大きい。しかし銃身は短く分厚い。不格好な形だった。
「これか」
「それじゃ」
これがまさに世界に引き金をもたらしたのだ。まだ血の付いた銃は鈍く光った。その銃口はどこに向いているのだろう。


 そして聖女はそれを受け取った。ただ微笑を浮かべていた。
そしてどこかに閉まってしまった。どこにあるかは分からない。それを見て聖女はどう【人間】を見極めたのかも分からない。

分からなくても世界は進む。

おいしい香りに誘われて皆が集まった。今日はシオンとシベラスが来ている。無邪気に笑いあうその光景は微笑ましいとしかいえない。魔族と聖女とは思えないだろう。この笑顔を護りたいなら春がこなければいいと願うのかもしれないが、ユーリは聖女の目に光るモノはないかを日々目を凝らす。春が待ち遠しい、と胸を張って言う気にはなれなかったが。
そんな、なにも分からない彼でもただ一つ言えることがある。





世界を敵に回してもフラウはただ微笑んでいるだろう。









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