聖姫と愉快な魔族達
02.優しさは打算ですか



 何故そうなっているのか、そんなことユーリクレスには判らない。
「ゆ、ユーリ!良いところにきてくださったでありまするよっ」
 麗しの聖女様は髪を文字通り振り乱して―必死に円卓にしがみついていた。その円卓は狭い部屋の中を空飛ぶ絨毯のごとく飛んでいる。・・・・飛んでいる。
 呆然としたユーリの目の前では、部屋の中にまるで嵐が入り込んだように様々な家具がてんでばらばらに宙を回転していた。自分の黒椅子が目先を飛んでいった。ついで包丁が抜き身のままユーリの頬を掠めて飛んでいった。
 思わぬ光景に呆然とし、ユーリは自分の頬から赤い血が流れることに気がつかなかった。回る回る、世界は回る。フラウの目には彼が待ち望んでいる涙まで浮かんでいる。もっとも彼が見たい種類の涙ではないが。
 目敏く涙の欠片を見つけたことと丁度そのとき隠し味の香辛料のようにピリリとした痛みがようやく頬に走り、ユーリクレスの思考回路が復旧した。彼は彼なりの案ずる言葉を口にした。
「・・・・楽しいか?」
「そう見えるでありまするか!?」
こんな時でも長ったらしくてまどろっこしい言い方は止めないのだな、と不思議と感心した。
 こんなことをするのは一人しかいない。視線を動かし、ソレを探した。いた。すぐに見つかった。部屋が狭いので見つけやすい。
 ソレは部屋の角に腹を抱えて笑っていた。笑い声が聞こえないのは、声に出すことも困難なほど可笑しいからだろう。小さな子供は時折床を掌で叩いて、その感情のはけ口にしていた。
 その幼女はいはゆる“はしたない”格好をしていた。ひらひらとした肌が見えそうなくらい薄い絹の服・・・ベビードールというらしいが、成人女性の下着である。どうやって手に入れたのかは分からないが―そもそもなぜ幼女サイズで扇情的なデザインのものがあるのかも分からないが、着ているのだから仕方がない。黙っていればお人形さんといったところか。今は爆笑しているからお人形さんではない。その深い青色の頭の上を同じ色の椅子が飛んでいく。十を満たすか満たさないかの幼子は青色の椅子に座る魔族―天将:シオンだった。
「シオンッ止めてくださいでありまするよ」
「フラウが飛んでみたいっていったんじゃんかー」
 シオンはきゃらきゃらと笑って相手にしない。この二つの科白で大体の状況を把握したユーリは肯き、おもむろに指を鳴らした。
「むぎゃっ」
 甲高い悲鳴が角から上がった。小さな手でおでこを押さえたシオンはようやくこちらに気がついたようだった。猫目をまん丸にして信じらんないっと口をとがらせた。
「クロちゃんいたんだ」
 言い終わる前にバチンと音がした。
「その呼び名は止めろ」
「ブラック無糖男めー。カンナみたいに糖分100%になっちまえー」
「それはただの砂糖だ」
 もう一度悲鳴が上がった。
「い、痛いじゃんかー」
「これを止めろ」
 目の前をもう一度黒椅子が飛んで過ぎてゆく。
「えー」
 渋る少女にフラウはもう一度願い出た。
「止めてくださいでありまするよ」
 その後ろを鋏が飛んでゆく。ユーリは眉をひそめてもう一度言い直した。
「アレをとめろ」
 天将は一瞬きょとんとしたが、ユーリの視線をたぐりすぐに満面の笑顔になった。ユーリは 早くしてくれ と気が気でなかった。傷が付いたらどうしようか、と。シオンは己の胸を拳で叩いた。
「まかせておくんなましー」

 そうして結局聖女は「ユーリもシオンも非道いでありまするよー」と空飛ぶ円卓の上にしがみついたまま悲鳴を上げていた。角では今度は青椅子に跨り シオンが爆笑を続け、その対角では黒椅子に座ったユーリクレスが聖女の涙目を見て、見つめて、みとれていた。


 回る回る、世界は回る。聖女も巻き込み、世界は回る。


「も、もうだめでありまする・・・」
 円卓の縁を掴んでいる指がもう限界のようだった。黒の魔族は青の魔族に目で合図した。もう十分笑った青は満足そうに腕を上げ――げっとうめいた。全てが止まっていた。家具は宙に浮いたまま、時が止まったかのようにぴたりとして微動だにしない。
 床に広がる影が徐々に大きくなるにつれ、宙に浮いた物が床に近づく。影に誘導される形で最後には着陸した。すぐさまフラウは円卓を降りた。降りて救い主に駆け寄った。そして少年を抱きしめた。
「シベラス、ありがとうでございまするよ」
 聖女の胸の中で居心地良さそうに目を細めているのは白虚の墓守、闇将:シベラスだった。





 魔族の中で誰が一番恐ろしいか、戦場帰りの兵士にアンケート調査があった。そんななかでインタビューがあった。偽名―ペンネームは歴戦幸運の戦士だった。


 黒煌の騎士はさほど恐ろしくない。なぜなら彼が出てきたときは命だけは助かるという。もっとも、体の一部が欠けることはあるらしいが。まぁそれでも命乞いをしたら助けてくれるんだから騎士様だよな。卑怯なことはしねぇよ。一番の人格者だ。おっとさっきの台詞はけしといてくれよ、異端査問官にしょっぴかられちまう。

 碧羨の魔女は恐ろしいなぁ。色っぽいんだが、残念だ。まさに魔女!いや妖女!でもなこっちの戦意を根こそぎ喪失させてくれる知略のおかげで、死者は最小限ですむんだわ。もっとも、嗜虐的な笑みが夢にまで出てくるらしいがな。

 灼爍の貴公子は相手にしたくねぇ。生きながら燃やされる苦しみを味あわされる。地面を溶岩に変えたこともあるらしいな。なによりヤツの言動がもういやでいやで、あんな馬鹿っぽいヤツに負けるのかと悔し泣きするやつまであらわれてくるらしい。まぁ、色男だわな。畜生。戦争に女の兵士なんか連れてくんじゃねぇやい

 まぁ、この三人は、なんというか、まだましだ。なんつーか、大人だ。砦さえ近づかなければ、攻撃さえしなければ、こっちに危害を加えることはない。砦の近くで見つかっても見逃してくれることもあるらしい。・・・・だが、奴らは駄目だ。本当に駄目だ。そう―喜懼の道化と白虚の墓守だけは―見つかったら生きては帰れない。

 いや、喜懼の道化はそれでもないかもしれないが。あー、あのガキの姿にだまされちゃなんねぇ。めんどくさい、楽しくない、の一言でその場にいた幾千もの兵士の首を一瞬でちょんぎっちまったことがあるって話だ。その光景をきゃらきゃらと笑っていたそうだ。本当にガキみたいによ。ようは道化、とか名前が付いてるが笑うのはヤツなんだ。ヤツさえ笑えればなんでもいいんだよ。人間を殺すか殺さないかは笑えるか笑えないかの問題なんだ。あくまで自分がな。剣技を鍛えるよりお笑いの修行した方が生き残れるかもな。まったく魔族に親がいるんだとしたらちゃんと教育しろっつーの。道化っつーかギロチン娘だぜ。

 んでもって最後にこいつが一番ダントツで最凶最悪の白虚の墓守だ。墓守のくせに真っ白なんだよ。死に神っつーのは黒じゃねぇな、白だ。つーかヤツだ。日が暮れるとともに現れてくるんだ。・・・それだけだ。派手なことはしねぇ。いや、まて。怖くないじゃねぇかだと!?違うな!気がついたら隣にいたヤツが消えてるんだぞ。一夜にして部隊の人間がまるまるいなくなったなんてことは珍しくねぇ。隣の部隊にゃ気がつかずにな。悲鳴もねぇ、しかも、血痕どころか争った形跡すらねぇ。まるで、闇に飲み込まれたみたいにな・・・・だからB級小説じゃねっつーの!とにかく、黒煌やら碧羨やら灼爍やら喜懼やらなら一応対抗策があるんだがこいつだけは対抗策がわかんねぇんだよ!まさに無敵なんだぜ!


 そのなかなかおもしろい内容を―どこからか持って帰ってきたシオンが面白そうに読んで、みんなに見せて回っていた。人間が段々地に成ってゆくさまがいいと シオンはこいつだけは殺さないようにするーとほざき、ユーリは敵に妙に褒められていたのでなかなか複雑な心境だった。人格者でないということは何より自分がわかっていたからだ。そしてなにも書かれていなかったアマリリスはしょんぼりしていた。というより当然だろう。彼女は戦闘に参加していないし、恥ずかしがって人間の前にでていないのだから。彼女はフラウにすら直接会ったことがなかった。というか多分、いまだに人間はアマリリスがいるということに気がついていないのではないか。


 とにもかくにも、こんな風に人間から最凶最悪無敵の魔族の称号を与えられている白魔族は世界の宝である聖女にべったりひっついて過保護に聖女を護っているわけだ。自分を騎士と言うが、聖女を護ることに関しては墓守を騎士と変えた方が良いと思う。どことなくぞんざいに入れられた紅茶をチビチビ飲みながらユーリは目の前の光景を眺めていた。
「シベラス、おいしいでありまするか?」
恐怖の白魔族は生クリームがたっぷりついたシフォンケーキを幸せそうにほおばっている。その死神魔族に口端にクリームがついたのを母親のようにフラウが あらあらこんなところにつけて とぬぐってあげていた。ぬぐってもらったシベラスははにかんでいる。
 わざわざ日が出ているときにやってくるのだからその執着心の強さは人一倍だろう。・・・まぁ彼も彼で歪んではいるがある意味一番複雑な男だ。いじらしい白い少年に呆れるのを通り越して賞賛したい。内心で、した。
 フラウもフラウで修道院にいたこともあったせいか、手慣れた様子でシベラスに構っている。それが面白くないシオンは自分に感心を向けさせた。口をとがらせたまま、
「フラウ、お礼まーだー?」
「・・・・・」
 フラウは途方に暮れた顔をしていた。空を飛ぶ、というよりは空中渦潮体験をさせられたのだから礼は言いにくいようだった。
 言葉に詰まったフラウに追い打ちをかけるように、シオンは反転し青椅子の背に顎を乗せていじけのポーズをとった。
「ちぇーフラウがー空を飛ぶ魔法があるけどー自分は魔法が使えなくてー残念だって言ってたからーぼーくーがー飛ばせてあげよーって親切してあーげーたーのにーわーざーわーざー力使ってー飛ばせてーあーげーたーのーにーフラウはちぃぃっともー感謝してくんないなんてーちょーがっくぁっりー」
 まだまだ続くかと思われたが慌ててフラウが謝った。
「ごめんなさいでありまするよ」
 それでもシオンは戻ってこない。昔から伝わる唄をずれた音程で歌いはじめる始末だ。
「シオン・・・ごめんなさいでありまするよー」
「御魂はぁ〜ふりゅきぃ約束ぅ〜をぉぅ〜」
 奇妙な二人の女の隣で男二人は沈黙を保って座っていた。
 女の諍いに口を出さないだけの知恵はあった。


 聖導師:フラウは魔法を使えない。それは絶対だ。聖導師であり人間であるのだから、当然といえば当然だが意外にわかっていない民が多い。
 魔法は文字通り【魔】法であり、魔の力、【魔力】を源にして様々な奇蹟を引き起こす。魔道具とは魔法を引き起こす道具であり魔力が宿っている。魔力とは純然たる【魔】ではなく、【魔】から力のみを抽出したものだ。【魔】から【魔力】を直接引き出し魔法を使うことができる人間を【魔法遣い】という。そして魔力を魔道具に籠める人間を調律師、魔道具を作る人間のことを魔術師・魔技術師という。そして魔力を扱う者が単なる人であっても【魔堕ち】する危険性はかなり低い―らしい。

 フラウは聖導師、聖を導く者―そして神の模倣である人間であるために、魔道具に宿る魔力を無意識に聖力に変えてしまう。そうなると魔法は使えない。彼女の近くにある魔道具はすべて―壊れる。

 破裂する。

 同じ力でも、魔力と聖力は性質が違う。魔力は弱く長く、聖力は強く一瞬だ。たとえ聖力が癒しの力であっても、ただの人間が扱うには巨大過ぎた。全てにおいて過剰は害をなす。魔道具ですら聖の力に耐えきれずに内側から張り裂ける。

 もし、フラウを空から王都に下ろしたなら大変な惨事となるだろう。街灯は全て割れ、魔道具屋は爆散し、魔道具を持つ全ての家で爆音が響き、城を守る結界は壊れ―なにより魔道具を身に帯びた者が傷つき―あるいは死ぬ。

 だからこそ、聖女はここに、人も魔道具もない辺境の地に押し込められている―一つめの理由だ。聖女が意図せぬとはいえ人を傷つけぬようにとの優しい理由。一番もっともらしい理由だ。


 それだけが理由なら人質など、とらない。


 人に追いやられた聖女は魔族の少女に頭を下げる。シオンがほおばるケーキは追加されたものだ。
「許してくださいでありまするよ」
「ふっふふ〜ん。駄ぁ目駄目だね!首ちょんぱだね!」
「えぇ!?」
「冗談だよ〜。キルに殺されちゃうもーん」
 シオンが言うと冗談に聞こえない。ギロチン娘BY.歴戦幸運の戦士、だ。
 シオンのフォークが跳ね上がった。―弧を描き、反転して、シオンの手に戻る。シオンはその全てを目で追い―真正面を向いて真面目な顔をして真正直に頷いた。
「シベラスにも殺されちゃうね!」


 奇妙な話かもしれないが魔族は魔法や魔道具を使わない。【我ら】は人より魔堕ちしやすいからだ。―なのになぜ魔族が【魔族】として呼ばれるようになったかは―人間の勝手だと思う。【魔】イコール【悪】という固定観念によって人の敵たる【我ら】はいつしか魔族とよばれていた。
 【我ら】は【我ら】であり、自らの属名をわざわざ決めてはいなかった―わけではなく―実を言うと古き彼方で忘れたのでその名を受け入れた。魔族の寿命は人より長いから・・・という言い訳にならない言い訳が用意されている。一応、大昔は違う名で呼ばれていた、らしい。長老が そんな気がする と言っていた。
 【我ら】は【我ら】、よそ者がなんと名を付けようと関係ない、と結構いい加減だ。そして魔族と呼ばれはじめたころ―相手は未熟で命短いんだから好きに言わしておけ、便利だしと―古き者が訂正しなかった、むしろ悪のりした。
 ついでに言うとその古き者は今で言う天将で―シオンと似たような人物だったようだ。大馬鹿野郎で好きだわ、と冷たい微笑を湛えたのは美しき対面と矜持を愛するキルだった。美しくない、と大げさに嘆いたのはカンナだ。炎将の割に炎のイメージに合わない男だ。―だからこそ人間もいやがるのだろう。もう馴れた。放置している。


「フラウ・駄目駄目!ボクが欲しいのは謝罪じゃないもん!」
 はっとフラウが息をのみ、柔らかな微笑がこぼれた。小首を傾げ―丁寧に礼を述べた。シオンは満足して頷いた。

 それが仲直りの合図。


 こんな風に人間も―我らも戦争を止めることは無理なのだろうか。


 無理だな。
 ユーリクレスはカップにわずかに残った茶をぼんやりと見た。そこに写る自分の顔は奇妙に歪んでいる。
 血が流れすぎていた。


「ユーリ?」
 ずっと沈黙を保っているユーリをフラウが心配そうにのぞき込んでいた。ユーリにビシバシと白虚の視線が突き刺さる。シベラスは将の中で一番、命を奪うことになんの意味をおいていない。良きも悪きも思うことなく戦争・任務―それがどんな大義名分であれ理由があれば躊躇せずに命を奪う。墓守の敵意にユーリクレスは若干引きつった。彼はユーリが一番フラウとのつきあいが長いことを良く思ってはいない。どうしようもないことだと主張したいが、こっちに貸す耳がないことは判っていた。 寿命が長いのだからもっと心広くなってもいいのではないか。たった数ヶ月じゃないか。
「紅茶がお口に合わなかったでありまするか?」
「・・・・・い、いや。なんでもない」
 お願いだから その金に輝く黄褐色の瞳をこっちに向けないでくれ、とは言えなかった。きゅっと少女の眉間に皺がよっている。そんな傷つけること言ったら、シベラスがさらに怒る。ここで喧嘩になったら家が―――この地が崩壊する。
 そんなことになれば王都の監視が騒ぎ出す。闇将、落ち着いてくれ、と念をユーリは対極の存在に向けて必死に送った。そして天将、助けてくれ、と爆笑至上主義者に送った。それを受け取ったのか、シオンが顔をケーキ皿からあげた。そしてその瞳がきらりと光ったとき、ユーリクレスは後悔した。
「うっふふふふふー!フラウはクロスケがだぁい好きなんだね!」
 死んだ。
 シベラスの目がギンギンに光っている。影がわひゃわひゃ蠢いている。思わず自分の周りに結界をはる。
「えぇ。好きでありまするよ」
 ぐっとつまり、内心、呻く。床では影の攻撃が結界を壊さんと襲いかかってきている。
 シベラスの行為もうんざりするが、フラウにもうんざりする。自分は好かれるようなことは何もしていない。初対面で自分を殺そうとした存在を好きといってしまえる聖女は、やはりどこかおかしい。
 苛立ちが、止める間もなく口に出た。
「……不愉快だ」
 キンッと空気が止まる。いや、感情の爆発で部屋の中の空気が飽和状態になった。
 フラウが何かを言おうとして、そして目蓋を伏せ、口を閉じた。
 その見たことのある表情は、簡単にこちらをぐらつかせる。
 すべてを諦めていた。手を伸ばすことを良しとしなかった。語るべき言葉も持たず、ただ瞳を揺らすしか出来なかった、あのころのフラウ。
 不愉快だった。
 あのころの、何も知らず逸った自分を思い出すのは、特に。
 胸焼けが非道かった。
 言った先から後悔することに慣れているはずなのに、フラウに対してだと余計酸が強くなる。それを自覚するのが嫌で、余計に……、悪循環が胸の内でぐるぐる回る。
 シベラスの攻撃は止まっていた。ただ、極寒の殺気が静かに周りの空気を冷やしていた。
「……ジュリエットのお世話をしてくるでありまするよ」
 牛の名を告げ、そっと出て行くのに口を挟む者はいなかった。ひっそりとシベラスが続いた。視線だけで何もしないということは、これでフラウに嫌われればいいとか思っているのだろう。
 いつもとろいくせに、早足だったのが気にくわない。
 そして、笑いの神と二人だけになった。まずい冗談だ。
「好意を信じられないか、ユーリクレス」
 にやにやと笑っているのは、シオン。
 先程までの天真爛漫な表情が一変し、どことなく皮肉が浮かんでいる。
「シベラスを怒らせる気か」
 質問に答えず、逆に問う。フラウの囚われの環境を調べたのは他ならぬシオンだというのに。
「あの子がフラウを困らせることをするわけがないだろう。……砦を壊さん程度におさめるはずだ」
 砦が俺の墓地か。ユーリクレスは舌打ちした。
 責任転嫁の一言。
「大体、シオンがあんなことをいったのが原因だろう」
「好意を持つか持たないかはフラウの心次第だみょん。それに、分かっていないのはクロスケ、お前の方だ」
 カップの縁を指で円に撫でる。うっすらと浮かべる微笑は知将そのもの。
「好意があった方が、こちら側に付きやすいというものだというのにな」
 幼女らしからぬ言葉。それもそのはず、シオンは我ら将のなかで最高齢――長だった。
「フラウは人間だ」
「だが、世界の均衡を守りし聖導師でもある」
「まだ幼い」
「だが自分のことは自分で決めることができる」
「フラウがいなくともこの争いは」
「終わるわけがない。ずるずるとのびるだけだ。何か切っ掛けが必要だ。それには聖女の存在が一番いい」
 それは、愚かなユーリクレス、お前もよく知っているだろう?
「………」
 道化師は口も目も三日月に歪めた。
「それにあちら側もいい加減魔族を駆逐したいらしいな」
 その言葉に、視線で続きを促した。
「――"偽りの聖女"が動くぞ」
 鳥肌が立った。フラウを縛る"人質"。
 王都で何不自由なく暮らしている"聖女"。人々の心を奪い動かすためだけの身代わり。
 シオンは王都によく遊びに行く。そして普通の人間では知り得ないようなことからつまらないゴシップまで情報を仕入れてくる。
「まぁ、自分が偽物だとは夢にも思っていないようだ。当然だ。本物の存在を知っているのはほんの一握りだからな」
「動くとはどういう事だ」
 シオンはこみ上げてくる笑いに身を置いた。
「くっくっく。阿呆だ。"勇者"ご一行様と魔族討伐に来ようとしている」
 いや、来ている途中か。
 聞き慣れない単語に脳みそが停止した。
「は?」
 シオンは堪えきれなくなったのか、椅子のうえでふんぞり返って爆笑した。
「あっはっはっはっは。ゆ、勇者っ!どこの三文芝居だよ!大昔の神王大戦かっての!し、しかも背負うは偽物の聖女!!あーーーもう、キルと爆笑したっ!」
 もう、これだけでご飯五杯はいけるっ!
「………・わかった。最終決戦で偽物一行の前に本物の聖女を敵としてださせたいんだな」
「ドラマチックーーーっ!!」
 甲高い笑い声で頭が痛い。確かに、最後の最後で正義の偽物聖女VS悪の本物聖女はキルやシオンの好みど真ん中直球だろう。まぁ確かに、面白そうだ。自分が巻き込まれなかったら、さらに。
「なかなか良い人材が揃ったみょ。聖でも魔でもない古き力を持つ者とかは強敵だな!さぁ、我らも鍛錬をしなおさなくては!」
 人間に負けるとは思えないが、シオンが冗談でも強敵と位置づけるならば、そうなのだろう。……というより、まるで見たように言うシオンが恐ろしい。
 どんなに馬鹿に見えようとも、長たるシオンは戦いにおいて(いやまぁ、遊んだりするが)実力を見誤ることはない。
「良く、偽りの聖女を外に出すことを許したな」
「言ったであろう?彼女が偽物と知っている者は殆どいないと。本物の聖女様が魔族と戦うのは連敗続きでうんざりしている民衆の心を再び掴むことができるし、勝てば儲け物。たとえ死んだとしても、聖女が殺されたことに民衆はいきり立つ。どちらにしても本物・偽物なんて関係ない。民衆が彼女を聖女と思っていることがッ重要なっのさ★」

「なるほど。どちらに転んでも、上には有益か」
 最後の紅茶を飲み干した。濾しきれなかった茶葉で、舌に強く残る苦み。
 そして立ち上がる。出て行こうとするところで、シオンが奇妙に甘い声で釘を刺した。
「フラウに謝れよ」
 鼻で笑って返事をした。

 謝る必要性を感じない。それにどうせ甘い言葉で誘惑して、フラウを仲間に入れたいだけだろう?
 仲間になって欲しくない。これ以上掻き回されるのは嫌だ。
 だが、この優しき隣人達は確実にフラウの選択肢を削ってゆく。
 孤独をなくした魔族か、孤独を強制したヒトか。
 どちらを選んでも、フラウには苦しい選択。
 ……そろそろ泣くかもしれない。そう思うと、期待が静かに胸を満たしていく。
 悪いことばかりではない、か。
 ユーリクレスの歪みを知っているシオンは嫌な奴とため息混じりに呟いた。


 ジュリエットは確かカンナが持ってきたものだった。畑の作物の種はアマリリスがシベラス経由でフラウにあげたものだし、鶏はシオンが持ってきた物だ。
 初めてここに来たときとは、風景が全く違っていた。そのときは本当に朽ちかけた掘っ立て小屋しかなく、地面は穴だらけで草も生えていなかった。死の森よりも、死の臭いがきつかった。
 牛舎に入ると、小さな肩が見えた。シベラスはいない。どうせそこらへんの影に潜んでいるのだろう。
「……ジュリエットが初めて来たときのことを覚えているでありまするか?」
 フラウは振り返らずに、優しくジュリエットを撫でながら囁いた。
「……」
「カンナが片手で持ってきた時は驚いたでありまする。これで、栄養不足解消だよ、なんて」
 あのころよりはかなりふっくらになっているとはいえ、……さすがに言えないが………カンナが期待するほど在る特定の部位はさほど増強されてはいなかった。
 うつむいているせいで、髪で顔が見えない。
シオンが鶏たちを、アマリリスさんとシベラスが種を、キルが水を持ってきてくれてここは緑に溢れた場所になったでありまする。――わたくしはとても嬉しかった。変わるものなど、なにもないと思っていたでありますから」
 自分が何もしていない、と言われているようで、むっとなった。だが、何もしていないのは事実で、牛舎や鶏舎を造るのを手伝ったぐらいだ。
「でも、それは――ユーリ、貴方が来てくれたから始まったでありまするよ」
「来たんじゃない。殺しに来たんだ」
 くすくすとフラウが笑う。どこかぎこちないそれが、何を思ってなのか知りようがない。
「えぇ。でも貴方はわたくしを殺さなかったでありまするよ。それどころか看病してくださったり――」
 急に言葉を切った。それを良いことに言葉を無理矢理重ねた。それ以上の言葉を聞きたくなかった。
「殺さなかったのは、殺すよりも利用した方がいいと思ったからだ」
「なら、何故尋ねるのでありまするか。いっそ、もう、わたくしはあなた方の味方だと言ってくださればいいのに。ヒトの事情など教えずに、あなた方の都合のいいことだけを言ってくださればいいのに」
 いつもゆったりと流れるように喋るのに、言葉は地面に投げ捨てられた。
 聖女自身の意志で、公平に物事を見て、それでもなお我らの仲間になる。それが我らの理想だった。途中で裏切られたらたまらない。
 だが、その理想を押し付けられた方はもっとたまらないだろう。知っている。理解している。
 だが、何故要求してはならない?優しくするのは打算があるから。昔から同じ事が繰り返されて歴史になっていく。
 だから、そこに甘いものを期待するのは愚かだ。そして、優しさ=打算を理解できる程度にフラウは賢いはずだった。

 たとえ、それが罪逃れの言い分だったとしても、シオンの言葉を認めるのがしゃくだったとしても、【我ら】には新しいカードが必要だった。

 その瞳は紅茶色の滝に隠されていた。そこに水しぶきが跳ねているのか、みえやしない。
 だから、手を伸ばした。腰を引き寄せて顎を掴み、彼女の顔を下に見下ろした。
「………見ないで」
 俯こうとするが、そんなことは許さない。
「フラウ」
 その目に、涙はなかった。睫毛にも真珠は乗っていなかった。
 落胆が胸から広がって、指先まで届いた。顎を掴む手に力がこもる。
 それでも、きゅっと結ばれた口は涙をせき止めていた。
 口を開き、すぐに閉じた。その端は震えていた。
 泣けばいい。さっさと泣けばいい。
 なんで、泣かないのか。
 その胸にある、ありとあらゆる負の感情を涙にすればいい。
 聖導師もただの人間の女に成り下がればいい。
 ユーリの荒々しい気持ちをはねのける透明な瞳は、ユーリクレスの目を見ていた。涙がこぼれないようにしているかのように、ゆっくりと唇が動いた。
「失った言葉を取り戻したのも、一人ではなくなったのも」
 どちらも視線をはずさない。
「ユーリ……ユーリクレス。貴方の――」
「ソレが、俺の本意だとでも?」
「――っ」
 揺れる。雷が走った黄褐色は翳り、映っていたユーリの顔が濃くなった。
 映った自分の顔に、表情がない。
「たとえ、お前が【我ら】の仲間になったとしても、俺は聖女……お前を認めない」
 フラウの目に映る自分の顔が大きくなっていく。そして、とうとう耐えきれなくなったフラウが固く目を閉じた。フラウから閉め出された自分。矛盾した苛立ちが堰を切ったように押し寄せ、酸の海が胸を熱くさせた。鎮めるには、聖女の涙が必要だった。
「―――っ!?」
 荒々しく唇が目尻に触れようとした瞬間、体がぴくりとも動かなくなった。
 ―――闇の支配者、シベラス。
 その存在をすっかり頭から抜けていた。
 状況が頭に入ってくるのと逆流して下がっていく血流。
 ばっとフラウを突き放す。きゃっと小さな悲鳴が、敷き藁に埋もれた。
「あいたたた。――ユーリ?どうしたのでありまするか?」
 聖女の問いに、今さっきまで自分が何をしようとしていたか――ユーリの頭は沸騰寸前だ。
「……大きな蜂がいた」
 苦し紛れの言い訳に、ひゃぁと聖女は悲鳴をあげた。
「もう飛んでいった」
 安堵に息を吐き出す聖女をみて、頭が痛くなる。冬に、しかもこんなところに蜂が飛んでいるわけがない。
 まだ藁に埋もれているフラウに、ジュリエットは迷惑そうに体を揺らした。慌てて立ち上がったフラウは、藁にまみれて本当に絵に描いたような田舎娘だ。
 もう、何が何だか。自分も情けない、フラウは間抜けな格好、シベラスの殺気が突き刺さる、色々な事が自分のなかで渦巻いて、ユーリクレスは小さく笑った。
「ユーリ、ひどいでありまするよ」
 恨めしそうに見上げるフラウに、余計笑いがこみ上げてくる。
 フラウは、口を小さく尖らせていたが――笑っているユーリを見て、見て、小さく微笑んだ。
 おそらく――確実に、指摘すれば消えてしまう魔族の笑みを、フラウは消えるまで目を離さなかった。
 

 そんな、冬のある日の出来事。
 まだ、何もかも変わってしまう前のこと。

 嵐は静かに、近づいている。










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