章・語らぬは己がの強さか弱さか

01.譲れないもの


 
 まだ、速水は来ない。
 少しあたりが赤く染まり始める。
 うぁ、夕飯に間に合うか!?
 もちろん千里は遅刻を許さない。今日は夕飯ぬきか!?

 あまりに暇だった魁はそこらへんに落ちていた枝を剣に見立ててかまえた。
 目が鋭くなる。
 すぅ、と呼吸を整えた後、一閃。

 また一閃。

 足は素早く地に弧を描き、枝は布の様にしなやかにしなる。

 剣舞。

 構え、突き、守り、ふりおろす。
 一連の動きが一流の踊り子の様。
 魁は湯だった頭が冴えていくのが分かった。
 もっと早く、もっとしなやかにもっと魅了に。
 終ればまた最初から。
 加速する動き。
 枝にあった葉はすでに全て速さに追い付かず大地に落ちた。 

 ……ダメだ。わからない。
 どんなにうまくても、この剣舞は完成しない。
 魁は驚くことにこの剣舞を曖昧にしか覚えていなかった。
 ‘彼’の舞と重ならない。
 特に足の運びがずれる。それに合わせて腕の払いが遅れる。
 それはほんの些細な違いでしかなかったが、妥協を許さない魁にとって苦痛だった。

 ……あー。もう、今日は踏んだり蹴ったリだ。
 これ以上やってもよけいにいらつく。
 魁は動きを止め、枝を捨てた。
 軽く汗をかいてほてった肌を風が癒した。

 つーか。速水先生遅いな。

 校舎の方を振り返ると、出入り口の所に誰かが立っていた。見知った――それもちょっと前に知った背格好。
「速水先生!?」
 や・ば・い。
 顔が引き吊った。
 見られたよな?
 速水は探るようにこちらを見ていた。
 近付いてくる。
 さっきとは違う冷たい汗が魁の肌を伝い、死刑執行人を待つ囚人のような気持ちで速水を待った。
 速水は、考え込むように顎に手を当てていた。
 おもむろに速水が尋ねた。
「さっきの剣舞は誰から習った?」
 あっちゃーやっぱ見てたか
 しぶしぶ魁は答えた。
「……兄です。習った、といいよりは見てたのを真似してただけです」
「教えてはもらってないと?」
 魁は頷いた。
「……内緒にして、完璧にできるようになったら驚かそうとしてました」
 過去型の言葉に速水は眉をひそめた。
「今は違うのか?」
 沈黙。
 痛いところをついてくれる……。
 本当に今日は厄日だ。
「水澤?」
 何故か優しさを帯た声。本当は言うまいと思っていた。
 しかし、魁は今日は疲れていた。誰かに弱音を吐きたかった。
「……見せたくても無理なんです」

 アニハシンダカラ。

 速水は押し黙った。
 兄の死を告げた魁はそのまま消えてしまいそうな雰囲気をもっていた。
 …っつらいことを言わせてしまったか。

 そんなんだから生徒に嫌われるのさ

 同僚の皮肉った言葉が蘇る。あぁ、そんなことぐらい分かっている。
「先生。あの、早くしてくださらないと、夕飯に間に合わないんです」
 千里先生に怒られます。
「あ、あぁ」
 さて、この少年は思っていたより実力者かもしれない。そして心は不安定なところがある。
 それが先ほどの剣舞に表れていた。
 速水は実直に問いかけた。
「何故、授業のとき手を抜いた?」
 魁は慌てて首を横にふった。
「ち、違います。手を抜いたわけじゃなくて!」
「じゃなくって、なんだ?」
 魁はよほど言いたくないらしい。なにやらうめいている。
「言わないと、わからない」
「……合わないんです」
 ……は?
 魁は顔を真っ赤にしてうつ向いた。
「剣が重いんです。そ、それに授業の時はまだ外が明るいから見えにくいですし……」
 速水は理解した。
 剣は意外にかなり重い。確かに魁の身長で、細腕で一般の男子生徒と同じ重さの剣は荷が重いだろう。
「だったら、女子の軽い剣を使えば良い」
「……あの、特進クラスの規定で、剣術では最低でも男子は規定の剣を扱えないといけないんです」
 なんだそのくだらん規定は。
 しかしあの剣舞の実力を出させないのはもったいない。それに、これはもっとのびる。

 よし。
 速水は腹を決めた。
「水澤。これから剣術の授業がある日の放課後はずっと補習だ」
「えーーーー!?」
「お前に先ほどの剣舞をマスターしてもらう」
 魁は息を飲んだ。
 かまわず速水は続けた。
「お前も中途半端で嫌だろう。所々間違っているのはわかっているのだろう?」
 魁は頷いた。
 速水は始めて笑った。
「あれは三部に分かれている。お前がしているのは一の型だ。今学期はそれを教える」
 呆然とした魁に続けた。
「授業ではまぁ仕方がないから普通の剣を使え。ただし、点数はこっちの補習を中心につけさせてもらおう」
 きっとそれが最善だろう。
 あとは筋力を付けさせたら普段の授業でぐんと実力をあらわせれるはずだ。
 我ながら良い考えだ。
 もちろん、こんな無茶な点数の付け方を他の者がしたら問題になるだろう。依怙贔屓といわれても仕方がない。
 だが、速水は六柱だ。名前だけとはいえ理事の一員である。
 少々のごり押しくらい、過去の栄光でなんとかなる。
 すっかり日は暮れていた。
 マギナを利用した灯りがつき、
「私が満足できるくらいになったら」
 速水を照らす。
「墓の前で見してやれ、お前の兄に」
 速水は、優しく笑った。
 それを見て、魁は――胸が苦しくなった。
 なんなんだ?胸になにかがこみあげてくる。
 それは、とても熱くて、苦しくて、痛くて…
 でも、不快じゃない。
 速水は昼とは全然違う優しい手付きで魁の頭を軽く叩いた。
「ただし、私は厳しいからな」
 魁は何度も頷いた。
 何かを言わなくてはならない。まずはお礼を。なのに声がでない。
 この不器用な優しさは、あの人を彷彿とさせる。
 ……うわ、泣きそう。
 ぎゅっと目を瞑り、涙を押し戻した。
 狭まっている喉から無理矢理声を出した。
「……あの」
「なんだ?」
「髪って切らなきゃ駄目ですか?」
 この人は信用できる。
 そんな確信が魁を突き動かした。
「僕は髪を切りたくないんです」
「理由は?」


 風に混じった答えが空に舞う。




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