章・語らぬは己がの強さか弱さか

02.揺らめく過去の陰影


 


もうすでに日は暮れた。
紺に彩られた空。
二つの人影が灯りに浮かび上がった。
一つは身長が高い。しかしそこには重鈍さは欠片もなく、無駄な肉のない引き締まった体をしている。
髪は栗色、そこだけがその者に軽い印象を与えていた。
その隣に並んでいるのは、比較するからこそさらに小さくみえる少年。
猫背で、髪はくくられているのにあらぬところに跳ねている。
彼等は教師と生徒、という間柄だ。もちろん、大きい方が教師だ。
彼等は夜道を急ぎ足で駆けていた。
駆けていた、といっても足の長さの違いから教師はゆっくりと、生徒は速く駆けている。

時間はすでに七時半をまわっていた。
広大な敷地を誇るこの学園は彼らがいるところから目的地まで優に走って10分以上かかる。
「急げ、水澤。ちさ…水無月先生に、殺される。」
「せ、先生、せめて怒られる、と言ってください。」
彼等の補習が思いの外長引いてしまった。
水澤―魁の寮母である水無月 千里は時間に厳しい。
そして、怒らせるな、とわざわざ本人が言うのだ、怒りはどれほどのものか。
魁は喜ばしいことに今まで怒られていないため、その実体はわからない。
しかし、同僚である、剣術の先生である速水が微かに青ざめているのである。
まさに押して知るべし、だ。

一年生専用寮、桜花が見えてくる。
すでに夕食の時間は過ぎていた。
生徒の前だというのに、速水は強く舌打ちした。
「水澤、死刑確定だ」
「速水先生は冗談を言わない人だと思った過去の自分が憎いです。」
桜花寮の正面玄関ににおうだちしている人影。
腕を組み、顎をあげ、階段の上から速水達を見下ろしていた。
「幼児拉致か。」
その涼やかな声はまったく似合わない言葉を伝えた。
抑揚がなく、感情を読みづらい。
しかし速水は経験上その中に怒りが込められているのを察していた。
「生徒を拉致するわけないだろう、今日から補習をしていてな。遅れただけだ。」
速水は極まともに対応したが、魁はあらぬ方向を向いていた。
ダレにも聞こえないように小声のツッコミ。
「幼児を否定してくれ」
速水と魁を見下ろしたまま、表情を変えない。
「お前達、今、何時だ。」
「七時半…いや、四十五分か。」
速水がうろんに答えた。
千里は表情を変えない。
「夕食の時間は何時だ。」
「六時半です。」
今度は魁が答えた。
千里は表情を…変えた。
冷笑。
「つまり、水澤、お前は夕食ぬき。」
「ちさっ水無月先生、今回は私が補習に遅れたのが悪い。
先生にも連絡をいれ忘れていた。水澤は悪くない。」
速水はそう言い募るが千里は鼻で笑うだけだった。
「遅れたのは、水澤だ。」
「…千里。」
速水はこめかみを押さえた。
この皮肉れ者。
「それにすでに夕食は終った。水澤の分は腹を空かせた子供達が分けあった。」
魁は肩を下ろした。
今日は色々、肉体的にも精神的にも疲れていたのでお腹が減っていたのだ。
「すいませんでした…」
意気消沈し、とぼとぼと寮に入ろうとするのを速水が制止した。
「私の責任だ。夕食を食べにいくぞ。」
ルトベキア学園の周りには学園都市が形成されていた。
もちろん、飲食店もある。
魁にとってはありがたかったが、千里の反応が恐ろしく反応しにくい。
そんな魁を促し、速水は千里を見上げ、顎をしゃくった。
その声は当然のごとく朗々と。
「ほら、千里。お前も来い。俺の奢りだ。」
どうせ、水澤を待ってて夕食、まだだろ。
夕食の時間はかなり過ぎている。
待っていてくれたんだ。
こうなると、心配をかけさせていた分、申し訳なく感じた。
速水の言葉に魁はまじまじと千里の顔を見る。

千里の顔に冷笑はすでに無く、
「水澤、二人で一番高いのを食べるぞ。」
微かに嬉しそうな顔があった。




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