章・語らぬは己がの強さか弱さか

02.揺らめく過去の陰影


 


闇に白い光、その下の二人を淡く照らす。
虫の音はなく、風にそよぐ草木の囁き声。
そしてそれらの、昼間には感じられない、濃密な香り。
千里は微笑した。
こんなに静かで、平和な夜を速水と過ごすことは滅多になかった。
こんな時もかつて過ごせれていたら、私たちは変わっていただろうか。
「話はなんだ。」
静かで温かな時をぶち壊す無愛想な声。
顔もだ。
「さっさと話せ。」
…訂正だ。こんなデリカシーのない男にこの風情は分からない。
千里は心の中で頭を振った。
久々に昔の―速水が忌み嫌っている―話が出てきた。だから、奴は神経質にになり、私は―感傷的になる。

風に湿り気が増えた気がした。
「…いや、たいしたことではない。」
からかう響きを持たせる。
「やけに水澤に優しいな、そういう趣味か。」
「どういう趣味だ!…いや、言うな。すまん。」
反射的に発せられた言葉は最後の方は懇願になった。
「できが悪い子がいても、いつもなら補習とかしないだろ?」
「…まぁな。」
速水は目をそらしたままだ。
気付いているのだろうか、いつも彼は誤魔化したいときは目をそらすことを。
基本的に嘘がつけない、不器用な男だった。
そして千里は知っている。

後一押しで吐く。
「どういう心境の変化だ。」
速水は躊躇っていたが…千里の予想通り口を開けた。
馬鹿げているかもしれないが、そう最初に言って。瞳の光が暗くなった。
マギナ灯の明かりが揺れる。
「水澤は、似ていたから。」

あいもかわらず視線をそらし続ける男。
「水澤は神崎に似ているから気になっただけだ。」

神崎――その名に千里は衝撃を受けた。

神崎 神。
英雄、そして突然去った仲間。
そして彼女にとっては……

頭がその事を考え出す前に言葉がでた。
「……どこが?」
速水は人を見る目があるし、勘もいい。
しかし千里には全く分からない。
しかし、―もう言ってしまったからか―正面を向いた速水はいぶかしげに言った。
「解らん。でも、似ている。」
その根拠のない言葉に千里はあきれ返った。
「変な男だな、お前は。」思わず倒置で強調だ。
速水は自分でも分かっているらしく、ぶぜんとしたままだ。
「…千里は水澤の家の事情を知ってるか」
「家族が全員亡くなっている。」
今は、知り合いの方に引き取って貰ったらしいな。
受け持ちの生徒のデータは全て頭に入っている。
千里は空で言いきった。
「…そうか。」
速水は苦い顔をしたまま、灯に寄りかかった。
「…何か、あったのか」


「……ふむ。」
「もったいぶると後で後悔するぞ。」
いろいろと、本当にいろいろと弱味を握っている。
「…ふ、ふむ。いや、水澤のプライバシーだ、よな?」
千里は胸を張った。
「私はみんなの素敵な寮母様だぞ。」
子供は生んだことないがな。
「で?」
心なしか生気がない。
「生徒のことを知る権利やら義務やら…とにかく言え。」
「絶対、言わない。」
約束だ。

約束の言葉に千里は舌打ちで返事を返した。

速水は嘆息した。
だから寮母にならないほうがいいと言ったんだ。

しかし速水は何故、黄金守護隊だった
―それも小隊長だった彼女が教職ではなくわざわざ桜花の寮母を選んだかを知っていた。
苦くなる。

「…まず似てるな、と思ったのは他人への接し方だ」
それには千里も合点がいった。
ちらりと眉をあげる。
「あのこはみんなと線をひいている、か。」
「そうだ。」


孤高の英雄の背中が蘇る。
彼は微笑みを絶やすことはなかった。
人前では。
しかし、千里は思い出す。
彼は一人では笑わない。
思い出し笑いもない。
無の表情。

それが悲しくて嫌で、彼の側にいたかった。

そして彼は微笑む。
その軽く人を領域の外に押し出してしまう笑みで。

そんな千里の追憶を知ってか知らずか速水はうなづいた。

「遠くで見守っている感じだ」


しかし千里は肩をすくめた。
「まぁ、しょうがないところもある。あの子はここが初めての学校だ。」
資料には、通信教育をしてきたと記載されていた。
「そのうち慣れるさ。」
速水は苦笑した。
「ならいいんだがな。」
千里は、口端をあげる。
「絶対大丈夫だよ。」
なんていったって私の生徒だ。
お前の生徒と言うと不安だが。
「悪かったな。」
お前と話していると疲れる。
その時だった。
鐘が鳴った。
「いかん。子供を寝かせる時間だ。」
千里が顔をあげ、速水を仰ぎ見る。
「すまん、仕事だ。」
「そうか。」
速水は久々の会話を打ちき千里が階段を駆け上がっていくのを
―その背中が中の明かりに消えるまで見守ってから、速水は踵をあげ、明かりとは逆に進む。
彼は教師寮に住んでいた。