速水は白いベットを見下ろした。
そこには青ざめた千里が眠っている。呼吸は深い。
やはり、無理矢理でも鍛錬させておけば良かった。
ここは学園だからと甘く見ていた。
失いたくないだろ?
そう、耳に囁いたのは史だった。
このままだったら、千里は無茶して、死ぬぞ。
そう囁いた数日後、千里は死にかけた。
もう一歩、速水が遅かったら、確実に死んでいた。
足の方から、崩れ落ちる感覚をあれほど怖かったことはない。
千里は、神崎の行方を知るために無茶をした。
速水は史の言葉を思い出し、ガーディアンから身を引いた。
そうすれば千里は自分についてくるとわかっていた。
一人を何よりも恐れていることぐらい、知っていた。
卑怯な手だった。だが、千里にガーディアンを辞めろと言って素直に辞めるはずがなかった。
このことを知られたら、確実に罵られる。
だが、だが。
千里を失うわけにはいかなかった。
千里の心が手に入らないことはわかっていても。
千里を失うわけにはいかなかった。
千里の心が誰を求めているかを知っていても。
速水はそっと手の甲で千里の頬を撫でた。
少し開いた唇、濃い睫が肌に落とす淡い陰。
絹の様にしなやかな髪、喉から鎖骨にかけての曲線。
どれもが愛しかった。
泣きたくなるほどに。
あぁ、違う。
千里の頬から手を放した。
学園を甘く見ていたせいではない。
それよりも強い願いが速水にはあったのだ。
千里に戦場にいてほしくない。
千里に戦ってほしくない。
だから鍛錬を千里が断ったとき、何も言わずに了承したのだ。
でもそのせいで今、千里は眠っている。
もう、自嘲するしかない。
こんなことになったら千里は躍起になって鍛錬を始めるだろう。
何事も裏目に出る自分の決断。
ここに来た決断はどうだろうか。
千里のベットから離れ、部屋を出た。
白い廊下は長く、暗い。
中庭に、エレクトロ棟に行く途中にあった十体近いガルム。
破損は少なく、マギナ供給パイプだけが切られていた。
恐ろしく、強い。
誰がやったのか不思議に思い、リサーチャーの二人に頼んでビデオカメラを見てもらった。
そこに映っていったのは、少年。
戦慄した。
その陣は、まさしく英雄のもの。
その手袋は、そのエンブレムは、英雄のもの。
リトル・エース。英雄を次ぐ者。
何故。
何故、今になって英雄の縁の者が現れるのか。
やっと千里が落ち着いてきたというのに。
やっと自分が落ち着いてきたというのに。
桜の死に際に、葬式に来なかったくせに。
何故。
少年がただの愉快犯だとは思わなかった。
思いたくても、彼は濃い英雄の影を背負っていた。
相反する気持ちが交差する。
英雄に会えるかもしれない喜び。
英雄に会えるかもしれない怒り。
そして何故が頭を巡る。
何故、自分たちに連絡がないのだろう。
あってほしい。
あってほしくない。
なぜ、子供好きな英雄が、子供をここに使わしたのだろう。
子供を犠牲にすることを一番嫌う彼が、何故。
何故が巡り巡って答えになるわけもない。
あぁ、嫌な予感がする。
このビデオを見たら、千里はどうするだろうか。
それだけが今のところはっきりとした懸念だった。