章・語らぬは己がの強さか弱さか

06.その名の波紋


 
速水は白いベットを見下ろした。
そこには青ざめた千里が眠っている。呼吸は深い。

やはり、無理矢理でも鍛錬させておけば良かった。
ここは学園だからと甘く見ていた。



失いたくないだろ?
そう、耳に囁いたのは史だった。

このままだったら、千里は無茶して、死ぬぞ。

そう囁いた数日後、千里は死にかけた。
もう一歩、速水が遅かったら、確実に死んでいた。
足の方から、崩れ落ちる感覚をあれほど怖かったことはない。
千里は、神崎の行方を知るために無茶をした。
速水は史の言葉を思い出し、ガーディアンから身を引いた。
そうすれば千里は自分についてくるとわかっていた。
一人を何よりも恐れていることぐらい、知っていた。
卑怯な手だった。だが、千里にガーディアンを辞めろと言って素直に辞めるはずがなかった。

このことを知られたら、確実に罵られる。
だが、だが。
千里を失うわけにはいかなかった。
千里の心が手に入らないことはわかっていても。
千里を失うわけにはいかなかった。
千里の心が誰を求めているかを知っていても。

速水はそっと手の甲で千里の頬を撫でた。
少し開いた唇、濃い睫が肌に落とす淡い陰。
絹の様にしなやかな髪、喉から鎖骨にかけての曲線。
どれもが愛しかった。
泣きたくなるほどに。

あぁ、違う。
千里の頬から手を放した。
学園を甘く見ていたせいではない。
それよりも強い願いが速水にはあったのだ。

千里に戦場にいてほしくない。
千里に戦ってほしくない。

だから鍛錬を千里が断ったとき、何も言わずに了承したのだ。

でもそのせいで今、千里は眠っている。
もう、自嘲するしかない。
こんなことになったら千里は躍起になって鍛錬を始めるだろう。
何事も裏目に出る自分の決断。

ここに来た決断はどうだろうか。


千里のベットから離れ、部屋を出た。
白い廊下は長く、暗い。

中庭に、エレクトロ棟に行く途中にあった十体近いガルム。

破損は少なく、マギナ供給パイプだけが切られていた。
恐ろしく、強い。
誰がやったのか不思議に思い、リサーチャーの二人に頼んでビデオカメラを見てもらった。

そこに映っていったのは、少年。

戦慄した。

その陣は、まさしく英雄のもの。
その手袋は、そのエンブレムは、英雄のもの。

リトル・エース。英雄を次ぐ者。

何故。
何故、今になって英雄の縁の者が現れるのか。
やっと千里が落ち着いてきたというのに。
やっと自分が落ち着いてきたというのに。
桜の死に際に、葬式に来なかったくせに。

何故。

少年がただの愉快犯だとは思わなかった。
思いたくても、彼は濃い英雄の影を背負っていた。
相反する気持ちが交差する。

英雄に会えるかもしれない喜び。
英雄に会えるかもしれない怒り。

そして何故が頭を巡る。
何故、自分たちに連絡がないのだろう。

あってほしい。
あってほしくない。

なぜ、子供好きな英雄が、子供をここに使わしたのだろう。

子供を犠牲にすることを一番嫌う彼が、何故。



何故が巡り巡って答えになるわけもない。


あぁ、嫌な予感がする。



このビデオを見たら、千里はどうするだろうか。
それだけが今のところはっきりとした懸念だった。