問いかけの先は全て無の空に

05. 青空の下の悲喜こもごも


 

 ルトベキア学園の、いや桜花寮の朝はおはようございますで始まる。
 千里の心意気だ。
 7時には皆が食堂に集まり、千里から諸連絡の後、朝ご飯が始まる。
 千里は前に出て、マギナ発動。食堂の隅々にまで声を行き届かせる。隣にあるマイクは使わない。
 今日もマギナを無駄に使いながら千里は所注意をした。
「早朝に何者かが学校のデータを盗んだ。外部と……恐らくは内部のものの仕業ということだ。目下調査中だが、何か気付いた者がいればすぐに先生か、生徒会の方に報告しろ。有力な情報の場合、ポイントが与えられるそうだが、嘘とわかる嘘の場合は減点だそうだから、興味本意でいかないこと。つまり、嘘とばれなかったらいい」
先生、それは違います。
「とにかく、朝食が終れば、保護者をお見送りするからな」
 はい!と声を合わせて、生徒達はいただきますをしてからご飯にありついた。
今日の魁達の配列はいつも通りだったが、魁の隣には淳子が座っていた。Dollはもちろんながら有機物の直接的な摂取はない。それ専用がちゃんとある。しかし特別製の淳子は胃袋があり、そこに貯めておくことができる。もちろん後で捨てる。水分もだ。
ただの水ならば冷却剤に代用する。

「淳子さんは、魁君のメイドさんなんですか?」
「いいえ、ワタクシは魁様の保護者様にお使えしております」
「まぁ、そうなんですの。淳子さんの様なメイドさんが私の家におりましたら、楽しくなりそうですわね」
 淳子は不気味なほど愛想よく微笑んだ。しかし、静流はあまり淳子の奇行を知らない、見ていないので気が付かなかった。

 淳子はいま、自動マニュアルに従って動いている。
 静流はそっと前のりになって向かいにある淳子の顔に近付き、小声で尋ねた。
「あの、どうしてこんなに怒っているのでしょう、燐さんは」
 まさに自動人形となっている淳子は、マニュアル通りの返答をした。
 にこやかな笑みは仕様で、
「ワタクシには、伺い知れませんわ、静流様」

 力一杯、パンをむしる。
 燐は八当たりのために引き裂かれたパンの欠片を口にほりこみ、噛み、噛み、噛む。
 ストレスが溜っているときの食事は固いパン―フランスパンとか―が一番いい。
 抵抗があるから。
 思い出したくなくても脳裏に映るのは、あの憎たらしい、みつあみ男。
 一時は憧れた、リトル・エースだ。その過去が恨めしい。
 よくも、よくも乙女の純潔を!!
 今度会ったら、ブチのめす。
「燐さん、何かあったんですか?」
「何もない」
 最小限の返答は、嘘の現れだ。
 しかし、静流は何かありましたら、何でも言ってくださいねと言ったきり何も言ってこなくなった。興味がないのではなく、言いたい時を待ってくれているのだ。
 悪いな、と良心のかしゃくを覚えるが、こればかりは静流にすら言えない。
 まさか、
「やー今朝ね、リトル・エースにあっちゃって、いきなり押し倒されてキスされちゃったよ、あはははは」
 なんて、言えるわけがない!!断じて、断じて!
 そっとしておいてくれる静流は本当にありがたかった。
 後で謝ろう。
 ムカムカ、ストレスが溜ってゆき、燐はフランスパンの片五つ目に突入した。

 そんな苛立ちMAXな燐の真正面にいるのが、気分はまさに自殺願望中・魁だった。
 やばい。
 食事中はあまり喋らない方―単にしつけの問題だ―のでむっつり怒っている燐と話さなくてもいい。静流は淳子と話している。
 こんなとき、恐ろしい考えが浮かび上がるのが恐ろしい。
 ジョーカーがいたらよかった。
 彼がいたら、この場の雰囲気を和ませる―ぶち壊す―ことができただろうに。

 まったく、さっきと真逆ではないか。

 淳子をうろんに見るが、マニュアル通りの人形は憎たらしいほどの満面の笑み。
 まったく、どこいってるんだ、あいつは。
 自分が置いていった―敵陣の中心に―くせに魁は毒付いた。
「そういえば、」
 鈴の音のような軽やかな声が爆弾を落とした。
「今日、リトル・エースがでたらしいですわね」
 リトルのリが出た瞬間に音を立てるほど、空気が固まった。
 静流は気付いていないのか、それとも確信犯なのか、コロコロと笑う。
「燐さん、朝練をしなさっていたのですから、何か面白い情報ありませんか?」
 気付いたことでも、何でもいいのですが?
 もう、本当にもう魁は泣きたい気持ちでいっぱいです。
 表向き魁は―一生徒として人並みにその言葉に興味を示した。
「千里先生が言ってたやつ?」
「はい、内部の方はそうだと」
「し、静流って本当に何でも知ってるね。ってかそれって今朝の話だよね!いつ知ったのさ!」
 すごいや。
 魁は目を丸くしながらそう言ったが―内心、どうかそれ以上燐を刺激しないでくれと天を仰いだ。
「私、いろいろな噂ですとか、集めるのが好きなんです」
 情報元は信頼できますわよー。新鮮な情報をすぐくれますの。
 静流はそれはそれは嬉しそうな顔でのたまった。
 …静流が恐ろしく感じるのは何故だろう?

「…っす」

 ドスの効いた声。
 魁の―小心者の心臓が飛びはねる。
 確かにそこにまぎれもない殺気が感じられた。
 静流は知ってか知らずかニコニコしている。
 その隣から禍々しいオーラが立ち込め、机に押し付けた拳は怒りの度合いによって震えていた。
「絶対に、ブチのめすっ!」
 人を馬鹿にして!

 そう言って、燐は机を力の限り叩いた。
 その意外に大きな音に、出した本人が我に帰った。周りの人間達は燐に注目。
「あ、あはあははは。ごめん。ちょっとやなことがあったから!」
 怒り心頭から一転して慌てふためく燐に静流はねっとりとした笑みを向けた。
「どうかなさいましたか?燐さん」
 静流は確かに、この時にはリトル・エースが燐の怒りの元であり、それはとても美味しいネタだと分かっていた。
 魁は気が砂城のように崩れ落ちてゆくのを感じた。

「では、魁様。お帰りになるのをお待ちしております」
「うん。八月に入ったら夏休みだから、帰るってエンに言っておいてね」
 真面目な―本来はこんなもんなのだが―淳子は神妙にうなづいた。
「はい。ではお気を付けて」
 それを聞いて思わず魁は苦笑した。
「お気を付けて、は、僕のセリフだよ。淳子さん。気を付けてエンのところに帰ってね」
 淳子は即答した。
「はい。最速最善を尽し、最速最善最高水準の安全対策を実行、万が一破壊されたとしてもデータを…」
「淳子さん。普通に帰ろうね」
 長々と説明しようとする淳子を遮った。

「淳子さん。また来れますか?」
 魁の隣にいる燐はやっとこさ静流のやんわりとした、しかし核心をつくような誘導尋問から逃れてきたところである。噂の彼女は今、父親を見送っている。

 魁が見たところ、燐が耐えきれるのはここ二、三日のことだろう。
 今思うと雅人に迫られ脅えていたのが嘘のようだ。

「静流は人見知りが激しいっていうか、初見の人は苦手だからね」
 静流がああいう面を見せるのは本当に親しい友達だけよ。

「まぁ、被害が来るのはもっぱら私だけどね」
 燐は苦笑したが、目は優しい弧を描いている。
 良き親友だからだろう。

 そんなことを思い出しながら、魁は淳子と話している燐を見ていた。

 心の中で合掌する。謝る気持ちと懇願の気持ちで。

 静流の精神攻撃に耐えきって。
 今朝のことが−事細かく−ばれたら、なんだかとっても静流に敵視される気がするンです。

 始まりのベルが鳴る。それは、淳子との別れのベルだ。

「それでは、魁様。実家に帰らせて貰います」
「意味あってるけど、使う状況が違うかな…」
 淳子は魁と燐、それぞれに頭を下げ、門の外へと歩いていった。魁はそれを見とどけ、一年分ぐらいのため息をついた。
「やっと、帰った…」
 兄さん、俺は耐えきった。
「魁、何言ってるの。わざわざ一晩いてくれたのに」
「そうだけど…淳子さんがいると調子が崩れる」
 二人は連れだって校舎の方へ向かった。静流が前方で待っている。
 燐はその魁の言いぶりに思わずわらった。昨日一日の慌てふためく魁を思い出したのだ。
「私は楽しかったよ。面白い人だよね」
 なんか、マニアックだけど。
「そんなことはありませんわ。常識ですわよ、燐様」
 っっっ!
 二人の肩を両手で抱き、それぞれの頬に音を立てて口づける。
 顔を一気に紅くした二人を見て、淳子は笑った。
「うふふふ。でっわーアディオス!」
 頬を押さえている魁の握り拳が震える。
 頬を押さえている燐は今朝のことが頭をよぎり、涙がこみ上げる。
 静流は何か手にしている物を握り直し、満足げに小さく拳を握る。




 最後の最後で!




 走り去っていく自働人形を敵のように睨み付けた。
 腹から湧き上がってくる感情をそのままに魁は叫んだ。

「淳子さん!!!!」

 淳子−いや、ジョーカーは舌を少し出した。
 そして、高らかに笑った。
 後で、静流に頼んで写真を貰おう。

 空は快晴。
 入道雲が夏を示していた。