章・過去が眠る楽都市で踊り狂え

11.眠る過去の揺り籠の夢


 
  
※流血・残酷なシーン。社会Rな話です。苦手な方はご遠慮ください。とばしてもOKなようにします。





 ナツメの墓は先ほどのものとは違ってとても小さな、簡易なものだった。
 名がなく、小石を並べただけのもの。ただルトベキアではなく、小さな淡い桃色の花がそこを取り囲んでいた。
「本当は、ここにはなんにもないんだ」
「共同墓地行きでーーどこにいるかわからんからな」
 登録ーー戸籍もなく、身よりもなく、引き取るものもいない遺体は、ゴミ捨て場に放置され、その日のうちに燃やされる。
 事務作業のように、何体もの遺体が一緒に燃やされ、土の中に埋められる。その場所を知ることはできない。
「でもきっと、そんなとこより、こっちのほうがええって、移ってきとると思うよ」
 二人は花束をそっと花の輪の中心においた。
 カナメは立ち、胸に手を当て、深くうなだれた。
 サトルはしゃがみ、左薬指に唇を寄せた。
 その二人の背を、雅人は黙ってみていた。同じ時間の流れを同じ分生きている背中を。
「・・・・・・引き取れなかったのか?」
 蘭が睨むのを無視し、問いかけた。
「這ってでも助けにいきたかったに決まってるだろっ」
「・・・・・・恥ずかしい話やけど、それどころじゃなかった」
 自分たちも死にかけていた。そんな言い訳が、悔しくて、情けなくて――いっそそのまま死にたかった。
 こんなゴミのような人間の死すら許さない医者がいなければ、そのまま死んでいただろう。
 
 二人――いや、三人はずっとずっと一緒だった。
 裏の路地で、ゴミをあさり、表の路地では財布をすって生活していた。悪いことをしているという認識はなかった。
 こうしなければ生きていけなかった。そんなことをしてはいけないという人間もいなかった。むしろ、親によくやったとほめられた。
 親のもとから逃げ出したのは、ナツメを路地に立たせようと――体を売るよう手筈を整えているのを知ったからだ。
 サトルとカナメは親が呼んだ客をはり倒し、ナツメの両腕を取って世界に飛び出した。
 サトルは笑って、どうせいつか出るつもりだったからと、二人と一緒にいた。

 親元を離れたからといって、する事が変わるわけではない。最初のうちは屋根もないところで、三人で身を寄せて寒さをしのいだ。
 そのうち、集合住宅と化した廃ビルの一室に落ち着いた。表の世界にあこがれたが、身よりのない戸籍もない薄汚れた子供を雇うところなどない。
 結局、裏で生まれたものが、表にいける訳がないのだ。
 カナメ達は殺人以外、だいたいこなした。ナツメも夜の店で働いた。いいことばかりでないが、三人で楽しく生きていた。――いたのだ。

「まー、そのうち、このにーちゃんが、うちの妹に手ぇだしよってな」
「ナツメからきたんだ。親友の妹に、俺から手を出すわけないやろ」
 カナメは懐かしむような、涙が溶けた笑みを浮かべた。
「そら、ナツメはずっと、サトルが好きやったもん」
 だから、二人が恋人同士になったとき、とてもうれしかった。これで三人が離ればなれになることはない。
 気を利かせて二人になる時間を増やしてやったり、からかったり。幸せで、幸せで、笑いが絶えなかった。
 そのうち、ナツメとサトルは永遠の愛を誓った。
 安価な指輪を交換しただけ。それが結婚の証。戸籍のない二人は紙に誓いを刻むことはなく。神にその愛を告げた。
 カナメはもちろん、祝福した。裏での便利屋の仕事のおかげで表につてができ、もしかしたら、表で働くことができるかもしれないところまできていた。

 だから、ナツメが風邪をこじらしたとき、すぐに治ると思った。これからなのだから。これからもっと幸せになるはずなのだから。
 だが、どんどんナツメの体はやせ細っていった。
「ちゃんとした治療を受けて、ちゃんと薬を飲んだら、簡単に治る病気やねんて」
「それ、後で聞いたとき、思わず笑ってもうたわ。どんだけ、おれらがどんだけ・・・・・・」
 裏に医者はいるが、足下を見た高額な治療費を要求する。その額は三人のわずかな貯金ではとうてい無理だった。
 だから、二人は無謀なことをしようとした。麻薬組織の金を盗もうとしたのだ。

「あほすぎるやろ」
「最悪や」

 もちろん捕まった。だが、二人の事情を知った組織はこう提案した。"仕事に協力するなら、医者も薬も手配しよう”、と。
 二人はその提案を受けいれ、薬は薬でも麻薬の売人になった。そのかわりに、二人はナツメの薬を手に入れた。
 なりふり構っていられなかった。せっかく作り上げた表への道もそのときつぶしてしまった。
 ナツメには仕事のことを秘密にした。反対するに決まっている。だが、ナツメの命には代えられない。
 いまなら、いまならわかる。そんな甘い話はないのだ。

 ナツメは薬を飲んで、元気になることもあれば、体調を崩すこともあった。ときに暴れるようになった。そして、徐々にやせていった。
 医者は大丈夫だといった。医者に受けたこともないカナメは、疑うことなくその言葉を信じた。
 仕事は順調で、組織でも期待の新人として一目をおかれ始めた。このままいけば、必ずナツメは治る。信じていた。
 だが、サトルは愛するもののあまりの衰弱ぶりに次第に医者を疑い始めた。そして、ある噂を聞いた。
 "裏と表の中間に、裏でも診てくれる新米の医者が現れた”と。その料金は、ここの常識では信じられないくらいほど安価だという。新米とはいえ、腕はいい、と。

「まー、エン様やねんけどな」
「今思えば命知らずなことをした」

 サトル達は、エンを拉致した。
 拳銃を向け、家までつれていった。
 エン曰く、滑稽なくらい小僧どもがふるえていたのがおもしろかったとか、ヤるなら人気のないところでとか、たぶん後者の理由で大人しくついていったらしい。
 そして、ナツメを診、薬を調べたエンは、静かに告げた。
「ナツメに、薬やて渡されとったんは、新しく作られた麻薬やった」
 実験だったのだ。どうなるか、医者は組織に報告していたのだ。
 薬だと信じ、毎日欠かさず飲んでいたナツメの体も心もぼろぼろになっていた。
 そして、エンはサトルに付け加えた。
「・・・・・・ナツメのおなかの中に子供がおるってさ」
 世界が崩れた音がした。
 図らずも麻薬を常習していた母親、おなかの子供に影響がでないわけがない。五体満足、心身ともに健康な子供が産まれるわけがない。
 ―――産声すら、あげることができないかもしれない。

 幸せになろう、と言った。幸せよ、と言ってくれた。
 こんな薄汚れた世界だけれど、私たちは幸せに生きようと、苦労をかけるけれど子供に逃げられることのない、幸せな家庭を作ろうと。
 未来もずっと幸せでいようと、誓った。

 サトルは、いても立ってもいられず、制止を振り切って組織の元に走った。カナメはサトルを止めようと後を追った。

 なぜ気がつかなかった。麻薬で壊された人間をずっとみてきたのに。
 なぜ気がつかなかった。世界は薄汚れていて、残酷で。さらに汚れてでも、真っ黒になってでも救いたいと思っていたのに。

 ――自分達がバカなせいで、もっとも汚したくないものを汚していた。

 これなら、体を売ったとしても家を出ない方が、ナツメはよかったんじゃないのか。信じているものに毒を渡されるよりも。
 裏の人間は、戸籍上存在しない人間は幸せになる権利もないのか。


 サトルは組織での上司に食ってかかったが、もちろんかなう訳がない。すぐに取り押さえられた。
 後を追っていたカナメも捕まった。そして、注射の針が二人の腕の肌を破った。
 気が飛び、気がついたときには手足を縛られて床に芋虫のようにころがされていた。
 組織の人間が、この前まで笑顔で話していた――この前まで病気の奥さんは、妹さんは大丈夫かと聞いてきた連中が爆笑していた。
 自分達ではない、何かを見ていた。
 それを見た瞬間、麻薬で霞んだ思考が一気に醒めた。

 ナツメが転がっていた。

 骨と皮しかない、ぼろぼろの体が冷たい床の上に放り出された。
 哄笑が部屋を揺らし、それを全部絶叫で切り裂いた。
 泣いても、怒っても、プライドをすべて捨てて願い懇願した。笑い声、笑い声、笑い声。
 これが罰だといった。組織にたてついた、罰だと。ナツメの周りに銃を持った男達が集まった。
 そしてほとんど動けないナツメに、パンと、軽い音が貫いた。腹を貫き、次の玉が腹に添えようとした手を貫き、もがく足を貫き、見ようとあげた頭を。
 それで、ナツメは二度と笑えなくなった。
 絶叫など、無駄な行為はできなかった。

 気がついたとき、口が真っ赤に染まっていた。周りには肉がそげた男が二、三人がいた。袋たたきにされ、薬をまた打たれた。
 闇に落ちる寸前、男達がナツメの体に近づくのが見え、路地に捨てておけと言う声が聞こえた。

 それからどれだけ時間がたったのか、わからない。
 暗い部屋に閉じこめられ、ナツメに与えられた薬をこんどは二人が飲んだ。
 幻覚がひどく、吐いて、吐いて、吐いて。
 時折くる正気の時間が地獄だった。
 こんなものを飲ませていたのか。
 こんなものに、耐えていたのか。
 舌をかみきることもできず、死ぬことすら許されない虚構と現実の狭間をさまよった。
 奴らへの復讐の気持ちだけで、廃人にならずに生き延びた。

 だがおそらく、治療代を徴収にきたという、エンが現れなかったら、そのまま死んでいただろう。
 
「てめぇら、人の患者に手ぇ出して、ただですむと思うなよ」
 エンはエンで後悔していた。何故、その場に留まっていなかったのか。
 動かせないと判断したとはいえ、≪歌≫を詠った後、治療道具を取りに帰るのではなかった。
 連絡手段がそのとき、無かった。J.Jが眠りにつき、その情報収集能力が届かない領域だった。裏の荒れ果てた場所では電波塔もない。
 エンは周りにいた住人に見ておくよう告げ、一度家に戻っていた。
 戻ってきたときには、死体はなく、ただ一目で致死量とわかる血痕が残っていた。頼んでおいた住人のものだった。
 天照に連絡し、魁――ジンを要請した。
 天照を使い、彼らが何者か、どこに行ったのかを突き止めるのに時間がかかった。
 運の良いことに表の人間がカナメを知っており、その事情を知り得た。
 あとは、血を血で返してもらうだけ。命を命で返してもらうだけだ。
 エンとジンは“盾”に連絡をしたあと、二人で組織に乗り込んだ。

 そして、あとは―――。

 二人を見つけたエンは≪歌≫を詠った。
 そしてかろうじて正気と、体の自由を取り戻した二人に銃を渡し、短い時間を好きにしろ、と告げた。
 
 二人が、ナツメを撃った男達を殺そうと外にでた。
 何かに逃げ惑う組織に人間達の混乱の中、一人、二人と撃ち殺すのは笑えるほど簡単だった。あのときは何もできなかったのに。
 笑った。悪いことだとは思わなかった。

 そして、その混乱の中心を見た。
 少年が、自分たちが家を出るよりも幼い少年が、傷一つ無く、戦っていた。
 まるで、ヒーローの様に。血を浴びることもなく、傷一つ無く。
 まだ少年の高い声が響くたび、男達は倒れ、しかし、息をしている。 
 年下だというのに、どこか神々しい姿に、自分たちの血塗られた手が、体が、足が、一気に重くなった。

 彼だったら、きっと、ナツメが死ぬことはなかったのだろう。

 意味のない、仮定。そして絶望。
 悔しいとすら思わなかった。
 気がついたら、サトルは自分のこめかみに銃口をむけていた。そうだ。ナツメがいない世界にいたってしょうがないだろ?
 薬指で光っていた指輪すら守れなかった。自分。
 引き金を引こうとした瞬間、拳がほほに食い込んだ。
 カナメだ。泣いていた。泣いていた。ぽたぽたと、そしてぼろぼろと。 
 あぁ、まだ、泣くことができるのか。
 銃を拾うこともできず、のしかかり、自分に拳を振るうカナメを他人事のように見ていた。
 
 そのうち、盾の本隊が――近藤が来て、男達を逮捕していった。
 自分たちの血と、銃を見て眉をひそめ、カナメ達の銃を静かに取り上げた。
 そして、明らかに殺人者である自分たちの手を強く握り――強く引いて立たせた。
 近藤はカナメ達の顔についた血を乱暴にぬぐい、短く言った。
「よく頑張った。もう、いいんだ」
 その言葉に、緊張の糸が切れた二人は力を失い、次に起きたときにはエンの診療所のベットの上だった。
 ベットの脇には、誰かがくすねたはずの指輪が二個、光っていた。

「それからも、麻薬を抜くためにエン様にお世話になりっぱなしでな」
「一生下僕宣言をすることになったんや」
 ジンの名を伏せ、ただエージェントだといって告げた話。
 墓の下にはサトルの指輪が埋められている。
 ナツメの指輪にもう一度唇を落とし、サトルは過去を想う。
 皮肉なものだ。この事件がきっかけで、裏の闇に埋もれるはずだったこの身はこの清浄な光と風の中で生きている。
 
 事情を知っている(近藤から無理矢理聞き出そうとしているのを見、あまりに近藤がかわいそうだったので白状した)蘭と、強張った顔の雅人に笑いかける。

「大丈夫。今は結構幸せだから」

 風が、優しく小さな花を揺らした。