章・過去が眠る楽都市で踊り狂え

02.飛んで火に入る夏の虫ズ



 魁は目を覚ました。
チチッ―
 雀が窓先で鳴いている。
 体には汗がまとわりつき、じっとりと倦怠感が拭えない。
 ブラインドから洩れた光が部屋に差している。
―結構寝過ごしたな…
 しかし身を起こす気力はなく、窓に背を向けるため寝返りをうつ。

 そして青い瞳が目の前に―
 心臓がはね上がった。
 魁はベットの端に―窓側に―後ずさった。
「なっ―リリィ!?」
どうして。
 ビクドールの様に整った顔をしたリリィが魁の寝ていたベットの縁に顎をのせてじっとこちらを見ていた。リリィは小さな頭を横に傾けた。
「魁様がうなされておりましたので…」
見てました。
 リリィの返答に魁は何故か胸に引き寄せていた布団を下ろした。
 そうだった。昨日、荷物を取りに来たまま泊まったのだ。
 ようやく頭が回ってきた。思わずこぼれた溜め息。
「…リリィ。そういうときは起こすんだよ」
 リリィは首をさっきとは反対に傾げた。
「睡眠を邪魔する方は死刑決行、とエン様が…」
「それはエン様王国の法律だからエン様にしか適用されないって」
まったく、あの人は…
 魁はぶつくさ言いながらベットから降りた。リリィは魁の側に付きそう。
「…魁様、前髪が少し短くなっておりますが…」
「あぁ、ちょっとな」
 燐に切られたところを摘んだ。あの時から幾分のびたが周りものびているから差はそんなに縮まっていない。
「そんなにわかるか?」
「いえ、よくよく見ないとわからないと思われます」
ならよかった。
 魁は微笑したが今が朝、八時を過ぎたところと時計で知ると首を傾げた。
「リリィ、天照は?」
受付は?
 リリィは淡く笑った。少し寂しそうだが―しょうがない。
「では、行ってきます」
 魁は淡く笑った。
「では、いってらっしゃい」
 二人は顔を見合わせて朗らかに笑った。



 リリィが仕事に行ったのを確認して、魁は風呂場に駆け込んだ。夢ははっきりと覚えている。リリィの手前、平気な顔をしていたのだが…
 シャワーの蛇口を捻り、まだ暖まっていないまま―冷水で体を冷やす。
 息は荒い。
 そのままタイルに頭をつけて吐気が込み上がるのを押さえる。
「っぁあ。はぁっ…くそったれ」
いい加減、馴れろよ、俺。
 この時期になると必ず見る夢。しかしその夢でしか、妹に、兄に会えないからこそ魁は耐えている。
 血にまみれた肌。実際にあったからこそその時の感触が蘇る。思わず目をつぶった。
 血が乾き、動く度に剥がれ落ちる音まで、耳に蘇った。それが嫌で、シャワーの排水量を最大にする。
 震えた手で石鹸をタオルに擦り、自分に擦り付けた。
 皮膚が擦りすぎて赤剥けになる。

 それでも魁は洗う手を休めない。
―まもれない。

 そのときに浮かび上がったひとは―
ギリッ
 魁は我知らず腕に爪を立てていた。
「守ってみせる。」
絶対に。
 シャワーの雨が魁に降り注ぐ。

 じゃなかったら、この力を手にいれた意味がない。

 そう固く固く、思っている。
 しかし、今にも泣き出しそうな―つらい、瞳だった。それは、もう、失うことを拒絶し、失ってしまえばもう、立ち直れないのでは、と危惧されるくらいだった。

 人の家なのに、水使いすぎてるな…

 鈍い思考が回り始めたが、シャワーの音は途切れず続いていた。