章・過去が眠る楽都市で踊り狂え

07.馬鹿親大騒動


 

翌朝、鳩がようやく鳴き始めた頃、
待合室。
それはいつもと変わらぬ部屋。
しかし、よくよく目を懲らせば弾痕が残っていたのが分かるだろう。
エンは一人、待っていた。
正確には一人ではない。
隣の診察室にはリリィが待機しているし、台所には魁が七人分の朝食を作っている。
エン、魁、リリィ、燐、静流、雅人、悠。

昨日は散々だった。
魁がようやく静流を取り返して帰って来たのはかなり遅い時間だった。
夜に供給される電力は少なく明かりは一カ所しかつけられない状況。
他の家ならもう少し余裕があるだろうが、ことにここでは他のところに電力を費やしているからだ。
魁は妙に嬉しそうにしていたし、燐は目を覚まして静流に抱きついて安堵と自分の不甲斐なさに泣いていた。
後悔はいい。なすべき事が見える。

男を泊める趣味はないがもう遅いからと魁に説得され、雅人と悠を泊めた。
部屋はあるがベットは無い。文句を言っていたが黙らせた。
リビングのソファーと床に薄い布団・・・布?を敷かせた。
リビングからソファー争奪戦の音が響いていたが結局悠が勝ったようだ。
少女二人は仲良く元魁のベットを占領した。
魁は・・・開かずの間の一つ、兄の部屋で寝た。
リリィは待合室で夜をあかした。リリィの事だから一晩中起きていただろう。
エンは検査の寝台で眠った。流石に疲れていた。
これで患者が来たら問答無用ではり倒していただろう。治療の後に。

淳子から受け取った―プリンターが勝手に吐き出した紙を見た。
エンは不敵に片頬笑んだ。
「あとはやっこさんがくるのを待つだけか」

そして、ベルが鳴った。
エンは出迎えた。






壮齢の男が一人。
それはエンの記憶よりも年を重ねた男だった。
当たり前だ。
もう、何年も経っている。
若干青ざめているのは娘が心配だからか、
それとも目にしているものが信じられないか。
いや、両方か。
「ようこそ、病院に」
重苦しい空気を軽く笑う。
男は躊躇い、しかし動じることなく対応した。
「君は、一体誰だね?娘は何処だ」
「つれない方ね」
男はぎょっと身を引いた。
ついでにさらに血の気も引いた。
黒衣、金髪長髪、サングラス、ピアス。
自分の容姿がどれほど胡散臭いものかは一番よく知っている。
しかし、どう見ても男の自分から女の―それも腰を淡く振るわせるような声が出てきたら未知の恐怖だろう。
動揺したのを取り繕うように男は口を固く結んだ。
「・・・・君は・・・」
「まったく、どうしてあんな状態で放っておいたのです。きちんと治療を続けてください、私はそう言いましたわ」
眉間に皺が寄った。
エンは言う。
まるで声優を間違えた西洋映画の様だ。
男が二人、しかし聞けば男女が一組。
男は、相川氏は深く、深く息をついた。
「それは・・・もう大丈夫だろうと」
「いいえ、貴方は娘の喉が潰れることを望んでいらっしゃった」

   昔、少女がおりました。
   少女は喉に重い病気を患っていました。


「死なない程度に、貴方は・・・・」
エンは静かに、しかし厳しく弾劾した。


   このまま進めば死んでしまう、そんな病気でした。


「彼女はヒーラーに・・・私のようになりたいといっていたそうですね」
エンは、優しく苦笑した。


   少女の父親は四方八方の名医を呼びました。
   でも、名医達は首は横にしか振りせんでした。


「それで貴方は焦った。マギナ使いは大なり小なり【戦場】に征く者ですから」


   最後に父親は知りました。
   天使が医学の道を歩んでいることを


「娘を愛し、娘を失いたくない貴方は、マギナ使いになることを許した」


   父親は天使の居場所を見つけ
   父親は天使に嘆願しました。


「完全に治っていない喉、そんな喉で負担の大きい【力ある言葉】を唱え続ければ」


   天使は言いました。
   自分の願いを一つ聞いてくれるなら、治療いたしましょう、と。


「いつか喉が潰れ、マギナを使うことは出来なくなる。あなたはそれを知っていた。
 娘が夢を叶えることを許し、しかし貴方は途中までしか行けない道を歩かせた」
なんて残酷なまでに深い愛情だろう。


   天使は少女の喉を治しました。
   それは単に死の手を振り切ったもので完全ではありませんでした。
   しかし天使の役割は其処まででした。
   あとは天使でなくとも治せるからと、淡く微笑み、去りました。


エンは高くくくっていた髪を下ろした。
そして、黒衣を脱いだ。
「奇妙な巡り合わせですわね」
電話口に言ったことをもう一度彼に言った。
『戻れ』
金糸は漆黒に染まった。
そして最後にサングラスを外した。
「お久しぶりですわ」


   少女は思いました。  
   自分も天使のようになりたいと。
   憧れました。 
   そして
   いつしか口調まで真似するようになりました―



相川氏は頭を振った。
否定ではない、ただ、混乱する頭を正常にするための行為だった。
そして、真っ直ぐにエンを見た。
「えぇ、お久しぶりです。」

九鬼・マドカ様

エンは、マドカは笑みを濃くした。



「まったく、貴方の声が電話から聞こえたとき心臓がとまるかと思いましたよ」
「あら、彼女が相川の名を持っていると知ったとき、思わず逃げたくなりましたわ」
相川氏はそれこそ苦虫を噛み締めたような顔をした。
「ご安心を。絶対にばれませんよ・・・オカマと娘には言ってないもので」
「ご安心を。貴方は長生きしますわ・・・腹黒ですから」
あははは
うふふふ
どす黒い暗黒オーラが二人から醸し出されていた。
魁がいたら引きつった笑顔で逃げているだろう。
エンは息をついて美女の顔を捨てた。こうすると中性的な美貌になる。
しかし口調は変わらない。
「あぁ、もう喉は完治させましたけどね」
相川氏は嫌悪を露わにした。
「余計なことを」
「目の前にいる患者は問答無用で治す、これが【俺』の方針ですので」
「それで、また法外な金を娘に要求する、と?」
エンは鼻先で笑った。
目は鋭く刺す。
「間違えないでいただけますか、あの時要求した相手は貴方です、娘ではありません。それに【俺】は子供からは治療代をいただいておりませんわ」
【私】なら頂きますけどね。九鬼マドカ、癒天使を雇うだけのお金を。
「・・・・」
「そのかわりここで働いてもらってますわ。ここの子供の患者のほとんどは私のか・せ・い・ふですわ〜」
これが生活力0のエンが魁がいなくても生活できている理由だ。

「・・・・つまり、娘にもそうさせると?」

エンは目を細めた。
顎を引き、笑いを堪えるように。
「いいえ、もう少し対価が必要ですわ」


「さて、ここからが本題ですわ」
エンは確信を秘めた笑みを浮かべた。
相川氏は身構えた。
それはやはり破格の治療代か、それとも無理難題なことか―
しかし思いもよらないことだった。

「相川・静流を私の弟子にします」
これ、決定事項ですから。
エンはにこやかにウインク、人指し指を立てた。
ヤケに演技がかっていた。

相川氏は戸惑いを隠さなかった。
「……なんですと?」
「相川・静流を私……九鬼・マドカの弟子に……最高のヒーラーにすると言ったのですよ」
目を見た。そこには自嘲の光はなく、ただ気負いなく前を向く―若者の目だった。
つまり、本気か。
「……それを私が望んでいるとでも?」
「自意識過剰ですわよ。彼女は私のようになりたいといっておりました。それのお手伝いですわ
 それに、この頃後継者ブームですし?流行に乗り遅れたら恥ずかしいですわ」
ふざけた調子だ。
しかし一手、手をあげ、相川氏の激昂を止めた。
もう笑みはなかった。
「お聞きなさい。ヒーラーには二種あります」
「知っていますよ」
エンは頷いた。
娘の関係である程度調べているのだろう。
それならば話が早い。
「ヒーラーは人数が少ない。
 しかし危険地域に怪我人があればわざわざそこまで向かわなくてはいけない」
そこは戦場だ。
危険に満ち溢れている。
それは暴力という形
それは病原という形
しかしヒーラーは行かねばならない。
「ですが例外があるのです。お分かりですね?」
相川氏は黙ったままだ。
構わずエンは続けた。
「それは歌陣を扱えるヒーラーです。歌陣を使えるヒーラーはほとんどいない。
 その貴重な人材を危険地域に連れ出すわけにはいかない、そういうことですよ。
 そのかわり・・・恩恵を受けられる者も限られますがね」
これならば、貴方も安心でしょう。
相川氏は言う。
「……娘に、歌陣ができるとでも?」
「喉が完治しました。十分できますわ。だから私がこう申し出ているのです」
相川氏の鳶色の瞳が揺れた。
エンは付け加えた。
とっておきの爆弾、その一だ。
にっこりと、昔嫌になるほどやらされた天使の微笑み。
「私以上の師はいないですわよ?」

それが答えだった。



「お、お父様・・・・!」
「静流、座りなさい」
朝、リリィに起こされた静流が寝ぼけ眼に一階におりるとそこには父の姿があった。
ただいるだけではない。
何故かエンがにやにやとそれはそれは嬉しそうに父に絡んでいるわ、何故か魁が父にモーニングコーヒーをついでいた。

・・・・・天変地異です?

雨は昨日降ったから、今日は地震だろうか?

「おはよう、静流」
「お、はようございます・・・魁君、お父様はいつ・・?」
「朝いちの列車で来たんだよ」
にこにことしている魁は【お姉さま】に連れて行かれそうなほど可愛らしいものだった。
魁は静流のために席の椅子を引いた。
「まぁとにかく大丈夫だから」
何が・・・?
誰も何も言ってくれない。
燐はリリィに止められて下にはきていない。

親子の沈黙。
エンは何も言わなくなった。
魁は静流の朝食を取りに行った。
このトライアングルは一体何なんですの?
「お父様・・・あの、私・・・!」
「昨日は無事だったか」
昨日、あまりに多くのことがあった。
恐ろしい思いをした。
寿人・・・のことも。
しかし過程はどうであれ結果は
「えぇ、大丈夫ですわ・・・お父様。ちゃんとエン様にお詫びをなさってくださいね?」
実に嫌そうに実に嫌そうに実に嫌そうに父は渋面を作った。
「そーだしろよ、外壁ボロボロになっちまったじゃねぇか。しかも俺の花壇まで!植えてた薬草、商売道具なんだからな」
次の瞬間、静流は耳を疑った。
「分かりました」
あの、父が、非を、認めた!?
・・・・これからは敬意を倍増してエン様と呼ぼう。
苦笑が聞こえた。
「エン・・・作ったのは僕で育ててるのはエリュシオンの子たちだろ?はい、静流。どうぞ」
そこにはふわふわの、金色に輝くオムレツが置かれた。
「ありがとうございます」
「いえいえ」
そこに割り込むように父の声がした。
「静流、婚約は解消しない」
「・・・・・・・・・そうです、か」
覚悟はしていた。結局、自分がしたことはなんだったのか。
このまま、家に帰っても、心にわだかまりが残る。
「・・・・私は」
「この夏の間、雅人君は遊都にいるそうだね」
「はい、そのようですわ」
それがどうかしたのだろうか
「・・・・傍にいなさい」
「・・・・・はい?」
「お見合いを無断で欠席した罰だ。エン殿の許可は得ているからここにとまらせてもらいなさい」
「え?え?え?」
ハテナが沸いてくるがだれも何も言わない。
「ってことだ。有難く、ここに住め」
「静流、雅人先輩がガーディアン研修終わるまで僕の部屋好きに使っていいから」
「え、あ、はい、ありがとうございますって、え?」
大人と魁は静流をおいて話を進めた。
「賠償金は、後ほど講座にでも」
「あぁ、変わってないからよろしくな」
「エン!すみません、横柄で」
複雑な顔で父は魁を見た。
「・・・・娘を頼みます・・・」
「はい」
胡乱にエンがぼやいた。
「俺にいえ、俺に」
父は静流によく似た曖昧な、ごまかしの笑みで逃げる。
「では私はこのへんで、仕事があるものですから」
静流は食事を続けなさい。


「おい」
開放された中畑が車の傍で待機していた。
「なんですかな」
エンは茶色の封筒を渡した。
「見てみろ、餞別だ」
いぶかみながら封筒から一枚の紙を取り出した。
「これは・・・・!」
見覚えのある名前とその隣には企業とその担当者の名前
政界の敵、の・・・おそらくは癒着リスト
エンは喉で笑った。
「ちたーやりやすくなるだろ?好きに使え」
「・・・・・・・その代わり、貴方を知らぬふりを?」
「頭がいい奴はすきだぜ?」
相川氏は苦笑した。
「天使の方にすかれたいものです」
「はっ違いない」

相川氏は頭を軽く下げ、車に乗り込んだ。
そして、そのまま走っていった。

エンはタバコを取り出し火をつけた。
ひょこっと魁が顔を出した。伺っていたようだ。
「よかったの?」
「いいんだよ、昔からの知り合いだから」
「・・・・・・ふーん」
釈然としなさそうだった。
「なんかなーエンにしたらちょっと大人しく終わったね?」
ちゃぶ台返しくらいはするかとおもった。
「でも、あまり静流が怒られなくてよか・・・・・・った・・・・?エン?なにその邪悪笑み?」
魁はあとずさった。
エンはタバコを壁に押し付け非を消した。
「ついて来い、馬鹿ちび・俺の勝ちだ」


逆光のエンは確かに
不遜に哂っていた。


静流を弟子にすると宣言したのは、エンが静流の父親を見送ってからだった。
「おい、相川・静流。一つ聞く。正直に答えろ」
「はい」
「お前、紅いのと結婚したいか?」
静流は強張った。
じっと眉間に皺を寄せ、振り切るように顔を上げた。
「いいえ」
「何故だ」
「私は、逃げました。逃げるという選択をいたしました」


   ―別にそこまで考え込まなくてもいいだろ。
    お前はもう答えを出している―
 
   ―だからここにいる―

皮肉屋の、謎ばかりもっている少年の声が胸の内に響いた。

だからここにいる。

そう、だからここにいるのだ。
『逃げる』という選択をしたから皆を巻き込み、ここにいるのだ。

「私は逃げました。逃げたのです。なら、もう元に戻ることは卑怯です。ましてや、一度逃げたものが雅人先輩との豊かな生活を得るのはそれこそ卑怯というものでしょう」
あとは覚悟だ。
覚悟。逃げる覚悟。親からも、今までの生活からも。
「私はなにがなんでも逃げ切りますわ」
エンは誇るようにほほえんだ。
「よし。なら俺から言えるのはただ一つだ」

相川静流、いい女になれ。

「いい、女、ですか?」
「いい女だ。いいか、とにかく根性ある男でも引っかけて駆け落ちしちまえ」
「か。駆け落ち、ですの?」
「あぁ・てめぇの父親にはいわなかったんだがな。超優秀なヒーラーにはある義務がある」
つまりすこしでも多くの優秀になる素質をもった人材の発掘・育成
「各地の都市を巡行しないといけない」
これはかの有名な九鬼マドカが提案したことだった。
エンは心の奥底で付け加えた。
もっとも、単にいろんなところを安く旅行したかっただけなんだがな。
何事も言ってみるもんだ。
「巡礼者と呼ばれる陰のヒーラーのトップだ。わかるか。いろんなところに許可なくいける。費用は国負担だ。もちろんその分いろんな人間・・男に会える」
にやりと笑った。
「とにかく駆け落ちでもなんでもさらってくれる男を捜せばいい。それで結婚するなり捨てるなりすりゃいい」
「え、エン様。捨てるなんてそれは・・」
「いい女にはその権利がある」
「エン。言い過ぎだよ、それ」
げんなりと静かに見守っていた魁が小声でいった。
「うるせぇ、どんな種にだってな女には男を選ぶ権利があるんだ」
自然の摂理だ諦めろ
「本当にいい女ってのは別れた後も良いお付き合いができる女だ。男にゃいい思い出をありがとうそれで十分だ」
「・・・・・・うん、エンってそういう人だよね」
「で、ですが私、そこまで成績よくないのですが」
TOPだなんて。
静流の成績はいい。しかしそれは特進クラスでは中の上といったところだ。
とてもではないが上には及ばない。
「そう、そこでた。いい女になるのはお前一人で磨け。だがな、本気で逃げようと思うなら・巡礼者になりたいなら。
 相川・静流、俺の弟子になれ」
静流は息をのんだ。
「・・・・エン、様の?」
「かじった程度だが、お前よりは上手い自信はある」
なによりこのちびガキに教えたこともある。
その言葉に静流はまじまじと魁を見た。
魁は困ったように眉尻を下げたが
「う、うん。一応、できるよ」
軽いものだけど
「エンは医者になるときにヒーラーの人と知り合いになってね仕込んで貰ったんだって」
「お前らのとこの梓だ」
「梓教官に!?」
ルトベキアのヒーラー、TOPの名前に静流は驚いた。
それならば、とも思う。
「まぁ、医者だからな。少々医者的なところがあるが実践的で普通のより格段にいい」
俺の方が才能あるとみた。
「エン、謙虚って言葉知ってる?」
「事実を隠蔽する方が罪って話だろ」
魁は頭を抱えた。
「それにな、逃げるときは連絡しろ。魁、手伝ってやれ」
「お、じゃなかった僕が!?」
エンは目を細めた。
「ほう、友達の窮地を救わない、と。兄貴が聞いたら泣くな」
「えーえーえー・・・ルートとかどうすんのさ」
「てめぇでがんばれ」
うわーっと魁は青ざめていた。
「あ、あの」
ありがたい話だ。本当にそう思う。
できるかどうかはわからない。しかし自分の道に明かりをともしてくれたのだ。
しかし
「なぜ、そこまで、応援をしてくださるのですか?」
「気にくわないから」
端的に答えた。
「気にくわない。このお見合い自体がすべて気にくわない」
・・・?
嫌悪に満ちた顔。
そこまでなにを嫌っているのか。
疑問の顔にエンは苦笑した。
「お前は知らなくていい。超個人的な感想だ」
それよりも、
「俺の弟子になるか?ついでに言うとおれの修行はつらい」
「僕的には、死を覚悟した方がいいよ」
「魁。弟子を怖がらせる気か」
「し、真実は早めにって言葉知ってるかな!」
「さんざん助けてやったのに逆らうのはこの口か」
ほおを悲鳴を上げるまで引っ張った。
悲鳴を遠くに聞きながら、静流は。
頭を下げた。
「お願いします。私を、鍛えてください。お師匠様」
どんなことでも、耐えます。
エンは了承の代わりに静流の頭を優しく叩いた。



一体全体、どういうことなのだろう?
燐は乾いた笑みを浮かべていた。
とりあえずは静流の件は一件落着、らしい。
なぜ、どうやって、と先輩たちが詰め寄ったがエンは黙秘を続けしつこい問い詰めにぶちきれてあわや喧嘩というところで魁が止めた。
・・・魁が心配性な訳がわかった気がする。
元々静流の家出に付き合っただけな燐は別にこれで帰ってもいい。
家にも連絡をしておいた。
兄たちが男友達の家にいると聞いてかなり慌てふためいていたが・・・
変な心配はしないで欲しい。静流もエンもいるのだから。
いや、うん。
心配してくれるようなことがあったら、う、嬉しいというかなんというか複雑だ。
だが、燐は一度家に戻ったらまた来るつもりだ。
静流の必要なもの(宿題とか)を持ってきてあげようと思うし、なにより静流がこっちいることが心配だ。
別に特に心配することはないらしい。
中畑さんたちもこっちにいるから誘拐の心配はほとんどない。
燐が心配しているのはそのレベルではない。
そう、つまり、
燐は心配の元に視線を向けた。


その男はどこから持ってきたのか竹刀を肩に置き、堂々と宣言した。
「ヒーラーってのはな、兎にも角にも体力が必要だ!」
ってことで、いまから筋力トレーニングを始める!
「俺に全てをまかせておけ!」
「はい!お師匠様!」
答えたのは・・・静流だ。
いつの間にかこの二人は師弟になっていた。
もうひとついえばちょっと違うが。隣では魁が苦笑いで二人を見比べていた。


そのときだった。
壁の向こう側から拡声器で微妙にずれた声が聞こえた。
「はーい。こちらガーディアンのサトルっでーす」
「はーい。こちらもガーディアンのカナメでーす」
ひょこっと塀から顔を覗かせたのは例の二人組みだ。

「はいはいはーいお前ら全員包囲されているー」
「大人しく武装解除しなさーい」
「何しに来た、弟子ども」
エンのその問いにげんなりとカナメが答えた。
「昨日の夜の騒動で、ご近所から通報がありましてん」
「あ、しぃーちゃん燐ちゃんハロー。今日も可愛いねぇ」
ナンパしてんじゃねぇよ
サトルの頬を石が掠めた。
「ぎゃー、なにしまんねん、師匠!」
「うるせぇ、馬鹿弟子。昨日に通報あったんならすぐに来いよ」
一般市民が襲われてたんだぞ
二人は顔を見合わせた。
「一般市民・・・・?」
「凶悪市民やぐふっ」
今度は顔正面にジャストミートし、カナメは塀から落ちた。
「あぁ、カナメ!マゾやからよろこんどる!」
「よろこんでへーん!」
無事のようだ。
「まぁ、そっちに師匠おるし、こっちの見習いもおるってきいとったから、局長が別にいいだろって」
「近藤め。仕事サボりやがって」
単に近寄りたくなかったからだとサトルはこころのなかで言い返し、
おそらく降りかかるだろう災悪に局長にむかって心の中で合掌した。

あれ、とサトルが目をみはった。
「師匠、なに根性入魂竹刀もってはるん?」
ワイらなにかしました?
そのネーミングはいかがなものだろう?と燐は内心首をひねった。
「あぁ、こいつらを弟子にしたんでな」
竹刀で静流と・・そして自分、燐を指した。
そう、何の成り行きか自分までエンの弟子、ということになっていた。
「へー・・・リンリンとしぃーちゃんが師匠の弟子に・・・・」
一拍
「「って、殺す気かい!!!!」」
カナメが塀の上に復活した。
「お、落ち着け相棒、聞きましたか!」
「お、落ち着け相棒、聞きましたわ!」
お互いの耳を引っ張り合った。
「うるせぇ、決定事項だ」
「や、やめときなはれ!」
「あぁぁぁぁお、思い出したくない修行時代!」
「反吐はきますよって!」
「血反吐でんがな!」
文字通り、蒼白に顔色を変えた二人は叫んだ。
「てめぇらよりは優しくする・・・・といいな」
「「ししょーーーーー!!」」
「なにぶん、女を弟子にしたことないからな。まぁ、新堂娘が止めるだろ」
燐は静流よりも体力がある。
余裕がある(とおもわれている)分、その修行の限度をみさせるつもりらしい。
「いやいやいやいや、師匠がそんなことで修行止めるとはおもえへんねんけど」
「せやせやせやせや!魁が泣いて止めてもワイらん時、とめへんかったやん!」
「男の涙なんざ滓だ」
うおぉぉい!
気を取り直してサトルが叫んだ。
「イッちゃんさん様が止めても、とめんかったんやん!」
「知らないのか?あいつは止めた後でもっとやれとけしかけてきたぞ」
「し、知らんほうがよかった真実が今明るみに!」
「魔性の女だからな」
しれっと答えた後、エンはギロリと元弟子たちを睨み付けた。
「邪魔するなら、巻き込むぞ」
二人は高速で首を振る。横に。
「なら、新米つれてとっとと仕事に行け」
丁度よく扉からその二人が出てきた。
「あ、エン。まだ、話が・・・」
「あんなーもうちょっと事情はなせよ、ば」
か。と続かせずにサトルとカナメは二人を掴み引きずっていく。
「さー仕事や仕事」
「な、なんで二人がここに?え、あのまだ話が」
「あー、急がし急がし。見習いのくせに朝から女の子とおるなんてあきまへん」
「おい!まて、こら、こっちはまだはなしがあんだよ!」
「あーきこえへん。あ、そやサトル。この二人に昨日の事情を報告書かかせましょーか」
「お、いいね。当事者っぽいしな。さていこいこ」
ではさいならーーー
コントよろしく退場していった。
・・・・・うん。遊都ってへんなところ。
燐はちょっと諦めを入っていた。
でも、

その手を見た。
このままだと守れない。
遊都にきてからマギナが何故か発動できない。
出来ても威力が格段に落ちている。
何故かわからない。昨日のことを思うと魁は普通にマギナを放っていたと思う。
でも、自分は。
彼よりもうまい、という自負はある。
あるからこそ怖くてこのことは誰にも言えなかった。
とにかくその原因を突き止めよう。
何事もそれからだ。
燐はぐっと手を握り、覚悟を決めた顔にうっすらと汗をかいていた。



密度の濃い熱気を含む空気がじっとりと肌を取り巻く。
そう、今日は晴天なり。