章・過去が眠る楽都市で踊り狂え

07.馬鹿親大騒動


 


静流は歩いていた。
逃げ出したまではいいものの、ここがどこだか分からない。
豪雨というわけでもないが雨が更に視界を更に悪くしていた。
比較的大きな道を選んで歩いているつもりだった。
静流は遠くを見つめた。
その先にはひときわ高い天照本社のビルが見える。
9時以降も明かりのついているその姿は灯台のようだった。
あそこを目指せば、大丈夫。
大丈夫。
言い聞かせる。
片手を胸に置く。
心臓は物凄い早さで血脈を震わせているのを、生きている証にする。
ガスが出たとき、とっさにハンカチで口と鼻を押さえ、身を伏した。
できるだけ息を止めていたので意識を失うことはなかった。
世界が歪むような浮遊感や吐気がある。
静流は一歩一歩歩いた。
惑いながらも光を目指す虫のように、天照を目指す。





不意に、道が開けた。

大通りにでたかしら。
希望の光が強くなる。
靴は履いていなかった。
靴下はぴちゃぴちゃと音を立てる。
ほとんど布の意味がなしていない。
雨が足もとからも熱を奪う。
そしてさすがに痛い。
お風呂にすぐに入りたい。
静流は水溜まりの水がはね、靴下がさらに汚れるのも気にせず、出た。




一瞬、状況が分からなかった。
恐らくは薄汚れた服を着、
お世辞にも身なりがいいとは言えない男達もそうだったろう。
まさか、上質の獲物が自ら飛んでくるとは思わない。


無機質な視線が交じり合った。



そして奇妙な―どこかおかしな沈黙が流れた。




―ぴちょん


雨どいから雨の滴が水溜まりに波紋し――





それが始まりだった。

男達の口がゆっくりと裂けた。
笑み笑み笑み
無言の哄笑を形作る。
暗く視界が悪いはずなのに、何故がそれは鮮明に見えた。



一気に静流は覚醒し、
身を翻して今来た道を走った。
時折意識によって歪む道は走りにくく、おぼつかない。
後ろから足音が幾重にも響いてくる。
水の跳ねる音
コンクリートの壁に波紋
雨脚は強くなった。
そのメロディーはさらに醜悪なものに聞こえた。

アスファルトは確実に男達が蹴る振動を伝える。



怖い、それにすらも思うことはできない。
心臓が凍っているのに無理矢理体を動かす。
雨の中ではなく水の中を走っているような―焦る。


混乱し、何故自分が逃げているのかも―これは夢?
呆然と、このまま闇に飲み込まれる感覚。
しかし、頬に当たる雨は冷たく
小石まじりの道を走る足の平は冷たく痛い。
あぁ。
何よりも自分の感覚が警鐘を鳴り響かせていた。
これは現実だと。


腕を掴まれた。
静流の体が一瞬浮き―
ビルの壁にたたき付けられた。
男が何かを言った。
それに合わせて、下非た嘲笑が沸き起こる。
同じ言語を共有しているはずだ。
だが何を話しているのか理解できない。
聴覚を失ったわけでもない。
ただ脳がその言葉を理解することを拒否していた。
静流には彼等が化け物に見えた。
このまま食われてしまうのだ。
ギラギラと光る目が獲物を射ぬき、
改めて静流の肌を掴んだ。
それは雨と汗でぬめり
男の汚い掌がざらりと柔らかな静流の肌を傷付ける。
やけにその手は熱い。


その生々しい感触に―
生理的な嫌悪が爆発した。

静流は手を、足を頭を―動かせれる関節を全て振るう。
次々に押さえられてゆく。
その暴力的な力に、
本能がこれから何が起こるかを察知し
根源的な恐怖がやっと力に変わった。
静流は
唯一自由になる喉を―


『い、やあぁぁぁぁぁ!!!』


突如弾けた雷光は静流をも巻き込み、男達を跳ね飛ばした!
【杖】なし、陣なしの制御もなにもない、ただ力の発現―!
上からの力が無くなり、静流は転がるようにまた走る。
嫌だ。嫌だ。
雷光に焼かれた腕が足が火傷を負い―服も所々焼け、炭になっている。
もつれ、こけ、水溜まりが跳ね、口に泥水が入る。
口内を砂利が転がる。
歯を噛み締め―同時に小石が砕けた―静流は立ち上がり、走る。

泣けない。泣いてはいけない。
泣けば呼吸が乱れ、走れなくなる。

頭は妙に冷静で、静流の体に指示を送る。

右足の次は左足を
息を吸えば吐け

こみあげるものを無理矢理飲み込んだ。
男達は、見くびっていた獲物に傷付けられ、汚く罵りながら走ってくる。

混乱と走る。

「ぐっは・・・ぁ」
無理矢理なマギナ使用の反動がきた。
増幅器―【杖】なしでしたのだから。
体の内側からぎしぎしと悲鳴があがる。
心臓が暴れはじめた。
まだ、まだ持って!


足が限界になってきた。
もつれる。
すでに靴下は破れ、黒と薄墨の世界に赤を垂れ流していた。
しかしここで捕まればこんなことでは済まされない。
男達の笑い声が響いた。
あまりに後ろ?
耳を澄ませば走る音はない。
あきらめた?
―違う

何故―
すぐに答えはでた。


目の先には塀が―到底静流では上れない。



追い詰められた!
静流は【杖】―指輪を握った。
体は止めてと悲鳴を挙げ―
理性はこれしかないと叱咤した。
体力も精神力もマギナを使うには擦りきれている。
戦うのは無理だ。そもそも正式に習ったことなどない。
ヒーラーを目指していたこともあり
攻撃陣は自分からさけていた。
塀を飛びこえるなんて余計に。
せめて姿を消せないだろうか。
静流は以前―クラスメートの少年が使った目くらましの陣を覚えていた。
さっき、車からでも逃げれたのだ。今度も!
マギナを集める。
発動―
しかし【杖】は光らない。
あまりに乱れた精神状態で陣ができない。
「お願い、お願い、お願い!!」
無駄と分かっていても、【杖】を振るった。揺らし、叩く。
そんなことをするより、深呼吸が大切だと分かっていても―
歯の根が合わなくなってきた。

静流は震え、震え―それでも―

助けてくれる、何かを求める。

燐さん!
―いない
いるわけがない。

静流は何か武器になるものはないかと見回すが、何一つ無い。
男達は闇の中から現れた。
悪魔め。
にやにやと笑い、笑い、笑う。
優位に立つ彼等を見、睨み付けた。
あまり強くはなかった。

怖い恐い怖い!!
燐さん!
しかし彼女は静流だった。
眼鏡は無く、スカートは短く、
太股から血を流し、泥にまみれた彼女は、静流だった。
静流は、自分に誇りを持ちたいと願う少女だった。
親友の燐のように、知らずとも誇りを持ちたいと。
震える歯を噛み締める。
燐、さん!
親友の名を叫び、その力を借りかのように―
【杖】が淡く光りはじめた。
それは蛍火のように淡く儚いものだった。
雨が当たれば消えてしまうのではないかと思われるくらいに。
しかしそれは希望だった。
男達はその闇を和らげるものを見、警戒し、だがじりじりと円陣を狭めていく。
後ずさる静流の背に塀の壁が当たった。


…一斉に来てもらった方がありがたいのですが。
暴発でもなんでも一撃でのせるだろう。

横の男が静流に飛びかかった!
静流は身を沈め、男の大きく空いた腕の下をくぐり、走る。
しかしすぐに中央の男が静流を捕えようとする。
静流は素早く、ステップを踏み―踏み外し水しぶきを立てて横から地面に滑った!

馬鹿!!

立ち上がろうとし、足首が悲鳴を上げる。
捻った。
何故、こんなときに!!
もう一度立ち上がろうとするが体がもう限界を越え、動かない。
絶望が心を潰していく。
【杖】を見る。
微かに―先ほどよりは格段に暗くなった光。

男が目の前に立ち塞がり、見下ろし、その手を伸ばす。

いや!
……いや!
絶叫する。しかし声にはならない。
ぼやけてくる視界、男の体で暗く暗く暗くなる。
いや!!
男の手が静流の髪を掴もうと――
静流は力ある言葉を―





『弾』






静流は見た。
突然後ろに吹き飛ばされた男の姿を。
男は地面に一回―二回―三回転半、転がり叩き付けられ、ようやく止まった。

私、ですか?

馬鹿げたことだ。
やっと男達の言語が静流の脳に届いた。
「なんだ、てめぇは!?」
壊れた人形のように、静流は後ろを見た。
塀の上に立つ白い男がいた。
男は全身を白で固め、その腕には光を放つ何かが握られていた。
それは青い装甲はライフルのような形をしていた。
しかしライフルにしては銃身が短く、太い。
なによりその先には短剣―【剣】の刃がでていた。
銃剣だ。
表情は無く
白い男はくるりとその銃剣を回し、違う男に照準を合わせた。
合わされた男の顔が引きつり―
予告無く、白い手袋は引金を引いた。
『弾』
それは一瞬で銃口に陣が広がり、開放され、超速の圧縮空気が男の腹を打った。
それは鈍器にも似た音を響かせ、上から降る水が軌跡を描いた。
そして先ほどの男と同じ運命をたどる。

一瞥し、
ようやく青年は男達に言葉を与えた。
「失せろ」
の三字を。
それは言霊のように―
男達はバラバラと逃げていった。

白いロングコートの男は塀から飛び降り、静流に足先を向ける。
静流は逃げようと、地面を這った。
この人がいい人とは限らない!
ただ強者に譲り渡されただけだ。
静流は這い、這い、そして腕を掴まれ、無理矢理立たされた。
力はほとんどない。なされるがまま。
静流は覚悟を決めたが、不意に男の手ははなされた。
……?
静流の上体が力無く揺れた。
男は静流が崩れる前に肩をもって安定させる。
先ほどの男の手とは違う感触に、静流はぼんやりと、首をかしげた。
何故か、知っているような――
男は溜め息をつき、ロングコートの襟首を開き、フードを挙げた。
剣が淡く光っていた。
静流はその顔を凝視した。

ありえない。
ここにいるはずのない、少年。
少年は、なんの反応も示さない静流に、ただ言った。
憮然と


「なんでお前がここにいるんだ」
相川・静流。